まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

これが最後かも…

2008年03月31日 | 廊下から
久々に実家に帰省して来ました。浜田駅で知人にバッタリと出会い、軽く世間話をしていたら…

『えぇ時に帰ってきたのぉ~。あとで駅に上がって来い!』と一言。

聞けば今夜は181系が運転され、しかも波子駅で4分停車との貴重な情報を頂きました。こうゆう時に限ってポケデジしか持ってませんでしたが、無いよりかはマシ。風呂もビールも我慢して駅へ上がりました。

寒空の中、待つ事しばし… 闇の中から見える二筋の光、近付いて来る懐かしい音。色は違えど、懐かしい車両が目の前に静かに停車しました。 


回9257D 3月29日 波子

やって来たのは7両編成。3両以上の編成とは十数年ぶりの対面です。古の『おき』号もこの両数だった… と、そんな感傷に浸っている場合ではありません! 時間も限られているので、すぐ戦闘モードに。ですが、こんな時に限ってバッテリーの残量が…(汗)


メモ代わりに…

メモなんて取ってるヒマはありません。車番を順番に撮影し、ホームの端から端まで全力疾走。ふと気が付くと車内のシートには全てカバーが掛けられ、いつでもお客様を迎えれる状態…が、聞いた話では『これが最後の運転かも…』 このまま工場に入るのかと思うと一抹の寂しさが…(涙)

と思ったら、単なる団臨の回送だったそうです。見事な早とちりですな(笑)


対向列車を待つ

あっという間の4分間でしたが、これが最後かもしれない出会いを堪能し、迫力のあるエンジン音を響かせながら去り行く姿を、見えなくなるまで見送りました。

回9257D 米子→下関

181-21+180-45+180-77+180-79+180-48+180-33+181-45




10系DC…4

2008年03月25日 | 工作室から
3月26日…文章を一部訂正しました。

最近、工作がストップしていた10系気動車ですが、今日は床板にMP用モーターの取付穴をあけました。
モーターはCN-16強力型を用いるので、それに合わせて糸鋸で抜きます。が、これまた抜くのに一苦労して、折った刃はその数6本! 2両分作るのに1時間近く掛かってしまいました。もう少し大きな弓の糸鋸が欲しかった…(涙)


上:キハ17用 下:キハ11用

さて、取付穴が開いたらヤマ場を越したようなものです。ここからは今まで通り、床下器具取付板の穴を開けたり、パーツの糊付けに入ります。



ここで忘れずに、センターピン取付穴の塞ぎ板を作っておきます。これはエンドウ製のボルスタを用いる為で、通常は日光製を用いる為にこの作業は必要ありません。
この塞ぎ板を床板の内側にハンダ付けし、センターピンを通す穴の径を小さくすると台車を取り付けることが出来ます。


モーターを仮留め

さぁ、これで動力車が完成する目処が付いてきました。これで勢いに乗って工作が進むか、はたまた安心して手が止まってしまうか…(謎)


キューロク

2008年03月24日 | 泥沼より
大体やねぇ、最近の模型メーカーはユーザーを舐めちょる! 発売する1年以上も前から予約させるか? これで出来が悪かったら暴動が起きるが…

と、いきなり愚痴から始まってしまいましたが、やっと、天プラ9600が発売となり、私も『九州タイプ・標準デフ』を購入しました。特に思い入れとかがある訳でもないんですが、古い雑誌に豊肥線でキューロクが牽く客車列車が出ていて、『こんなのもありかな?』と注文したのが1年半も前。もうちょっと早く出て欲しかったです…(涙)



ほいぢゃが、出来はエェですね。客車は茶色のヤツが少ないんで、当分は貨車でも引っ張らせて楽しみますか…?
一時は購入を諦めかけましたが、趣味人の悲しい性、やっぱり買っちゃうんですよね。これでまた老後の蓄えが…(謎)

冷房車どすえ…

2008年03月23日 | ひろでん
1901・1913号と言えば、広電初の冷房車でした。当時は富士電機製のバス用クーラーを用いておりましたが、バスで言う『サブエンジン』の代わりに600Vで駆動するモーターを用いた為、架線電圧の違いによる回転数の不安定が冷房の効き具合を悪くし、また故障も多かった記憶があります。
正確な時期は記録していませんが、後に三菱製クーラーに載せ替え他車と同一仕様となりましたが、インバータ電源装置を屋根上に乗せたため1900型の中でも外観上の識別点となりました。

冷房を載せ替える前の画像が出てきましたので紹介します。


留置中の1901号 千田車庫

私が運転士になった頃、1901号が千田車庫、1913号が江波車庫に配属され活躍しておりました。当時は取扱が非冷房車と同じで、チョッパー充電器や前照灯の個別スイッチがあったりし、戸惑う事もありました。
そうそう、チョッパー充電器には苦い思い出があります。1913号が冷房機器を交換する直前の一時期に千田運用となり、比治山線で担当した事がありました。南区役所電停を過ぎた頃に充電器表示灯の消灯に気付き、とっさに故障だと思い比治山橋電停で点検、ヒューズ交換を行いました。それでも表示灯は点灯せず、故障と判断し事故係に連絡し注意しながら運転を続けました。
宇品到着後、同車は入換られ入庫しましたが検査の結果は異常なし。いつも乗っていた1901号はバッテリーの放電が早く常に点灯しており、1913号は放電が少なく点灯時間が少なかったので、たまたま見たときに消灯しており、故障と判断したのだろうとの事でした。見事な早とちりで大騒動を引き起こしたお話でした(笑)


1913号の屋根上

ベンチレータは殆ど用を成していませんでしたが、冷房機器更新時まで載っておりました。


左側に見えるのが風洞。

入口扉を境に運転台に向かって左側、計2基の風洞が車内に設置されていました。車内灯は天井中心に直流蛍光灯が1列に並んでおりました。これがまた非常に暗かったんですよ…


夜間の車内(1913号)

同じ直流蛍光灯を用いた900型より暗かったように記憶します。


空調制御箱

2位側運転台に空調制御箱がありました。これがまた大きいばかりで、邪魔だったですね。

先輩のお話では『これでも入った当時は涼しく感じた』この冷房装置。私的には気休め程度にしか感じませんでしたが、冷房が苦手な今ではこれくらいの効きが丁度良いかも…(笑)

1908号

2008年03月22日 | ひろでん
当ブログの常連コメンテーター、シンコー様のブログで広電1900型が紹介されています。京都からやって来た直後の珍しい画像は、皆様もご覧になられたかと思います。

さて、その中でも触れられていますが、一番最初に竣工した1908号は、京都時代に埋められた扉を再利用した窓枠が、現在も残る唯一の車両です。

例によって、車庫の中で同車をネチネチと撮ってまいりました(笑)


車庫で待機中…


固定窓部分を拡大

よ~く見ると、旧ドア時代の水切りも残っています。


他車は開閉窓に改造されました。(画像は1904号)

ドア幅そのままで、開閉窓に改造しているので、他の客窓に比べて寸法が異なります。

さて、ここからは初公開(多分…)の、シートに隠れたドア部分です。


シートを捲るとニス塗りのままのドアが…

拡大すると…(全て許可を得て撮影)

現在、内装は全てペイントされておりますが、シートに隠れた旧ドア部分に京都時代のニス塗が残されています。


旧ステップ部分

埋められた旧ステップ部分には、ドア外枠の骨組みが現在も残されています。

さて、最後になりましたが1900型の前身、900型918号(現1903号?)の貴重な写真を、奥野利夫様のアルバムより提供していただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。



1900型は譲渡された全15両が健在で、1~9が千田車庫に、10~15が江波車庫に配属され、市内線全線でその活躍を目にする事が出来ます。よ~く考えたら、京都時代より広電にいる方が長いんですね(笑)