絶賛妄想中の鋼体化客車の合造車…
妄想だけでは飽き足らず、第1弾となるスユニ61の製作に取り掛かりました。
スユニ61は、昭和40年~42年に、オハニ61、スハニ62、オハユニ61から85両、昭和44年にスロフ53から改造された5両の合計90両が登場しました。
広島地区では、広ヒロの6番と9番がMR管引き通し改造を行ったうえで50系と手を組み、芸備線を往復していたのが有名ですね。
ウチの田舎では、米イモと大ミハの車両がいましたが、急行『だいせん』及び『さんべ』の12系及び20系置換えの影響(?)で、早々とスユニ50に置き換えられてしまいました。
窓埋め加工が多く、窓枠部分をt1.0のプラ板で塞ぎ、その上をt0.3のプラ板を貼り付ける方法で、窓を埋めて行きます。
なお、窓枠部分は大きめに切出したものを嵌めこみ、完全固着後に所定寸法に削る方法を取りました。
取りあえず片側の窓埋めが終わりましたが、まだまだ先の長い工作になりそうです…
参考資料:RMライブラリー№139
妄想だけでは飽き足らず、第1弾となるスユニ61の製作に取り掛かりました。
スユニ61は、昭和40年~42年に、オハニ61、スハニ62、オハユニ61から85両、昭和44年にスロフ53から改造された5両の合計90両が登場しました。
広島地区では、広ヒロの6番と9番がMR管引き通し改造を行ったうえで50系と手を組み、芸備線を往復していたのが有名ですね。
ウチの田舎では、米イモと大ミハの車両がいましたが、急行『だいせん』及び『さんべ』の12系及び20系置換えの影響(?)で、早々とスユニ50に置き換えられてしまいました。
窓埋め加工が多く、窓枠部分をt1.0のプラ板で塞ぎ、その上をt0.3のプラ板を貼り付ける方法で、窓を埋めて行きます。
なお、窓枠部分は大きめに切出したものを嵌めこみ、完全固着後に所定寸法に削る方法を取りました。
取りあえず片側の窓埋めが終わりましたが、まだまだ先の長い工作になりそうです…
参考資料:RMライブラリー№139