まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

大晦日…

2013年12月30日 | 廊下から
2013年も今日で最後となりました。
皆さんにとって、どんな1年でしたか?



来年は皆さんにとって良い年でありますように…

そして、今年1年大変お世話になりました。
来年も宜しくお願いいたします。





今年の総括…模型編

2013年12月29日 | 廊下から
今年の総括、模型編は…

やっぱりプラ完成品に翻弄されました!(笑)

まず、製作した模型はたった1両! 友の会の競作作品のみでした。


クモハ42006

2連基本編成に増結してもよし、クハを連結して基本編成とするもよし…
『プロジェクトU』最後の車両…になるはずでしたが…



これまた欲しかったキットが増えて更に泥沼状態…(笑)
でも、まだ作りたい車両があるしなぁ、終わりはまだ先かな…?



そして来年の競作と…



ネタバレしたプラスα…(笑)



気動車ではトラムウェイのキハ35系気動車が更に増えてしまい、一体どうしたんだろう…?





115系非冷房車と153系新快速色、その出来の良さに手をつけれず…しかしサロ165が手に入ったので、153系の一部を湘南色に塗り替えようかな…と。
ただ、それがいつになるかは?



今年は電機が1両が新たに仲間入りしました。




何故か鉄コレの琴電シリーズが増殖中…
やっぱり、琴電はこの色が、しっくりきますねぇ



そして昨年の競作に続き、駅のモジュールの製作準備も着々と進んでおります。
来年は、いよいよ着工したいですね!


昨年は大暴走の1年であり、その反動で『来年は購入が少ないかも…』などと呟いていましたが、いざ蓋を開けてみると昨年に負けない大暴走となりました(大汗)

そして、鉄コレを除き総括すると…

☆購入

機関車…2両(1両は部品取り)
電車…13両(内キット1両)
気動車…4両

☆売却

貨車(未完成キット含む)…12両


来年は、春以降には客車が増えて、夏の天プラ気動車にも食指がピクピク…

来年も誰かに背中を押されることなく泥沼の奥底に沈んでいくんでしょうね…(汗)



どうやってお小遣い貯めようかな~?

今年の総括…鉄分編

2013年12月28日 | 泥沼より
今年も残すところあと数日となりました。

恒例となりました、今年の総括…行ってみましょう!

【鉄分】
今年一年の鉄分補給は、それなりに出来たと思います。


3月…嵐電でモボ500に出会い編成美を愛でる。


同じく3月…若桜鉄道で約30年振りにDD16と再会する。


7月…秩父鉄道で101系電車を堪能する。


同じく7月…関東鉄道で元キハ30を堪能する。


10月…乗り放題切符で芸備線をブラブラ…

家族旅行も含めて、それなりに補給が出来ています(嫁さんに感謝!)

そして今年は息子の運動会で思うように写真が撮れなかったので、嫁さんから望遠ズームレンズの購入許可を頂き…



70-200mm F2.8のレンズを買って頂きました。但し、当初の購入予定はF4で、勝手にランクアップしたので、ボーナス時のお小遣いが大幅減…(汗)

来年は、撮影旅行は難しいでしょうから、カブに跨って地元で普段撮りをしたいと思います。
そして、たまには広電も撮ろうかね…(笑)


つづく…

田舎電車を作る…妄想編

2013年12月26日 | 工作室から
来年の競作のお題は『アルモデル製小型電車キット』を参加者全員が組立ててみよう…です。
キットはあくまでも素材ですから、電車が出来るとは限りません。気動車かもしれないし、客車かもしれない…もしかしたらダルマさんも…?



勿論、アタシも購入しました。どこか空想の田舎電車を作ってみたいと…


それは、山陰地方の片田舎を走る小さな鉄道…

大正時代に陰陽連絡を目的に計画され着工、昭和初期に部分開業した。
山間部を走るため開業当初から電化されていたが、その後の不景気の影響により建設費が高騰し、開業当時から大手私鉄等から購入した中古車両を走らせていた。
戦時中は沿線で生産される農作物や木炭を輸送する手段として、不要不急路線の指定を受けることなく運行は続けられたが、陰陽連絡の夢は遂に叶うことはなかった。
閉塞方式は開業当初から、票券閉塞とスタフ閉塞方式を併用しており、途中駅で上下列車が交換する運行形態である。

旅客輸送は、電車による単行運転が基本であるが、多客時には付随車を連結して運行している。
主力の電車はデハ10型で、開業当初から活躍する直接制御式の車両で当初は木造車体であった。昭和28年に国鉄工場の手で鋼板車体化、所謂“ニセスチール車”となった。しかし、現車は日車製小型電車と同様の車体となっており、他の車体を流用したものと思われるが詳細は不明のままであり、趣味者を悩ませるところである。

多客時に活躍する付随車は、ハフ1とホハフ2の2両が在籍しており、これらの前歴も謎が多い。
ハフ1は元簸上鉄道の客車と言われているが、似ても似つかないその姿に木造車体を新製していると思われるが詳細はいまだ不明である。
ホハフ2は書類上では元関西鉄道のボギー客車となっているが、台車と台枠の一部を流用しただけの新製車両と思われる。
これら付随車は手ブレーキのみを備えており貫通制動機はない。

貨物輸送は、現在では殆ど無くなり、僅かながらの小荷物輸送を行うのみとなっている。

輸送人員は年々減少し、営業係数は250を超える赤字路線である。車両及び軌道の保守も最低限しか行われておらず、乗り心地も良くないが、地域の足として走り続けている…


って、ここまで妄想したら、既に出来た気分で楽しくなってしもうた…(汗)

【追記…その後】
昭和30年代後半に入ると車両や施設の老朽化が問題となり、特に木造車体が問題視された。そこで電車運転から内燃車運転への転換を図ろうと、国鉄境線で使用されていたキサハ04(元キハ40000)を購入しようとしたが必要両数には及ばないこと、また老朽車両を老朽車両で置き換える事が問題となり計画が中止された。
そして、昭和38年の“サンパチ豪雪”では除雪が追い付かず長期不通を強いられてしまった。幸いにも施設の被害は少なくて済んだが、この時の除雪費用(主に人件費)が更に経営を圧迫する事となる。
やがて施設や車両の修繕もままならなくなり、沿線自治体からの補助金を持っても運行を維持することが出来なくなり、民間バス会社のバス路線を新設すると同時に、鉄道線は営業休止となった。

そして、世間が大阪万博開催に沸く頃、会社は解散し、その歴史に幕をおろした。

鉄道廃止後、路盤は沿線自治体に譲渡されたが、過疎化が始まりだした時期でもあり、特に活用されることなく自然に還った部分も多い。
車両については、デハ10型は地元小学校に寄贈され保存されたが老朽化が進み、後に撤去されてしまった。付随車はハフ1が個人に売却され農業倉庫として近年まで存在していたが、ホハフ2は廃線後のレール撤去用運搬車として使用された後に解体された。





大掃除…

2013年12月23日 | 廊下から
先日は友の会でお世話になっている安東公民館の大掃除でしたが、昨日と今日とで我が家の大掃除をしました。

普段掃除が出来ない本棚(模型棚?)等の裏側も掃除し、今年一年の汚れを取りスッキリしました。

で、今年は本棚を少し大きいものに買い替えたので…



隙間が出来ちゃいました!

で、何を入れるかって?

そりゃぁ、来年のアレですよ(笑)