来年の競作のお題は『アルモデル製小型電車キット』を参加者全員が組立ててみよう…です。
キットはあくまでも素材ですから、電車が出来るとは限りません。気動車かもしれないし、客車かもしれない…もしかしたらダルマさんも…?
勿論、アタシも購入しました。どこか空想の田舎電車を作ってみたいと…
それは、山陰地方の片田舎を走る小さな鉄道…
大正時代に陰陽連絡を目的に計画され着工、昭和初期に部分開業した。
山間部を走るため開業当初から電化されていたが、その後の不景気の影響により建設費が高騰し、開業当時から大手私鉄等から購入した中古車両を走らせていた。
戦時中は沿線で生産される農作物や木炭を輸送する手段として、不要不急路線の指定を受けることなく運行は続けられたが、陰陽連絡の夢は遂に叶うことはなかった。
閉塞方式は開業当初から、票券閉塞とスタフ閉塞方式を併用しており、途中駅で上下列車が交換する運行形態である。
旅客輸送は、電車による単行運転が基本であるが、多客時には付随車を連結して運行している。
主力の電車はデハ10型で、開業当初から活躍する直接制御式の車両で当初は木造車体であった。昭和28年に国鉄工場の手で鋼板車体化、所謂“ニセスチール車”となった。しかし、現車は日車製小型電車と同様の車体となっており、他の車体を流用したものと思われるが詳細は不明のままであり、趣味者を悩ませるところである。
多客時に活躍する付随車は、ハフ1とホハフ2の2両が在籍しており、これらの前歴も謎が多い。
ハフ1は元簸上鉄道の客車と言われているが、似ても似つかないその姿に木造車体を新製していると思われるが詳細はいまだ不明である。
ホハフ2は書類上では元関西鉄道のボギー客車となっているが、台車と台枠の一部を流用しただけの新製車両と思われる。
これら付随車は手ブレーキのみを備えており貫通制動機はない。
貨物輸送は、現在では殆ど無くなり、僅かながらの小荷物輸送を行うのみとなっている。
輸送人員は年々減少し、営業係数は250を超える赤字路線である。車両及び軌道の保守も最低限しか行われておらず、乗り心地も良くないが、地域の足として走り続けている…
って、ここまで妄想したら、既に出来た気分で楽しくなってしもうた…(汗)
【追記…その後】
昭和30年代後半に入ると車両や施設の老朽化が問題となり、特に木造車体が問題視された。そこで電車運転から内燃車運転への転換を図ろうと、国鉄境線で使用されていたキサハ04(元キハ40000)を購入しようとしたが必要両数には及ばないこと、また老朽車両を老朽車両で置き換える事が問題となり計画が中止された。
そして、昭和38年の“サンパチ豪雪”では除雪が追い付かず長期不通を強いられてしまった。幸いにも施設の被害は少なくて済んだが、この時の除雪費用(主に人件費)が更に経営を圧迫する事となる。
やがて施設や車両の修繕もままならなくなり、沿線自治体からの補助金を持っても運行を維持することが出来なくなり、民間バス会社のバス路線を新設すると同時に、鉄道線は営業休止となった。
そして、世間が大阪万博開催に沸く頃、会社は解散し、その歴史に幕をおろした。
鉄道廃止後、路盤は沿線自治体に譲渡されたが、過疎化が始まりだした時期でもあり、特に活用されることなく自然に還った部分も多い。
車両については、デハ10型は地元小学校に寄贈され保存されたが老朽化が進み、後に撤去されてしまった。付随車はハフ1が個人に売却され農業倉庫として近年まで存在していたが、ホハフ2は廃線後のレール撤去用運搬車として使用された後に解体された。