まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

郵便荷物DC

2006年04月30日 | 工作室から
29日は、勤務が早く終了し時間を持て余したので、藤原模型店に出かけました。特に用事は無かったのですが、店に着くと同じ位に問屋から荷物が届き、箱の中から見慣れた『荻原教』の銀箱が4本…
『お~っ キユニ19ぢゃ!』
発売予告から16年(忘れとったが…笑)。待ちに待った美しい金色の車体、速攻で買って帰り自宅で眺めているうちに危うく半田付けするところでした(爆)

競作で作っているキユニ16の他に、まだまだこれだけの郵便荷物気動車が陽の目を見るのを待っております。保管場所を節約する為に、2両が1箱に収まっている形式もありますが、その数は何と13両! まだ同時発売のキニ19が来ていませんが…こんなに作ってどうするんでしょうかね(謎)

えっ? 完成したのはいないのかって? とりあえず四国シリーズで6両あるので、いずれ公開する予定ですよ。 さっさとキハ作ろっと…



くろがね線

2006年04月28日 | 廊下から
昨年夏に、北九州へ遊びに行った際に門タケさまに色々と鉄な名所(?)を案内していただき、私が以前から気になっていた新日本製鐵専用線(通称くろがね線)にも連れて行っていただきました。
このくろがね線は、スペースワールドに初めて遊びに行った時から気なっており、やんごとなき事情(?)で行った時も含め1回だけしか列車を目撃した事がありませんでした。大型電機が幌馬車のような貨車を多数連ねて、最後部にクラシックな箱型DLを連結した姿に圧倒されてしまいました。
色々と、情報を調べてみますと1日に数回しか運転されていないようで、時間も不規則で撮影は難しいとか… 夏の暑い日になる前に沿線で撮影してみたいですね。弁当に水筒と、おやつを持って…(笑)




上の写真は、八幡東区の東田高炉公園に保存してある、E601電気機関車と銑鉄を運ぶトービードカーと呼ばれる大型貨車です。この無骨なスタイルの機関車も、近くで見ると力強さを感じます。
そういえば、この専用線の列車には貫通ブレーキが無かったと聞きましたが、ブレーキホースは一応あるんですね。連結器の解放テコには自動解放のシリンダーもあるようですね。こんな巨大な貨車を突放でもするのでしょうか…(笑)


上の写真は、くろがね線にある宮田山トンネルの八幡側坑口です。詳しくは判らないのですが、北九州の近代土木の史跡とか。さすが日本の近代産業を支える企業が作っただけあって、立派な造りですね。


これは操車場で撮影できた、唯一の車両です。基本的に工場施設にはカメラを向けてはいけないので、ヒヤヒヤしながらの撮影でした。
自分が以前見たDLとは違うスタイルで、他の写真で見たDLとも違います。何タイプの車両がいるのでしょうか…

『くろがね線』は私にとって未知なる鉄道で非常に興味があります。納得するまでじっくりと眺めてみたいですね。

江津点描

2006年04月25日 | 廊下から
先日、8ヶ月ぶりに実家に帰省しました。ブログでも書きましたが、江津駅の貨物引込線の跡や現状を見てまいりました。


江津駅の駅舎は以前と変らず、昔の面影のままでしたが、他の地方都市同様に駅前の空洞化が進行しており、シャッターを閉めた商店や、閉店したまま放置されているデパートなど寂しい状況でした。当然、人通りも少なく町自体の活気がありません。都会に出ている私が偉そうなこと言えませんが…


駅構内を浜田方から望んだ様子です。撮影した場所の背後には、小学校の時の遠足でよく行った“丸子山公園”があり、ここから江津駅を発車する汽車を眺めたり、貨車の入換を眺めた記憶があります。貨物列車が使用していた中線や貨車が留置されていた側線はおろか、三江線気動車が留置されていた側線すら無くなっています。最近は回送列車として浜田へ帰るようです。


気動車留置線が無くなり、ただの空き地となったので三江線0キロポストが間近で撮影できます。なんだか寂しいですね…


江津での古くからの撮影スポットです。江の川にかかる『郷川(ごうがわ)橋梁』を日本製紙の工場の煙突をバックに撮影してみました。この風景は、D51現役時代から変らない風景です。煙突の煙の向きや加減が素晴らしかったのでしたが、列車が来ませんでした…(涙)


日本製紙引込線の入口です。現在では写真に写っている、引き上げ線を兼ねた貨物積込線跡の一部にレールが残っているだけです。他は枕木までも全て撤去されています。数年前までは入換動車も放置されていましたが、再開発による整地と共に撤去されたようです。


上の写真の跨線橋から工場に向かって、廃線跡を望んでみましたが、見事に自然に帰っています。道路から線路跡に降りることは一応可能のようでしたが、とりあえず眺めておくだけにしました。市街地の廃線跡でここまで荒れた所も珍しいでしょうね。


市道の踏切跡から工場に向かって廃線跡を撮影しました。人の手によって植えられたのでしょうか、松の木が多数見受けられました。写真で見ても判るように、かなり育っています。
ところで引込線には、2ヶ所の踏切が存在し江津駅寄りの踏切にはその昔、踏切番の小屋があって、踏切番のおじさんが遮断機を操作しておりました。これは私が小学生の頃のお話で、私の母校である高校であった柔道教室に通っていた頃に見た風景でした。晩年は列車本数自体が減ったので踏切番もいなくなり、列車が一旦停車し操車係が遮断機を下ろして列車が通過する方法に変ってしまいました。

田舎を出て、もうすぐ20年。余りにも寂しくなった光景ですが、私の記憶の中では、のんびりと走る動車の姿がいつまでも残っているでしょう。




貨物列車

2006年04月21日 | 廊下から
今月の鉄道ファンの記事の片隅に、JR貨物が貨物取扱駅の整理廃止駅の一覧が出ておりました。その中に江津駅の名前が…

江津駅は平成9年4月改正まで、新南陽から山口線経由で車扱貨物列車(下り5781~5671~5580列車、上り5581~5672~5780列車)が1日1往復設定されていました。江津駅から専用線が延びており、日本製紙江津工場(旧山陽国策パルプ江津工場)が貨物列車を利用しておりました。
到着貨物は、岩国と南延岡から苛性ソーダ、南延岡から液化塩素が到着しており、以前は速星から液化アンモニアも到着しておりました。発送はハワム車で益田及び美濃赤坂へ人絹パルプを発送していたようです。貨物列車が廃止されて以降、江津駅構内では中線や留置線が全て撤去され、本当に寂しくなってしまいました。

以前から貨物列車には興味がありましたが、某雑誌の影響で私有貨車にも興味が沸き、某店長と各地へ撮影に出かけました。北は大館から南は大牟田や南延岡まで、半分思い付きで行動したものです。最近は車扱列車も減り、興味は以前ほどではありませんが、貨物列車を見ると今もワクワクします。


平成7年11月14日 山口線 青野山~日原


平成7年6月7日 江津


昭和61年頃 波子~敬川

おまけで当時の列車データを。(江津到着のみ)

平成7年6月7日 5580列車

DD51 882(厚)
○ハワム 287896 益田→
○ハワム 380235
○ハワム 284511
○ハワム 288330
○ハワム 285406 新南陽→
 コタキ 24245 南延岡→
 コタキ 24246 
○ハワム 282336 新南陽→
○ハワム 285685 
○ハワム 280176


昭和61年12月14日

DD51 882(厚)
ヨ   8540
○ワキ  5755 益田→
○ワキ  5540
○ハワム 281554
○ワキ  5142
○ハワム 284606
 タム  8526 南延岡→
○ハワム 286650 新南陽→
 コタキ 27772 岩国→
 コタキ 12855

○…空車


おまけ… 私はこれで不審者扱されました(涙)

キハ35系

2006年04月17日 | 廊下から
最近は模型で『ゲテモノ気動車』にハマっている私ですが、それらの気動車列車の写真を眺めていると、ゲテモノ以外で目に付く車両が通勤型気動車のキハ35系ではないでしょうか。
これらは、電化前の千葉や奈良で大活躍し、八高線電化で引退する際には一部雑誌等でも騒いだ形式ではありますが、全体的には地味な存在ではなかったのでしょうか? 現在ではJR線上では久留里線のキハ30が3両見られるだけで、大量に払下げを受けた関東鉄道に若干が残っているだけですね。

私が初めて通勤型気動車を見たのが、小学6年の時に大社線で見たのが初めてでした。実際に乗ったのは、社会人になった昭和63年に、山口線でキハ30-82に乗ったのが最初で、翌年には今は無き大嶺支線でキハ30ワンマンカーに乗りましたが、何と乗ったのはこの2回だけ…撮影したのは、たった4両でした。今となってはどうにもなりませんが、もっと真面目に撮っておけばよかったと後悔する形式です。


キハ30-82 S63年夏 山口線のどこか…


キハ30-83 H元年2月頃 大嶺


キハ35-198 S63年12月 高松


キハ35-137 H元年 加古川(車内より撮影)

このうち、JR四国のキハ35系は、たった4両が徳島区に在籍した稀少形式で、初めての四国で目にした割には、こんな写真しか撮影しませんでした。やはり、普段からきちんと撮影しておくことが大切だと痛感しました。

実物をしっかり見なかった分、模型で頑張って手元に残そうっと…