まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

582号で見たもの…

2008年02月29日 | ひろでん
先日、いつものように宇品で仕事をしており、予備車留置中だった582号に目をやると、何やら見慣れないものが…


千田車庫にて

582号といえば元神戸市交通局500型で、ワンマン車だった17両が昭和46年に広電にやって来ました。老朽化等の理由で廃車が進み、現在では582号のみがラッシュ時を中心に運行しております。
単車の中では最も大きな車体を持ち、収容力も大きいのですが、客扱いに手間取る、運転し難い等の理由から乗務員に敬遠され、日中に走る姿は滅多に見る事が出来ません。

さて、ウンチクはこれ位にして本題に入ります…
570型の台車は言わずと知れた、『ブリル77E』台車で米国J・Gブリル社製の路面電車用台車です。この台車には米国製のものと、日本でコピーされたものとの2種類が存在するようです。これをどうやって区別するのかは、生憎判らないのですが…


582号台車

582号の台車の製造はどちらか判りません。しかし、車輪の輪心に『USA』の鋳抜き文字がありました。他にも何やらアルファベットが… 他の車輪には判読不能の文字や『2008』の刻印があり、何やら想像力をかき立てます。


USA62の鋳抜き文字

本来、この部分は油と泥や埃にまみれて非常に汚れており、全検時のタイヤ交換(焼き嵌めの際に火で炙る)でもしない限り、汚れは落しません。
車輪自体を交換することもあるでしょうから、一概には言えませんが、輸入台車が存在したのでしょうね… そういえば、575~577号を解体した時に台車を1両分、アメリカの博物館に寄贈したはずです。


台車銘板

一応、台車銘板も存在はしますが、エッチング板のようで長年の塗装で、これまた判読不能です。リムーバーをかけてやりたい衝動もあるのですが…(笑)

ウィキペディアの『ブリル』の項目を読んでみると、ブリル社から日本へ輸入されたのは1900年代初頭から1930年頃とありますから、この車輪は少なくとも80年間働いている事になります。長持ちするんですね~

皆さんも、582号を見かけたら台車を覗きこんで見てください。ただし、不審者に思われても一切責任は取りませんよ(爆)


10系DC…2

2008年02月27日 | 工作室から
今日は珍しく定時に仕事が終わり、居残り乗務も頼まれなかったので、さっさと帰宅しました。15時過ぎからゴソゴソし始め、夕方には…


うわぁ! 3両だよ…(汗)

と、一気に作った訳ではなく、仕掛かりのまま放置プレーとなっていた2両を手直ししただけです。


荻原教キット10年もの…(笑)

10年位前に面白半分で作った、キハ11初期車とキハ18後期車です。キハ11はウィンドシルの貼り付け方が気に入らなかったので、剥いでそのまま。キハ18はとりあえず形にしてみたかっただけなんです(笑)

必要最小限だけ磨いてハンダ付けすると、程好くすっぱい匂いに、もうメロメロ…(謎)


とりあえず手直しして…

手直し後に、車体を覆っていた“コーティング”を落して見ました。後は手摺を取り付けたら艤装です。

ある方より『これは、生産予定の33両の内ですか?』とのご質問を頂きましたのでお答えします…

『いいえ…』 …ちゅど~ん!!

10系DC…1

2008年02月26日 | 工作室から
マニ37も折れた発電機の交換も終わり、残すは塗装だけとなりました。しか~し、寒波は容赦なくやって来るので、塗装なんて出来るわけ無いですよね~?

と、いう訳で何か工作をと“沼”を物色していたのですが…全ては、今月の『鉄道ファン』と『ピクトリアルアーカイブス』が悪い!危うく失血死するところでした(笑)
あれだけ、気動車のウンチクを読まされて、挙句の果てにはキニだのキユニだのが“カラー写真”を見せられて… やるしかないでしょう!(爆)

ここの所、それこそ郵便荷物車ばかり作っていたので、久々の旅客車を作ってみようと思い、島鉄シリーズ以来の10系気動車を組んでみました。あわよくば競作にもなるしね…(謎)
とりあえず、今日はキハ17後期車がここまで進みました。島鉄シリーズから数えて6両目となるこの車両、実は初めて作るグループなんですよね。実車は、幼少の頃に見た車両で浜田区には399番と400番が在籍していました。確か400番は朱色1色だったような…? 今回は色々な編成を楽しみたいので、2色塗りで行きます。


やっぱり“バス窓”がエェですね。


WC窓が大きな特徴

今日は朝から、お面を5枚作った上での工作です。しばらくは、細身の彼女達で楽しませて頂きます(爆)

U山『何だか、誤解されそうな表現ぢゃが…?』
まろ『言うのはタダぢゃからね…』
U山『・・・』

練習中…

2008年02月25日 | カブ
私がカブ主(ネット上ではこう呼ぶらしい…)となって、はや1ヶ月… まだ寒い日が続きますが、週に1度は“街乗り”の練習に出かけてます。
今日も、宇品界隈から元宇品へと走らせ、某ホームセンターでお買い物して一旦帰宅。そして、初めて電車道を越えてF原模型店へ向かいました。


携帯で記念写真…(笑)

交通量が多い場所を避けて、駅前通りから京橋川沿いを抜けて、駅西高架橋を越えるコースを取り、帰りは比治山線を通り御幸橋を越えて帰宅。今まで気にしなかったのですが、『2段階右折禁止』の標識が多く目に付きました。営業車ではないんですから、コースを決めてしまえば問題ないんですがね…(笑)

毎週、少しづつの練習で課題も見えてきて、坂道にさしかかった時のシフトダウンのタイミング習得が目下の課題です。

そうそう、今日帰ってから燃料計を見たら、満タンだった燃料が1目盛りの半分位だけ減ってました。納車時がほぼ満タンで、今日まで走った距離が約63キロ、それでこの減り具合。念のため蓋を開けてみると、燃料の液面から減った形跡は少ないし… 以前乗っていたスクーターが、約3.5リットルの燃料で100キロ程度走れたんですから、それから考えると、ものすごい燃費の良さですね(驚)

バイク屋さんは『3リットル入ってるよ』と言って納車してくれました。次回給油時まで何キロ走るか楽しみですね。

本日の走行キロ:26.5km

バス窓の…

2008年02月24日 | 廊下から
来月の島原鉄道一部区間廃止に伴い、同鉄道のキハ20が全車引退します。
お別れに行く事は出来ないのが残念ですが、以前(と言っても、16年前…笑)訪れた時に撮影した写真の中から、自社発注車でバス窓の01と02の画像をどうぞ。


キハ2001 諫早 平成4年8月7日

初めて訪れて、そして乗車したのがこの車両でした。久々のキハ20、そしてバス窓の車両に興奮した事を覚えております。それよりも、“ブタ鼻”ライトではなく原型ライトに思わず涙が…


キハ2002 南島原 平成4年8月7日

諫早から乗車した列車は、南島原で加津佐行に連絡しており、キハ2002がホームで待機しておりました。これもこの頃は原型ライトでした。


キハ2001運転席

自社発注のキハ20は国鉄線乗入れ用であった為、機器配置は国鉄車に準じております。しかし、よ~く見ると古めかしい感じがしなくもないですが…(笑)

マスコンとブレーキ弁の間に、押しスイッチが見えますがこれは国鉄型ATSの確認スイッチなのでしょうか? そういえば、国鉄型ATSも必要方向のみの設置であったため、車両によって向きが異なり、両側に付いていたのは5506だけだったと、古い雑誌で読んだ記憶があります。


2001の台車 南島原機関区 平成8年5月11日

01と02の台車は、新製当初はDT-19C・TR-49Cでしたが、後に国鉄から購入(?)した台車に交換されました。ところが、01のみがDT-22・TR-51を履いておりました。確か島鉄ではこの1両だけが履いていたと記憶します。まぁ、違いと言えば、台車枠の形状だけなんですが…
他にもベンチレータの違いがあるようなんですが、比較する画像がございません…(汗)

一足早くお星様になった、バス窓のキハ20。懐かしいですね~ 
ここで決めゼリフ…『キットはあるが、まだ組んでない!』