まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

駄作シリーズ…DD16

2007年05月30日 | 工作室から
『古の山陰シリーズ』の貨物用牽引機に、DD16が在籍しております。この車両は珊瑚製バラキットを組んだもので、今から6年前に完成しました。

DD16と言えば中国地方で唯一、米子機関区に配置され浜田に常駐し、浜田と益田入換、浜田港線の貨物小運転、そして三江線の貨物列車に活躍しました。
私の中では、三江線貨物列車としてDD16が浜田からワフ1両を牽引してゆく姿を幾度と無く目にしており、それを再現したい…そう思って、珊瑚のキットを購入しました。確か当時は『10数年振りの再生産』と言われていましたね。


浜原行は1END側を前にして…

珊瑚製のキットはこの時初めて組んだのですが、動力部分の組立調整には大変苦労しました。
駆動方法は、モーターから伸びたシャフトでウォームギアを回転させ、複数個の平ギアで車輪を回転させるのですが、ギアボックス自体をハンダ付けとネジ止で組み立てる為、特に軸の平行を出すのが大変でした。難点はウォームのシャフト側の軸受けをネジで固定する為、シャフトを差し込んでネジ止する際に軸受けが微妙に回転し、シャフトが動かなくなりました。これは軸受けの寸法精度が良すぎるのが原因なので、軸穴を約0・5ミリ拡げ問題を解決しました。走行時のウォームの振れを心配しましたが、シリコンチューブが見事に振れを吸収しております。


真横から…

車体は基本的に素組みなのですが、浜田仕様に近づける為に少しだけですが、下記のディテールアップをしております。

☆ナンバープレートを帯材から切出し。
☆タブレットキャッチャー取付。
☆ホイッスルカバーを自作


2END側から…

久々に箱から出すと、正面手摺のイモ付け部分が外れておりました。修正するついでに、DCCデコーダを搭載してやろうと思っています。本当は補重もしてやりたいのですが…

箱書きを見ると、この車両は平成12年10月31日購入、平成13年4月12日完成とあります。私としては異例の速さでの完成ですな。
で、そんなパワーはいずこへ…?

“とおー”が行く

2007年05月27日 | 廊下から
昨年夏以来不通となっていた、三江線江津~浜原間で6月16日の全線復旧に向け試運転が始まりました。

試運転初日である26日には、後藤総合車両所のDE10-1159号機が単機で走りました。この日は実家に帰省していたので、時刻表で列車の合間を推測して、8時半に江津へ出向きました。江津駅から沿線を歩きながら、列車が走った形跡がない事を確認し、江津本町へ向かい歩いていたら、第2江津踏切で係員が居るのが見えたので、列車通過が近いと思い急いで、同踏切まで移動しました。


現場で待機する係員

作業の邪魔にならぬように、しばらく道端で列車を待っていると係員の無線機から『発車5分前』の声が。これで時間が判ると安心したのもつかの間、『江津発車!』の声を聞くと今度は一気に緊張が…遠くにライトの光が見えると緊張感は最高潮に… 『腹が痛くなるなよ』と念じつつ列車通過を待ちました(笑)

警報器が鳴り始めると、列車が江津本町駅に停車。そしてゆっくりとした足取りで目の前を通過しました。


第2江津踏切に差し掛かる試運転列車

撮影しながら何気なく機関車の方向を見ると…何と区名札が『米』ではなく、浜田機関区の『浜』になっているのでビックリ! しかも、相当古い札で一見して蒸機時代のものと想像できました。わざわざ替えたのでしょうか? でも、私はこんなお茶目が大好きです(笑)


ちょっと判り難いのですが… って、プレートが白いぞ!


川本方面へゆるゆると走り去る…

走り去るDE10を見ながら、『やっぱり“とおー”ぢゃ、いけん! 三江は16ぢゃろ!』そう思うのは私だけではない筈…(爆)

全通したら乗ろうっと…


“大森”銀山…

2007年05月27日 | 廊下から
最近の島根県の話題と言えば、石見銀山の世界遺産登録の申請云々ではないでしょうか? ウチの方では、『石見銀山』より、地名でもある『大森銀山』と言った方がしっくりきます。

さて、そんなこんなの騒ぎにつられて『大森銀山』に行って見ました。本当は、お母様に『ごま豆腐を買ってきて…』と、お使いを頼まれたんですが…(笑)


大森代官所跡(現石見銀山資料館)

大田市駅から大森方面へのバスが出ているのですが、駅に着いたらバスは出たばかり、仕方ないのでタクシーで、大森代官所跡に向かい、ここから歩く事にしました。


ヤマへ向かう道

町並みも保存されているのでしょうか、何だか懐かしい風景に出会えたような気がします。


雑貨店には懐かしいタバコ売り場が…

町並みを抜けると、まずは江戸時代の精錬所『下河原吹屋』跡が見えてきます。当時の建物の礎石が発掘されて展示されています。


展望台から

更に奥へ進むと、明治期に建設された『清水谷精錬所』跡があります。説明板によると僅か1年半しか操業しなかったそうで、建物があった石組みにも圧倒されますが、上部にはトロッコが2本あったとか。廃線跡巡りは絶対に無理でしょうな(笑)


テラス状の石段が精錬所跡


間歩跡

採鉱していた坑道の事を『間歩…まぶ』というそうで、このような間歩が大小500以上あるとか。その中の一つ『龍源寺間歩』は現在通り抜けが出来る唯一の間歩です。
実際に入ってみましたが、ノミで掘った跡が生々しく残り先人たちの苦労を…と、想いに浸る前に『狭いよっ!暗いよっ!怖いよ~!』…って“アンタは面○終○郎か!”とツッコミを入れながら足早に通り抜けてしまいました。あ~怖かった(汗)


龍源寺間歩入口


内部


このように枝分かれしてます。


シャトルバス?

代官所跡から龍源寺間歩まではバスが運行されています。私は片道3キロの道程を往復歩きました。バス移動も良いですが、歩かないと判らないこともあるしね…



『ごま豆腐』もですが、大森銀山と言えば『げたのは』を忘れてはいけんでしょう。ウチの婆ちゃんや親父が好きなこのお菓子。カラメル味で素朴な味わいですが、昔はもっと甘ったるかったような気が… 銀山に行かれたら是非どうぞ。

ここでは珍しく“非鉄”なネタでした。

U山『銀は非鉄金属ぢゃからね…』
まろ『・・・』


変わり行く“浜田”

2007年05月26日 | 廊下から
急な用件が発生し、帰省を1日半早めました。高速バスから降り立ち浜田駅構内に入ってみると、旧機関区施設の撤去作業が行われていました。
『出雲』号が来なくなり、本線から分断されて放置されていた施設も遂に消えてしまいました。漁業の町でもあり、鉄道の町としても栄えた浜田ですが、また一つ面影が消えて行った様な気がしました。

敷地は再開発されて、浜田医療センター(旧国立浜田病院)が移転するそうです。こんな所の病院なら、入院しても退屈しない…そう思うのは私だけ?(笑)


研修庫があった場所


左手には転車台がありました。

浜田駅前には、地元伝統の石見神楽が時を知らせる、仕掛け時計があります。時間になると『大蛇』の一場面が再現されます。何度見ても飽きませんね。


某所でしゃがんでいて、お囃子を聞いて慌てて撮影しました(笑)


広島に帰る日、駅前に阪神電鉄の訓練車が…。

実家では忙しい時間を過ごしましたが、それでも少しだけカメラ片手にウロウロする事が出来ました。

アングル取り付け方

2007年05月20日 | 工作室から
当ブログとリンクさせていただいております、『工房ひろ』様の掲示板にて、アングルの取り付け方法が話題となっておりました。
ここで、当工房でのアングル取り付け方法を紹介してみようと思います。


KTM製アングル取付治具

以前はエコー製の治具を用いておりましたが、取付寸法の設定が煩わしいのと、アングルのネジ穴にタップを立てる事に手間取る理由から、使うのを止めた経緯があります。
また、当工房では客車と気動車製作が中心なので、3・0mmと2・5mmに調整した2個の治具を準備しております。

KTM製品はご覧のような使い方をしますが、治具はあくまでも仮止めに使用するのみです。そうしないと治具が熱を持ち大変な事になります(笑)
手順としては、最初に車体中央部分を止めて、続いて端を仮止めします。その後ピンセットで押さえながらハンダ付けを行いますが、アングル自体の微妙な熱膨張に対応する為に中央部から端に向かってハンダ付けすれば良いと思います。また、こまめに定規を当てズレが無い事も確認しております。



当工房では、アングルを別の補強材としても利用しております。画像は『篠原の精密アングル』を適当に切断したものですが、これを妻板の裾の内側にハンダ付けし、車体下部から妻板が外れる事を防いでおります。この部分は意外と応力がかかっているようで、外れやすいので補強は大切だと思います。

以上の画像は、昨年の競作を作る際に記録していたものです。やっと陽の目を見ることが出来ました(笑)