まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

懐かしの列車…カートレイン

2006年10月30日 | 廊下から
いつも眺めている客車の掲示板を見ていると、カートレインの話題が… 登場した当時は、自家用車と一緒に移動が出来ると話題を振りまいたのですが、消えて早何年経つのだろうか…

私が初めてカートレインを見たのが、就職した年の昭和63年。当時は広島発着のワキが2両連結されていて、最も編成が長かった時期ではなかったでしょうか? 登場時から旅客用にナロネ21を用いており、20系ロネをじっくりと眺める最後の機会でしたが、本当に見ただけでした…(涙) 
ワキ10000も真面目に撮ってない。見るもの全てが珍しかった田舎者だったので、しょうがないか… ビデオは撮影しているので、それで良しとしよう。


下りカートレイン 安芸中野


ナロネ21 広島


ワキ10183 広島 全て昭和63年撮影

先に言っておきますが、天プラのワキ10000は買わんよ!

天賞堂EF58

2006年10月28日 | 工作室から
先月、ダレヤメの肴となった“天賞堂EF58”のレストアが終わり、新たに客車列車牽引機の仲間に加わりました。

今回はそのレストア内容を紹介します。


↑大きな画像になります。

この車両は、7年近く前に某所で購入した『天賞堂EF58最終タイプ』の新古品で昭和57年の製品ではないかと思います。まずは車体を分解し、小物類のパーツを取り外した後に車体の塗装を落とします。ウチの仲間ではこの作業を『シンナー、ドボン。』と言いますが…(笑)
この頃の製品は、一部のパーツにプラパーツを用いており、経年により塗膜が剥げ落ちている箇所もあったので、数年前に天賞堂から分売パーツとして発売され、購入しておいた『EF58SG機用パーツ』を使い、SGダクトやハッチ等を交換しました。同時にランボードやベンチレータをジャンクキットの金属パーツに交換、屋根上の水切りを真鍮線で新設しました。
製品では正面窓を塗装で表現をしていましたが、立体感に乏しかったのと若干窓の幅が狭かったので、横に少し拡げてHゴムをΦ0.2の真鍮線を使い現物合わせでハンダ付けをしました。これに合わせて正面水切りも修正しています。




続いて足回りの改造ですが、モーターをMV-8からEN-22に交換し走行性能を上げました。ただし、モーター軸の径が小さいので真鍮パイプをはめ込み、既製品のシャフトが使えるように工夫しています。この方法はFおぢさん直伝で、当鉄道の天賞堂旧製品は全てこの方法で足回りの性能を上げています。
今回は、将来のDCC対応に備えて前照灯をLEDに交換し、それまでのプリント基板を廃し、コネクターで結線しました。これで接触不良による、ちらつきも無くなりました。
今回は、仲間が持っていないタイプのEF58を作るといったコンセプトなので、先台車はBONAのパーツを用いて鋳鋼台車に交換しました。軸箱部分を残しイコライザー部分を平面に削り、パーツの欠き取り部分に合うように全体を整えながらはめ込み、エポキシ系接着剤で固定しています。


下から見るとこんな感じ。

塗装までの下処理として、車体をトイレマジックリンで磨きます。これだとハンダ部分の腐食が無いので安心して車体が磨けます。そして、シールプライマーを吹き1週間かけて完全に乾燥させてから塗装に入ります。これは、ラッカー系のシールプライマーと私が使うアクリル系のプラ塗料とでは、乾燥時間の差による塗膜の硬化の度合いが違い、塗膜のひび割れの原因となるからです。
先程も書きましたが、私はラッカー系塗料の扱いが苦手なので、プラ塗料を用いています。クリーム色はGMカラー、青15号はモリタの製品を用いています。モリタの青15号は色合いが気に入っていますので、当鉄道の標準塗料としております。
塗装後に、飾り帯を磨きだしてGMのクリアー(№44)を吹いて全体の色調を整えています。

正面ナンバーの切り抜き文字はTomix製品を、横のプレートはだるまや製品を用いています。細かいディティールアップは行わないつもりなので表記類は入れてありませんが、エンド表記位は入れようかなとも考えています。



購入して完成するまで6年数ヶ月…やっと陽の目を見たEF58。浜松の5号機なので荷物列車牽引で楽しめますな。おっと、『いなば』『ちくま』を忘れちゃぁいけませんな。客車をしこたま作って『高千穂・桜島』もいいかも…(爆)


徳山曹達の黄色

2006年10月26日 | 廊下から
またまた、タンク車の写真を。とても人様に見せられる写真ではありませんが…(汗)

で、青列車さまからご質問のあった徳山曹達の黄色いタンク車がこれです。撮影したのは、昭和59年夏と60年冬だと思うのですが、何と中学生の頃なんです。こんな頃から貨車を撮っていたら、こんな大人になります(爆)


タキ75473(ヨの手前)他 昭和59年夏 波子


タキ115460 昭和60年冬頃? 波子~敬川

しかし、こんなクソ写真も時代が経つと役に立つ事もある…のかな?

高宮今日子さまのご好意により、徳山曹達所有のタキ5450の画像を提供していただきました。ありがとうございました。


タキ105485 平成元年撮影 大竹

味タム

2006年10月25日 | 廊下から
青列車さまのブログで懐かしい貨物列車の写真があり、舐めるように見ていると独特の手摺のタンク車が… 『味タム』と親しまれたタム5000が写っているではありませんか。

数年前にタンク車ブームなるものがおこり、そのマスコット的(?)な存在であったのが味タムでした。小さなタンク体に檻のような手摺、そんなのが貨物列車に連結されると大変目立ちました。広島でも最後まで見ることが出来、当時の3861列車(川崎貨物発新南陽行)のしんがりを勤めている姿を追いかけた事もありました。




そのタンク車ブームにのって、味タムの模型まで発売されて、嬉しげに3両も買ってしまったのは何を隠そうこの私です(笑) もう一人、キットを買った人を知っていますが、それが誰かは口が耳元まで裂けても喋れない…出来たのでしょうか(爆)
値段はあえて書きませんが、今考えるとよく思い切ったものだと感心します…ってゆうか、本当におバカですね(笑)

実物写真があるかと思いきや、走行シーンの映像はあったのですが写真が見つからなく、ごっぱぁ様に昔頂いた写真を本人了承の上で貼り付けます。ごっぱぁさま、ありがとうございました。


タム6071 岩国

毎度思う事ですが、もう少しマジメに撮っておけば良かった…

赤ヂーゼル

2006年10月24日 | 廊下から
高宮さまのブログの山陰紀行を拝見していると、望郷の念がひしひしと…
9月は、やんごとなき理由により帰省が出来ませんでしたが、やはり都会を離れて田舎の空気を吸いたい、それが私の願望ともなってきました。それだけ歳をとったということでしょうか…

山陰の気動車は、高速化事業に伴ってステンレス製の新車に替わったと思われがちですが、まだまだ輸送力列車として国鉄色のキハ47も頑張っております。
米子界隈ではキハ47×4連もいるようですが、島根県西部ではキハ47×2連ではありますが朝夕に運用があり、一部では旧国鉄色同士の交換も見られます。後藤所の気動車は『JRマーク』を省略しているので、一見すると国鉄時代そのままにも思えます。
経費削減を謳うなら朱色一色でいいのに、なぜ塗り分けるのでしょうかね…?


右135D 左334D  8月9日波子にて

国鉄時代は嫌われた朱色一色ですが、私が子供の頃は『赤ヂーゼル』と呼び、あたかも新車のように思っておりました。因みに一番最初の朱色一色の車両はキハ17、それでも新車と思っとりました。やはり視覚効果は大きいのでしょうか…?