まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

久々の『12系』

2007年07月29日 | 廊下から
7月28日は、私の○○回目の生誕祭の日。どこぞの将○様だったら、皆が涙を流しながら祝うのでしょうが、私の場合はおふくろの『はぁ~』の溜息一つで終わってしまった…これ以上は何も言うまい(笑)

それはさて置き、28・29日に渡って『三江線全線運転SAIKAI号』が江津~三次間を往復しました。車両は京都の12系2両を後藤のDE10で挟んだ4両編成でした。三江線の12系入線は『SL江の川号』以来ですから10年振りでしょうか?
撮影場所は何処にしようかと前日まで散々悩みましたが、28日の三次行はいつもの第2江津踏切で、29日は江津(?)橋梁でと決めました。28日は次の日の為のロケハンも兼ねて早めに現地に入り、入念に下見をし翌日に備えました。


三次へ向かう『SAIKAI号』 江津本町~千金

同じく後追いで…


江津へ帰ってきた『SAIKAI号』 江津~江津本町

ただでさえ本数の少ない三江線での撮影なので、キハ120の定期列車も一緒に撮影してきました。そして撮影場所の紹介も一緒に…


442D

石見特産の石州瓦と江の川、中国山地の峰々を背景に入れてみました。午前中は逆光気味となり、正午過ぎに屋根瓦に良い感じで光が当ります。手前の電線が若干気になりますが、カメラポジションを若干低めにとると気にならなくなるのでは?
場所は、元造り酒屋横の路地を入ると、山肌に沿ったコンクリート壁に上がる階段があります。しかし、かずらが茂ってきているので、来年以降は上がれなくなるかも…


445D

ここは以前から気になっておりました。江津本町のトンネル入口付近から鉄橋を望みました。場所は、たたみ店裏の小川を渡り、『二楽閣(じらっかく)跡』という建物跡から撮影しました。午後は逆光なので午前中~正午頃が良い感じになるのでは?

2日間のクソ暑い中、久々の三江線客レ入線をしっかりと堪能できました。ただ、28日にあの撮影場所で、5分前に慌てて来たグループの一人が、何と私の立っている目の前へ無理矢理、三脚を立てたのには驚きました。

当然、尺八の音色が聞こえ、手に持った扇子を落すが如くの怒りが… みなさん、最低限のマナーは守りましょうね。

浜田点描

2007年07月24日 | 廊下から
急行出雲さま、お待たせしました。昨年夏に撮影しました『浜田駅』です。華やかな頃を知っておられるので、唖然とされるでしょうが…


昔とほぼ変わらない駅舎
 

旧バス通りより…

手前の空き地には側線があり、823列車に使う下関区の客車が留置されていました。その奥の駐車場には、市場があり活気がありました。
私が2~3才の頃、親がこの市場で買い物中に私が行方不明になり、警察を呼んでの大騒動となりました。散々探した挙句に母親の直感で駅構内を捜したら、ホームの先端に座って汽車を眺めていた私が居たそうです。そんな昔話の舞台でした(笑)


旧田町踏切の手前。農協倉庫付近から…

同踏切から、スーパーまつかぜ号

向かって左側の線路が旧貨物側線に向かう線路で、旧田町踏切とこの踏切を塞ぎ本線上で突放作業を行っておりました。


旧客貨車区

洗浄線にはいつも『出雲号』の客車が留置されていて、ここで整備を受けていました。浜田の客車は広域運用であった為、予備車も多く並んでいた事が思い出されます。

ここの再開発が終ったら、一体どんな姿になるのやら… こじんまりとした田舎駅になってしまうのでしょうね(息)


10年振りの『フェ○ーリ』

2007年07月21日 | ひろでん
当サイトのヘビー級読者、『ひろさま』のご依頼により、602号による貸切電車を運行しました。しかし、広電では前代未聞!?“たった一人”で電車を貸切られました。故あって私がハンドルを握りましたが、私もこんな仕事は初めてです(笑)

私の記憶では、600型のハンドルは江波車庫移動後には握った記憶がありません。最後にハンドルを握った日を乗務手帳から調べてみると…

601号(廃車)…平成10年2月20日 3号線1回
602号…平成9年10月29日 1号線1回

何と今回は10年振りの乗務でした(驚)

さて、今回の乗務に併せてネチネチと撮影してきました。600型は昭和51年に千田車庫火災消失車(552・902・1101)の補充として西鉄北九州市内線より3両購入した元500型です。当時の雑誌記事によると、コントローラーやパンタを名古屋市交から、座席ヒーターは仙台市営から購入したとのことで、前照灯も発生品と交換しているとか…
603号は皆実町での衝突事故により廃車となり、601号は5000型導入による代替廃車、現在は602号が朝ラッシュ時を中心に7・8号線で使用されています。


外観


台車

冷房改造時に元大阪市電の住友台車に交換しましたが、以前のオリジナルの台車はとてもブレーキの利きが悪く苦労したと、先輩運転士から聞いた事があります。そりゃぁそうでしょう、60㎞/hの高速運転を行っていたのですから… 北九州市内線に初めて乗ったとき、あの制動距離には驚いたものです。


移籍銘板


視界が余りよろしくない運転席


相変わらず、狭い…

その昔、北九州市内線の教習所所長さまとお話しする機会がありまして、元500型は絞った車体のお陰で見通しが悪く扱いに困った事、その車体故にワンマン化も行われず、大型で収容力が大きいにも拘らず廃車となった等、昔話をお聞きする事が出来ました。


タワーをバックに… 千田車庫


広島港Aホームにて…

今回の貸切コースは、江波~千田~広島港~西広島~横川~江波の遠洋航海でした。私も10年振りの『フェ○ーリ』の感触を充分に堪能させていただきました。しかし、ここまで足が遅かったかなぁ…?

U山『フェ○ーリって何?イタリア空軍の少佐か?』
まろ『そうそう、ポルコの戦友で…って何でやねん!千田ではそう呼んでいたの!』
U山『足が遅いのに…』

ひろさま、この度はご利用頂きありがとうございました。そして、それに付き合わされた彼女さま、この暑い中、大変お疲れ様でした(爆)



2代目ストーブ列車…4

2007年07月16日 | 工作室から
今日、岡山の某模型店から届いた荷物を開けて見ると、息が止まりそうになったと言うか、後ろから思いっきり殴られたというか…そんな衝撃が…(笑)

まぁ、何とは口が耳元まで裂けても言いませんが、注文したキットと一緒に、塗料缶が届いたんです。でもラベルを見てビックリ!!!

『んっ? 津軽鉄道…?』


ラベルに注目っ!

何で知っているんでしょうか? 津軽鉄道の客車を作っている事を…(謎)
荷物と一緒に入っていた書面には一言も書いてありません。怖いですねぇ…無言の圧力(笑)

U山『アンタが、早う作らんけぇぢゃろ!』
まろ『いやぁ…今は気動車がマイブームで…汗』

でも、本当にありがたい贈り物でした。津軽鉄道の実物を知らないんで、色が意外に難しいんですよね… この好意には、きちんと応えないといけないですね。 とりあえず、車体を磨いとこっと…



琴電2000

2007年07月16日 | 廊下から
さて、怒涛の琴電制御車シリーズも最後となりました。最後は2000型230号です。

この車両は昭和28年に国鉄から購入したクハ300型で、その前身は宮城電鉄サハ300でした。琴電入線後は2000型210・220・230となりなした。
当初は木造車体でしたが鋼体化の対象車両となり、230号がバス窓を多用した姿となり、続いて220号が鋼体化と同時に電装され60型67号となりました。210号は鋼体化工事を受ける事無く昭和44年に廃車となりました。


230+100 長尾 平成元年撮影


230+335 沖松島~春日川 平成5年5月11日


230+345 志度線 琴電屋島 平成9年4月23日

鋼体化後も琴平線で活躍しておりましたが、昭和47年に志度線に転出。50年からは長尾線でも使用されましたが、平成6年の路線改良では志度線用となり、345号と組んで使用されましたが、平成11年に600型と代替となり345号と共に廃車となりました。

個性豊かな制御車達はいかがでしたか? これら以外にも、二重屋根だった610号、恐ろしく狭い運転席だった90型、ヒョロっとしたスタイルの920号など、もっと個性的な車両たちにも会って見たかったですね。

参考資料:JTB刊『琴電 古典電車の楽園』