まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

断捨離…できるかな?

2015年07月26日 | 廊下から
えっと上手でもない写真を撮り続けて30ン年…

最近はデジカメオンリーなんで、撮った画像の保管も、さほど苦にはならんのですが、それ以前に撮ったプリントとそのネガの保管が限界を超えてしまい、いよいよ本気で断舎利をしないといけなくなりました…(汗)

プリントのスキャニングには困らないのですが、プリンターを更新して以来、ネガとポジのスキャニングは出来ない状態が続いておりました。

ある日、たまたま楽10市場を覗いていたら、何だかよさそうなモンがあったんで、ついポチッとな…(汗)



サンワサプライ製のネガフィルムスキャナー

読み込んだが画像の画素数は1400万画素でアタシ的には申し分ないのですが、手動で差し込んで1枚1枚スキャンしていく手間はどうなのかな…? ココが引っ掛かって購入を躊躇してましたが、価格相応なのかなと割り切って購入してみました。



で、試にポジを全て(約250枚)スキャニングしてみましたが、僅か3~40分で終わってしまいました!

そして、ネガも試しにスキャニング…以前住んでいたウチは、そりゃぁもう湿気が酷く、ネガはかなり傷んでいるかと思いましたが意外と大丈夫でした(驚)


ネガ(平成2年8月29日撮影)


ポジ(平成6年頃撮影)

製品付属のソフトは使い難かったので、普段使っているフォトショップで画像処理してみました。僅かなレタッチでここまで出来たんで、まずは合格です!

プリントは湿気で、かなりやられてるみたいなんで、ボチボチとネガスキャンしていこうかな…最近ネタもないし(大汗)






懐かしの暖房車

2015年07月21日 | まろねふ映画社
幣ブログの超常連糸目姐さんのブログで、元神戸市電の話題が盛り上がっているので、アタシも協賛×・・・便乗して懐かしい動画を公開しましょう。



このクソ暑~い時期にうってつけ!(笑)

旧宇品電停や、広大付属学校前の平面安全地帯や歩道橋が懐かしいですね…

客車のプラキットを楽しむ・・・2

2015年07月20日 | 工作室から
3連休最終日…家族全員でお出掛け。

…なんですが、アタシはテイクアウトしたお仕事が山積みなんで一人お留守番。
しかし、意外と早く終わったので、残った時間で鋼体化客車の工作しちゃいました(笑)

頭の中では、鉄道記録映画『生まれかわる客車』の音楽がエンドレスで流れているのですが、映画の中の客車のように、工作できません…(大汗)



まずは妻板から…貫通路の高さがアンバランスなんで、下へ約1mm程、削り込んでみました。



オハ61の妻板で、向かって右側が加工前、左側が加工後です。

僅かな差かもしれませんが、これだけでも印象が変わって来ました。



そして、妙な形状だったオハフ61の貫通扉も、ブチ抜いちゃいます(笑)



貫通扉をブチ抜いて高さを調整したら、妻板の不要なモールドを削ります。
テールライトの部分は、その位置が微妙に違うようなので、ランナーで一旦埋めてしまいます。



この4枚を削るのに時間が掛ってしまい、気が付けば夕方になっていました(汗)
もうすぐ家族が帰宅するんで、工作のピッチを早くしましたが、ここで時間切れ…


そして夕食後、面白いテレビもなくカープもピリッとしないようなんで、工作室にこもりました



オハ61とオハフ61のデッキ扉は、Hゴム窓の扉が表現されていますが、自分のイメージとしてはプレスドアなんで、FUJIモデルのパーツを貼り付ける事にします。



昔は真鍮のエッチング板で、すぐにヘロヘロになり往生しましたが、最近は洋白エッチング板になっていました。
洋白板だと、ヘロヘロにならないので良いのですが、微調整で削るのに往生します(涙)



デッキ扉のモールドを削り窓の部分を拡幅しますが、このままではパーツを貼り付ける事が出来ません…
当時の成型技術故なのか、金型から外しやすくするためか、デッキ部分の凹みにはテーパが付けてあり、僅かながらパーツが入りません。現物合わせで微調整しながら張り合わせていく予定です。


つづく


まろンリッヒの法則…?

2015年07月19日 | 泥沼より
今日は、模型友の会の例会があったので参加してきました。



♪あ~なたひ~と~りに~んじん…(笑)

ここ数日、このフレーズが頭の中をグルグル回ってたんで、久々に『ながさき号』を持って行っていきました!



以前指摘された番号間違いを修正して、古の夜行鈍行に思いをはせてしまいました。

門司港から長崎まで、1晩かけて走る普通列車が廃止されて、もう30年経つんですね…(遠い目)

そして、我が家の夏闘も減額回答で妥結し、何とか支払いの目途が付いたので、大先輩の遺品を受け取ってまいりました。


宮沢のC54

山陰の蒸機として以前から興味があったC54…棒モーターの旧動力でしたが、走りには全く問題なし! ちょっとした補修程度で本線デビュー出来そうです。



旧型電機に目が無いオヂさんなんで、EF58旧車体も引き取りました。
プラパーツを多用しているのですが、経年で接着剤が劣化しエアーフィルターは全て脱落…



そしてスポンジは、このとおり! 日にちの経ったカステラ状態で粉々…(汗)

そして試運転してみると、グリスが固まっているのか超スローの動きでした…が、徐々にスピードが上がって来たのでそのまま慣らし運転していると、3周目位でモーターから発煙してしまいました(大汗)



ギアーBOXをバラしてみると案の定…



爪楊枝で削いでみると、見事なベッコウ飴状態でした!

シンナードボン…ですね(滝汗)


そして、機関車導入に伴う、客車増備も。



台車の形状から、10系寝台車は2回目生産品の様ですね。
車高も問題なく、台車は初回ロットのような粗悪品ではないので転がりもマズマズです。ただ、再塗装も含めた加工は必要ですね…

西のワムハチさんが…

『1両の完成品の裏には、29の仕掛品と、300のパーツが眠っている…』


と、言っておられましたが、ウチの場合は…

『300のキットには、29の仕掛品があるが、一つも完成していない…』

世の役に立たない格言が生まれてしまいました(糞爆)

ミャンマーへ

2015年07月19日 | ひろでん
新聞やテレビの報道でご存知の方も多いと思いますが、広電からミャンマーへ連接車2編成と単車1両が譲渡され、既に搬出作業が始まっております。

譲渡されるのは1000形導入により余剰となった、3005号、3006号、772号です。


3005号

元西鉄福岡市内線の1100形で、角ばった車体と大きな車窓が特徴でした。
他の3000形に比べて、ブレーキハンドルが腹に突き刺さる(当社比…笑)のではないかと思う位に狭い運転席でしたが、アタシは決して嫌いではない電車でした。

千田に移動してきた最初の連接車だったような…?


3006号

元西鉄福岡市内線の1200形と、前出の1100形の余りを組み合わせた凸凹編成でした。


3006号C車

種車の違いから車体断面が違い、元車両課の係長曰く蛇腹の雨漏り対策が大変だったとか…

アタシが甲種電気車の動免を取った時の試験車がこの車両で、この車両で宮島線を走ったのと、故障応急処置試験でマスコン異常の想定で故障発見するも、東洋電機製のマスコンは初めて故に応急処置が出来ず試験に落ちた事、そして市内線に異動後、旧宇品電停でアタシの真横で脱線事故を起こし、これ以降妙な癖が出てきた…特に思いで深い3000形でした。


772号

大阪電車の750形は大型車体で、ラッシュ時には多くのお客様が乗れるので好きな車両でした。ただ、制御が飛びやすいのでノッチの進め方に神経を使う車両でした。そういえば、昔セノハチさまの目の前で…(汗)
また、大阪市電型台車はブレーキの掛け方が下手だと、停車直前に振動と衝動が発生しやすく、この衝動を無くすブレーキ操作を自分なりに研究したのも、いい思い出です。


どの車両も一癖も二癖もある、思い出深い車両達ばかりですが、かの地でも活躍して欲しいと思う反面、手におえるんぢゃろうかと心配も…

御老体ですが、もうちょっとガンバレよと呟きながら静かに見送りましょう…