まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

今福線跡を訪ねて 終

2008年02月12日 | 今福線(本郷線を含む)
『今福線跡を訪ねて』シリーズも今回が最後です。今回は、鉄建公団によって建設された区間です。ここは多く紹介されていますので、サラリと行きますね…(笑)


旧線跡から望む第2下府川橋梁 昭和60年撮影

文献によると、同橋梁は旧線にあった橋梁(コンクリートアーチ橋か?)を撤去し、盛土をして建設したそうです。


新路盤から下長屋トンネルを望む 昭和60年撮影

正面に見える下長屋トンネル手前に、この区間のハイライトとも言える、第1下府川橋梁があります。この橋梁は新線の橋梁横に旧線のアーチ橋が並んでおり、大変珍しい光景を見ることが出来ます。ここはJTBの本の表紙にもなりましたね。
実はこの時、そこまで行ったのですがフィルムが無くなり撮影できませんでした。何としても記録したい… 現在(この時もですが…)ここへ立ち入るには浜田市役所に申請すれば、鍵を貸してくれるそうです。

で、どうやって入ったかって? そりゃぁ、自転車を持ち上げて…(黙)


下長屋トンネル今福側坑口 昭和60年撮影

県道5号線から分かれる、県道41号線の下に坑口があります。この当時は、県道5号線は今福の集落の中を走っておりましたが、現在は旧路盤付近を埋め立てた土地に迂回しているようです。


浜田市高佐町にあった架橋 平成8年撮影

鉄建公団が建設した箇所は、浜田市街地(と言っても外れですが…)にも存在しました。確か撮影した数ヵ月後に完全撤去されたと記憶しますが…
撮影時点では、道路の桁下制限をなくす為に、道路上の桁のみが撤去されていました。

他にも浜田市旭町丸原地区に橋梁やトンネルが建設されましたが、今現在記録しておりません。グーグルアースでもその箇所ははっきり確認できます。県道5号線を大朝方面に向かい、左手に覚善寺というお寺があります。その対面の山付近を走っています。

さて、長々と続いた『今福線を訪ねて』も今回でお終いです。またいつの日か取材して現状を報告できたらと思います。

今福線跡を訪ねて 5

2008年02月10日 | 今福線(本郷線を含む)
浜田道の『下府川橋』から見下ろせる、第5今福トンネルは浜田側の坑口がコンクリートで覆われていますが、確かどこかの大学が地震研究(?)の為にJR西日本から借り受けてた為だと記憶します。そのような立看板を見た記憶が…


第5今福トンネル浜田側坑口 平成8年撮影

右手に写っているのが、当時の愛車だった『ジョグ』です。画像に写っている『立入禁止』の看板にはJR西日本の文字があります。こんな山奥にJRの所有物があるのも不思議ですが、さすがに浜田市も要らないと言ったのでしょうか?


昭和60年撮影の第5今福トンネル

何故かここも高校生の頃に撮影しています。状態から察するとトンネルの擁壁を切り崩し、道幅を確保しているようです。

第5今福トンネルの手前で10号橋、トンネルを越えて直ぐに11号橋があり、県道から見て下府川の対岸に石垣が組まれて、その上に路盤があります。現在、路盤上には浜田道の橋脚がたち、『鉄道よりも道路』を見せ付けられているような感じさえもします。


県道合流地点から浜田側の路盤を望む

浜田道をアンダークロスした辺りから、路盤が消えてしまいます。これは区画整理が浜田市の手により行われたのと、築堤を切り下げて生活道路の一部とした為だそうです。
しばらく進むと、畑の中を真直ぐに県道へ向かう“あぜ道”が出没しますが、これが旧路盤です。


合流点から今福側を望む

正面の道路が旧路盤で、現在の県道です。左に下がっている道が旧県道です。合流点の手前の路盤と県道の高さを比べると、どれだけ築堤を切り下げたかが判ると思います。

県道を更に進むと、左手に保育園が見えてきます。文献によるとここが駅予定地であったとのことです。保育園横には県道5号線が走っており、路盤はそこをくぐっております。


今福側の路盤から県道5号を望む。 昭和60年撮影

この先にも、路盤が生活道路として続いてゆきますが、撮影をしているのはここまでです。数年前に車で訪れてデジカメで撮影したと思うのですがデータが… 改めて取材に行かないといけませんね。

さて、戦前建設区間の紹介はここでお終いです。もう1回、鉄建公団建設した区間を紹介します。



今福線跡を訪ねて 4

2008年02月09日 | 今福線(本郷線を含む)
宇都井町内に入ると、集落の裏手の高台に路盤がありました。現在では木立が育ち、尚且つ一部が崩落し、その姿の確認が困難です。初めて来た時は木立(旧路盤に杉を植林していた)も小さく崩落箇所も確認でき、路盤をはっきりと確認する事が出来ました。

さて、お待たせしました。偶然とは恐ろしいもの…ちゃんと撮影していましすよ(笑)


旧路盤と県道の合流点。奥が浜田側

この奥の民家の前までが、旧路盤の辿れる場所です。


第2今福トンネル浜田側坑口 ※現在は撤去

この第2今福トンネルは、県道拡幅工事により撤去された唯一のトンネルです。現在では掘割となっており、知らなければその存在さえも判らないでしょう。
このトンネルを撮影されている方は、そうそう居ない筈…と思います(笑)


8号橋

ここの橋は現在、山側を埋め立てるような形で道幅を拡幅し、2車線道路として活用されています。


拡幅前の8号橋上 正面は第2今福トンネル 昭和60年頃撮影

『おいおい、高校生の撮る写真か?』と突っ込まれそうですが…そうなんです、ちゃんとあるんです(笑)


第3今福トンネル浜田側坑口

県道は先程の8号橋を渡ると、下府川の方に向かって下り、旧路盤は第3今福トンネルへと入ります。ここも現在では立ち入り禁止ですが、自転車で通ったことがあります。


9号橋

第3今福トンネルを抜けると、先程の県道と平面交差し9号橋を渡り第4今福トンネルへと入ります。第4今福トンネル内は地元の方が農機具や資材を置いておられ、特に規制もされていないので入る事が出来ると思います。但し、その先は藪ですが…

第4今福トンネルから先の旧路盤は、浜田道の『下府川橋』から見下ろすと辛うじて痕跡がわかります。浜田に向かって左側の下を見ると、少し新しいコンクリート壁が見えますがこれが、第5今福トンネルです。

つづく

今福線跡を訪ねて 3

2008年02月09日 | 今福線(本郷線を含む)
県道301号を進むと、正面に突然2基の橋脚とトンネルが山肌に口を開けているのが見えました。道路は橋脚の袂で川面に向かって下り込み、川に沿って左へ急カーブしています。このカーブの先からは今でこそ2車線の立派な道路ですが、河川改修が行われるまでは、未舗装の狭い道で鬱蒼とした杉木立の中を走る道でした。旧路盤は下府川を4回渡り今福へと向かっていました。


3号橋 正面には第3有福トンネル浜田側坑口がある(浜田市宇野町)

初めて訪れた約25年前には、第3有福トンネルの坑口がはっきりと確認できていました。今では木々が生い茂り、冬の時期でも確認が困難ではないでしょうか? この坑口は通常のトンネルのように、路盤に対して垂直の坑口ではなく、斜面に沿った斜めの坑口でした。これこそ写真があったはずなんですが…


4号橋 画像正面が第3有福トンネル今福側坑口

川に沿って大きく回りこむと、右手に橋脚が見えます。丁度、測量用の杭が立っているあたりに、もう1本橋脚が立っていたようで、その跡が確認できました。その背後の藪の中には橋台も残っていました。現在はどうでしょうか?


5号橋 ※中央の橋脚は現在撤去

路盤は4号橋を渡ると、山肌に沿って進みました。路盤であった石組みやコンクリートの擁壁が木立の間から確認できたはずですが、現在では全く判らなくなっているでしょうね…
現在では、中央の橋脚は河川改修により撤去されていますが、それより以前には県道の3分の1を塞ぐような形で、もう1本橋脚があったようです。ここは4号橋の撤去されたそれよりも、はっきりと痕跡が残っており太い鉄筋が多数顔を出していたのが、今でも記憶に残っています。


6号橋

画面向かって右側に、第4有福トンネル今福側坑口があります。ここも現在は確認が困難ではなかったかと思います。数年前に車でここを通った時には完全に木立に埋もれていました。路盤は6号橋を渡り右へカーブすると第1今福トンネルに入っていたようです。

こんな寂しい所を自転車で通っていると、何処に行くのだろうかと本当に不安になったものですが、左へ大きくカーブし突然目の前が開けてくると、正面に7号橋の橋脚が目に入り、その光景に大変驚いたものです。


7号橋 画面右側に第1今福トンネル今福側坑口がある(浜田市宇都井町)

高校生の頃、7号橋の浜田側橋台に向かってよじ登る事が出来、第1今福トンネルとこの橋脚を上から望みました。カメラを壊してはいけないと想い、下に置いて登ったのを今でも悔やみます。現在では深い藪になっていますが、もう一度上がってみたいですね…

つづく

今福線跡を訪ねて 2

2008年02月09日 | 今福線(本郷線を含む)
沿線にある、浜田市立宇野小学校の開校100周年記念誌に、今福線についての記述があります。

それによると、宇野で建設工事が始まったのは昭和12年だそうで、下府~宇野を浜田の坂根組、宇野~佐野までを松浦組がそれぞれ工事を請け負い作業を進めたとあります。この工事により、宇野の人々の現金収が増え、また工事関係者が多く移り住んできた為、児童数が歴史上でピークをなしているそうです。
工事もバラスやレールを敷く段階になり、宇野には鉄道の仮官舎も出来て、鉄道職員も来ている段階になって、戦争の拡大による中止を余儀なくされたそうです。

以前、佐野町内在住の方から建設当時のお話を聞くことが出来、当時の建設費が28万円で、日当が成人男1円、女80銭。少年男子60銭だったそうです。主な作業は築堤への盛り土等で、この方は実際に作業へ従事したとの事でした。


1号橋(浜田市上府町上條) ※現在は撤去

画面正面に第1有福トンネルがあります。

第2上府トンネルを抜けると、路盤は県道と下府川を一気に渡ります。初めて訪れた時には、両側の橋台は撤去されていましたが、橋脚は残っておりました。昭和58年の山陰水害で川が氾濫してもこれらは残っておりましたが、河川の改修により全てが撤去され、現在では痕跡がありません。


第1有福トンネル浜田側坑口 平成6年撮影

1号橋を渡ると、宇野町内に入ります。


宇野町大尾谷の築堤 画面右に第1有福トンネル、左に第2有福トンネル有。

大尾谷地区の大谷バス停後には、築堤が残っておりますが、現在は一部が取り壊されている状態です。これは以前、食品工場(?)があった為で、これがその頃の画像です。


2号橋、今福側橋台 ※現在は撤去

大谷バス停を過ぎ、県道を右に大きくカーブをすると、2号橋の橋台が残っておりました。この頃はまだ、水害の爪跡が残っており、橋台が川の中に取り残されたような状態でしたが、これも河川改修と共に撤去されてしまいました。


路盤上から2号橋を望む。正面に第2有福トンネル今福側坑口

2号橋を越えると、旧路盤は生活道路の一部となり現存しますが、途中から住宅地となってしまいます。そして集落の外れに県道から右に分かれる道路が現れてきます。これが旧路盤です。


県道301号を望む 平成6年撮影

ここから県道301号となる道路が旧路盤で、画面右手の白い建物は路盤に立っています。県道は以前は画面左手の民家の前を通っており、旧路盤と平面交差の後に下府川の方へ降りていました。その旧道路跡の痕跡も当時は残っておりました。

つづく