もう10年も前になりますか、島原鉄道の国鉄型気動車に魅せられて通った事がありました。
島原鉄道の気動車といえば、急行「出島」の先頭に立って国鉄線を走る姿を思い浮かべます。国鉄キハ26の両運転台タイプで冷房車、特急型のような3本ヒゲの入った正面。初めて写真を見たときのインパクトは強烈でした。
そんな思いから、あるきっかけから模型で再現するようになり、出来たその数14両、更にもう5両のキットが深い眠りについています(笑)
そんな島鉄に初めて訪れたのが、普賢岳噴火以降の92年8月で、全線がまだつながっていました。島原外港~深江間が不通となった95年11月と翌年5月にも訪れ、DMH17Cのエンジン音を十二分に堪能しました。セノハチさんの名言も生まれたのもこの時でした(爆)
今回はキハ26を振り返ってみましょう。
キハ26は01~03までが製造され、01・02が旅客車としては珍しかった新三菱重工三原で、03が川崎重工で製造されました。詳しい経緯は省きますが、水無川土石流災害での分断時には深江~加津佐間の南目線で02・03が使用されていました。2回目に訪れた95年11月に念願のキハ2602に乗車する事ができ、準急型気動車を充分に堪能する事が出来ました。南目線の日中は単行運転でしたがラッシュ時には2~3両編成で運転され、私が訪れた時も5503+2014+2602の3両編成に運良く乗車する事ができ、そのサウンドにしばらく酔いしれたものでした。
96年5月11日 竜石~西有家 キハ2603
95年11月2日 深江駅 キハ2602+2014+5503
キハ2602 深江駅
キハ2602 加津佐側運転席
同客室
狭~いトイレ
製造銘板
今度の機会に、キハ20・55や当時見られた廃車体も紹介していこうと思います。
島原鉄道の気動車といえば、急行「出島」の先頭に立って国鉄線を走る姿を思い浮かべます。国鉄キハ26の両運転台タイプで冷房車、特急型のような3本ヒゲの入った正面。初めて写真を見たときのインパクトは強烈でした。
そんな思いから、あるきっかけから模型で再現するようになり、出来たその数14両、更にもう5両のキットが深い眠りについています(笑)
そんな島鉄に初めて訪れたのが、普賢岳噴火以降の92年8月で、全線がまだつながっていました。島原外港~深江間が不通となった95年11月と翌年5月にも訪れ、DMH17Cのエンジン音を十二分に堪能しました。セノハチさんの名言も生まれたのもこの時でした(爆)
今回はキハ26を振り返ってみましょう。
キハ26は01~03までが製造され、01・02が旅客車としては珍しかった新三菱重工三原で、03が川崎重工で製造されました。詳しい経緯は省きますが、水無川土石流災害での分断時には深江~加津佐間の南目線で02・03が使用されていました。2回目に訪れた95年11月に念願のキハ2602に乗車する事ができ、準急型気動車を充分に堪能する事が出来ました。南目線の日中は単行運転でしたがラッシュ時には2~3両編成で運転され、私が訪れた時も5503+2014+2602の3両編成に運良く乗車する事ができ、そのサウンドにしばらく酔いしれたものでした。
96年5月11日 竜石~西有家 キハ2603
95年11月2日 深江駅 キハ2602+2014+5503
キハ2602 深江駅
キハ2602 加津佐側運転席
同客室
狭~いトイレ
製造銘板
今度の機会に、キハ20・55や当時見られた廃車体も紹介していこうと思います。