まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

琴電 800

2006年08月31日 | 廊下から
志度線の増結用として在籍していた旧型車を置き換えるために、長尾線に投入された1200型により捻出された600型を、志度線増結用の800型に改造する工事が、仏生山工場で進められていて、801・802号が完成しておりました。

完成した車両を見てまず驚いたのが、制御付随車なのにパンタグラフを設けていることでした。当初は理由も思いつかず考え込んでしまったのですが、広島に帰ってFおじさんにその話をした所、『補助電源装置があるのなら、高圧引き通しが無いんじゃないの?』で謎が氷解。改めて撮影した画像を見ても、ジャンパ線は制御用しか存在しませんでした。
高圧用の引き通しを設けるとなると、志度線在籍車全てが改造対象となり、費用が増大するのが予想できます。補助電源装置(SIV)に架線電力を供給するだけの為のパンタグラフなのでしょう。まあ、あくまでも予想なのですが…


802号の連結面

801号との並び。ジャンパ線を見ると802号は逆向きだと判ります。

801号のサイド

床下機器を見ると、補助電源装置やコンプレッサーが取り付けられ、アクチュエーター(だと思うのですが…)等の機器で、床下は賑やかなものになっております。
又聞きなので、詳しくは判らないのですが、801・802号は民間工場で改造を行ったと聞いた覚えがあります。わざわざ、志度線車両を仏生山工場に搬入したのはなぜなんでしょうか…? 803・804号は仏生山工場での改造です。


建屋内の804号

電装品を撤去中の803号 以上は8月2日撮影

30日に訪れた時には、803・804号は塗装場に入っているのを確認したので、完成も近いのでしょうね。仏生山工場近隣に貼り紙があり、9月3日~7日に車両搬出があると告知されていました。9月中旬頃には、営業を開始するのでしょうか。

新車を投入しても、昔からの伝統(?)は守られるようで、特に721+722との連結は、新たな凸凹編成となることでしょう。また、瓦町向きに連結される増結車は、現行の今橋で解放するとなると、どうやって入換するのでしょうか? 予備車となる65号が活躍するのでしょうか?

楽しみですねぇ、秋になったら琴電を訪ねましょう…


縦型エンジン音も高らかに…

2006年08月30日 | 廊下から
あと2回となった青春18切符で、北九州方面へ行こうと思っていたら、今日は荒れ模様との門タケさまからの連絡があり、九州方面の遠征は中止となりました。
『さて、どうするや』と考えていると、ふと『水臨のキハ20を見に行くか』と思いつき、始発で東へと向かうことになりました。そう、太○裕○の唄を口ずさみながら…(笑)

キハ20の運転時刻を調べると倉敷到着時刻が8時54分で折返しの水島行が何と9時47分。広島の始発電車が糸崎乗換で倉敷到着が8時28分で余裕だなと思っていたら、何と糸崎での接続は3両編成の電車で1分しかない…15分後に糸崎始発の岡山行きがあるから糸崎で慌てずにいたら、どうも乗客の様子がおかしい…降りようとしない人が多く、もしかしたらと思っていたら、乗ってきた電車がそのまま岡山行になって更に3両増結。お陰で座ったまま倉敷まで行けました。

さて、倉敷に到着すると時間が5分しかない、撮影場所を呑気に探している場合で無いので、とりあえず目に付いた陸橋から何とか撮影できました。さて問題は、40分以上の折返し時分の謎は何だ? と、列車の動きを眺めていると、到着したキハ20は折返して直ぐ出発したあと、本線上で一旦停車して留置線のワンマン車が本線転線後に、留置線に入線してきました。お陰で、ゆっくりと写真を撮る事が出来ました。


本線入換中のキハ20


留置線で待機中

ここまで来たら、走りを撮りたくなり雨が降り出さない事を祈りつつ場所探し。初めての場所なので迷いながらも、田んぼのあぜ道から撮影できる無難な場所を見つけることが出来ました。グランドのネットが気になりますが、時間も無かったので仕方なかったのです…


エンジン音も高らかに力行中! 倉敷市~球場前

さて目的も達成し、ここで帰ったら単なるおバカ… ここからどうするかを考えながら倉敷駅に戻り、琴電の改造車の事が気になったので、岡山からマリンライナーの乗客となりましたが、高松に着くとまた居たんです。キハ65+キハ58の国鉄色が… さっきも国鉄色、ここでも国鉄色…『本当に平成に世か?』
前回も前々回も高松に来たら居たんですよね。偶然とはいえ、ここまで続くものなんでしょうか…? やはり日頃の行いが良いからでしょう(笑)


本当に今日撮影したんですよ…

まだ懲りずに…

2006年08月29日 | 廊下から
またか… と言われそうですが、山陰に来たオユ11-2500番台を撮影した唯一の写真が出てきました。当時、知人からこの車両は札幌から転属してきたと聞かされて、大変驚いたことを覚えております。
下りは、米子発益田行441列車に連結されてマニと共に浜田で解放、翌朝の浜田発米子行434列車に連結されました。何とこのオユは、434(浜田→米子)~528(米子→福知山)~842(福知山→京都)と中継されて、その日のうちに京都へ到着していたそうです。

フラッシュを持っていない頃に撮影でしたので、大変暗い写真でしたので、画像処理をして何とか見えるようになりました。荒い画像ですがご容赦を…


波子駅を発車する441列車 昭和60年冬頃?



波子駅停車中のオユ11-2503 昭和60年夏頃

塗装待ちのオユ11は、やはり2500番台にするべきなのか…(悩)

参考資料:JRR刊 国鉄客車ガイド2

質より量… 2

2006年08月26日 | 工作室から
古の山陽荷物列車シリーズ、残りの荷物車と郵便車のご紹介で~す。例によって全て荻原教のキットです。


マニ50-2005

本来は『古の山陰線』シリーズにしようと購入しましたが、いつの間にやら『山陽荷物列車』の仲間に… 特に変ったところはありませんが、本物よろしく乗務員室窓は窓ガラスを張り合わせて、二重窓にしていますが全く目立ちません(当たり前か…笑)
端梁はそれらしくということで、KATOの12系用をネジ止しています。使ってみると、これが中々良い雰囲気なんですよ。所属表記は大ミハ


マニ60-305

雑誌に出ていた荷物列車の写真を眺めていると、59-2改正直前までマニ60を東京までの運用に使っているらしい… そんな事で作ってみました。このキットは間違えて買ったマニ60の初期車でしたので、乗務員室窓周りを改造してみました。改造といっても大掛かりなものではなく、窓間の窓柱を全て取り払い、新たに真鍮板を切り出して、必要以外の窓を埋めてしまいました。こうすると継ぎ目がシルヘッダーで隠れるので、美しく仕上がります。所属表記は門サキ


オユ14-1

ここからは郵便車シリーズです。この車両はも山陰シリーズとして購入したものです。不思議に思われるかもしれませんが、59-2改正で郵便荷物車の運用が大幅に変り、出雲区の米郵1運用のスユニ50の後継として、オユ14-1~4が門司区から転属してきました。当時、中学生だった私は、この車両を見て大変驚きました。何かの間違いではと毎朝列車を眺め、更にオユ10(1002番)までもがいることを確認し、鼻血が出そうになりました(爆)
この運用も僅か1年、60-3改正で旧客の50系化でオユ11-2500に置き換えられましたが、郵便車を眺める楽しみを与えてくれた車両でした。所属表記は門モシ(予定)


スユ15-2003

古のPNXキットを偶然に、天賞堂のエバーグリーンで見つけて狂喜乱舞して購入したものです。以前は広島の模型店にも残っていましたが、私がHOに嵌った時には既に無く、一生手に入らないものと思っておりました。それをキットの入った戸棚の隅っこで見つけた時はそれはもう…
今では、主力護送郵便車として活躍中です。所属表記は門モシ


スユ15-2029

本当はこのタイプは必要なかったのですが、確かエンドウのEF62を買ったときに、その御供にと購入したものです。でも、今では買っていて良かったと思う車両でして、荷物列車の雰囲気を変えるために、良いアクセントになる車両です。当初は最末期の荷物列車用にと思っていましたので、所属表記も南タミとしていますが、いつかはトメに変えようと思っております。


塗装待ちの車両たちで、オユ11-100とマニ50です。年内には塗装して完成させたいですね…

ウチにはマニ44はいませんので、昭和50年代前半の荷物列車の再現を目指しております。牽引機もEF61しかいませんので、早くEF58を完成させてやりたい…しかし、あれやこれやと浮気心が…やはり年内完結は無理か…(笑)

質より量…

2006年08月25日 | 工作室から
私が展開する『古の…』シリーズには荷物列車編もありまして、完成品を購入したのもありますが、大半は荻原教のキットを組み立てています。題して『古の山陽荷物列車』シリーズ…

ウチの荷物車の中で最大派閥がマニ36です。HOを始めた10数年前、子供の頃に毎日のように眺めていた、豊岡発門司行831列車を再現しようと製作したのが始まりでした。この列車は、広セキの青マニが連結されていたり、大キトのスロ60改マニのキノコ妻にウットリしたり…って、どんな子供ぢゃ(笑)

数年前に『とれいん』誌で荷物客車の特集が連載され、その中の写真を見ながらコツコツと製作に励みましたが、写真の殆どが1枚のみ。そこからでっち上げた車両ばかりで、細かい違いもあります。そこは、さらりと流してくださいね(笑)
では、質より量で作り続けたマニ36を、見て笑ってやってくださいまし…


マニ36-2011

この車両は、古いPNXキットを組み立てましたが、窓枠は余剰パーツのアルミ枠をかき集めて表現しました。実はこの車両、10数年前に初めて作ったマニ36-10の車体乗せ替え車でして、記憶だけで作った車体に満足できなくなり、思い切って乗せ変えた車両です。所属表記は北スミ


マニ36-59

ご存知、広セキの青マニの1両です。この車両は私が見た唯一の張り上げ屋根車とあって、最も記憶に残る車両の一つです。屋根の表現は定番のスウェード調塗料を用いていますが、マスキングを失敗しキャンバス部分が大きくなり過ぎました。屋根部分は1色で妻面のみ塗色の境目がはっきりしない所の表現が難しい車両です。所属表記は広セキ


マニ36-93

HOで初めて組んだ車両です。当時は少ない資料の中で、車両配置表と発売されていたキットを見比べながら選んだ車両です。キットをいざ買おうとすると、問屋の在庫切れ品でしたので、雑誌の模型店一覧を見ながら片っ端に電話をかけて、何とか見つけることが出来ました。今のようにインターネットが普及していれば苦労はしなかったと思うのですが… 台車は数年前にKATO製に交換しましたが、製品そのままの平軸仕様なので、いつかはコロ軸仕様にせねば… 所属表記は大キト


マニ36-109

これまた下関の青マニでして、古の831列車再現用に製作しました。実車は松任工場改造なので、乗務員室と便所窓の間隔が若干狭いのですが、そこは目をつむって製作しました。まぁ、後にそのものズバリの製品が出たのですがね…(涙) 所属表記は広セキ


マニ36-2209

この車両は、キットそのままを素組みした車両です。台車はTR-34なので日光製品を用いていますが、箱から出す度に車輪が外れるので困っています。原因は車体の重みで台車が“ハの字”になる為です。メーカーさん何とか改良できませんか? 所属表記は北スミ


マニ36-2230

このキットは、オハ35改マニ36のキノコ妻仕様として発売されたのですが、浜田区に居た2240にしようと、わざわざ絞り折妻に改造した車両です。製作中に手元にあった写真をみて、乗務員室の窓配置が標準と全く異なっている事に気付き、あえなく頓挫。古の荷物列車シリーズ用として2230番として組んだ車両です。これまた後に絞り折妻タイプのキットが出て、がっくりきましたね… 所属表記は大ミハ


マニ36-2233

妙な窓配置が気に入り、キット発売と同時に何も考えず購入したものです。名古屋から九州方面にマニの運用があったので、余剰することも無く完成にこぎつけました…が、これまた苦労した車両で、荷物ドアの窓が全て中桟のあるタイプだったので、糸鋸で1個ずつ抜き出しました。二度とやりたくない作業です… 所属表記は名ナコ


これ以外に、製作待ちのマニ36はスロ50改の331番のみです。これまた、門司区にいた車両で荷物列車には必要ですね。21世紀中には何とかしたいな…(ってまたそれか!)

古の荷物列車シリーズは、マニ36-331の他にマニ60が1本。面白半分で買ったスユ42と43…あ、マニ37も2本いたなぁ。組んで塗装待ちになっているのが4両あり、完結も近いのですが…本当に完成するのかなぁ?