釜石で宿泊したホテルのロビーには、東日本大震災による津波被害の写真などが展示されています。
今、まさにいるココがあのような状態だったなんて…
宿泊した部屋から下を…あの日はこの真下に津波が押し寄せたなんて…
ここも…
隣のホテルの壁には、津波で浸水した場所が記してあります…
復興住宅…
釜石駅へ向かう通り。
津波被害前には完全に戻ってはないでしょうが、ここまで街を復興された方々のご努力には頭が下がります。
少しだけ街を散策して、釜石駅に向かいます。
釜石7:41→盛8:29 206D
盛からやってきた203Dが折り返します。
乗車したのは36-711号で、イベント対応なのか大型のテーブルが設置されています。
宮古から到着した4Dからの乗換客を待って発車します。
釜石~平田
平田~唐丹
こんな穏やかな光景が、一瞬にして変わったんだろうな…
唐丹
新たに作られた防波堤。
三陸~甫嶺
ここも街並みがあったのでしょうか…
恋し浜
クウェート国からの支援に感謝の意を記した表示。同じく同国の支援を受け導入した車両にも表示されているとのこと。
綾里
すれ違った5205Dにはレトロ調車両が…
陸前赤崎~盛
市街地へ入ると、岩手開発鉄道の線路とオーバークロスします。
8時28分、盛に到着。
列車から降りたら、ホッパ車の歓迎を受けます(爆)
到着ホームの向かい側は、大船渡線BRTの乗り場に。
駅周辺を散策する前に、駅舎をパチリ。
【追記】
クモイ103さまの書き込みにある記念碑を追加します。
駅横の構内を跨ぐ跨線橋に上がると…
三陸鉄道の車両基地
そして隣接するのが、岩手開発鉄道盛駅。
赤崎線方
日頃市線方
ホキの車列を見るとワクワクするのは、アタシだけでは無いはず…
とりあえず、西のワムハチさまのために、撮影をしっかりしておきます(糞爆)
構内には、旅客扱いを行っていたころのホームと待合室が残っています。
GWで列車は運休中のようです。広島へ戻るまでには、走っている姿を見てみたい…
三陸鉄道と大船渡線との兼掌踏切から盛駅方を望む…
バスが来た時にはどう作動するのかな?
宮古から到着した2006Dが一旦引き上げて連結作業を行い、これから乗車する2207Dに組成されます。
盛10:03→宮古12:23 2207D
ワンマン列車なので扉扱いのない2両目…先ほど到着した36-712号へ乗車します。先ほどと違って、大型テーブルは設置されていません。
陸前赤崎
津波により移転した住宅地に合わせて駅も移動したそうです。
綾里
離合した5210Dは、開業時から活躍する車両が。
開業当時、鉄道ジャーナル誌の表紙を飾った姿のインパクトは今でも忘れられません。
釜石
釜石から宮古へ直通するので、JRとの共用ホームへ入ります。
大槌
災害当時、テレビ中継で何度も耳にした大槌の地名。
ここも、あの日までは街並みが広がっていたのでしょう…
大槌~吉里吉里
岩手船越~織笠
ちょっと解り辛いのですが、多くのこいのぼりが泳いでいます。
織笠~陸中山田
復興住宅でしょうか。
陸中山田~豊間根
新しい住宅と空き地…こういった姿を見ると、本当の復興はまだまだだと感じます。
津軽石
津軽石~八木沢・宮古短大
バス好きの方へサービスカット(笑)
12時23分、宮古着
隣のホームには、JR山田線の臨時列車が停車中。
ハイブリット気動車なんで、突然エンジンが轟音を上げます(汗)
ここにも…1度は乗ってみたいな…
次の久慈行きまで約1時間半のインターバルがあるので、昼食を求めて駅前を散策しようと思ったのですが…
つづく