【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:相国寺」
開基は足利義満 南北朝時代に終止符を打つ 尊氏の時代から禅宗に帰依 巨大な禅寺を建てようと決意 相国寺は京都五山の第2位となった 明治の廃仏毀釈で大部分を失う 鹿苑寺=金閣寺 慈照寺=銀閣寺も相国寺系列の寺
開基(Wikipedia)っていうのは開山(
Wikipedia)のことなの? 相国寺(
相国寺 - 臨済宗相国寺派)の開基は足利義満(
Wikipedia)だったのね
京都五山(
Wikipedia)については何度か登場しているけど、禅宗を代表する京都の5つのお寺のことだけど、禅宗は武家により発展した宗派なので、鎌倉五山(Wikipedia)の方が格式が高いんだよね?たしか。因みに、第一位:天龍寺、第二位:相国寺、第三位:建仁寺、第四位:東福寺、第五位:万寿寺で、南禅寺は別格なのだとか。
しかし、金閣寺と銀閣寺も相国寺の系列であるとは知らなかった! 検索してみたら、HPが同じだった
法堂 鳴き龍 天井画の下で手を打つと反響することから
なんと! 鳴き龍の動画があった! ということで、ドゥゾ♪(っ'ω')っ))
相国寺の鳴き龍
方丈(Wikipedia) 1807年に再建 法要や仏事に使われる 中央に江戸時代の画家加藤のぶきよ(←漢字分からず)による観世音菩薩図 輪郭やグラデーションが文字で描かれた文字絵 裏庭=悟りの豊かさを表す 禅宗にとって庭は己と向き合う重要な場所
加藤のぶきよは加藤信清(加藤信清(かとうのぶきよ)とは|コトバンク)のこと。この絵師のことは知らなかった。まだまだ知らないスゴイ絵師がたくさんいる。この観世音菩薩図素晴らしかった。まず、遠目で見た時にその神々しい美しさにビックリしたけど、輪郭やグラデーションまで文字で描かれているとわ
急に裏庭に話が飛んじゃってるけど(笑) ちょっと疲れててタイピングが上手く行かなくて、いつもより全然聞き取れなかった 禅宗にとって庭が重要であるということは書いておきたかったので。
達磨大師(5C後半~6C前半)禅宗 鎌倉時代に中国から日本に伝わる しゅうごくみょうは(←漢字出ない) 足利義満は開祖に迎えようとしたが、これを辞退 この謙虚さに打たれた義満は、既に世を去っていた夢想疎石を開山とし、その次に春屋妙葩とした
達磨大師(Wikipedia)は何で出てきたんだったかな?(o´ェ`o)ゞ 禅宗(
Wikipedia)についての説明の一環だったような? 何故、春屋妙葩(
Wikipedia)が出てきたのかもちょっとワカラナイ
これ、"しゅうごくみょうは"って聞こえてたけど、"しゅんのくみょうは"だったのね?(*/∀\*)イヤン 急に夢想疎石(
Wikipedia)が出てきた理由は、春屋妙葩の師だったから。辞退した理由も聞き漏らしてしまったのだけど、要するに師よりも出っ張った振る舞いは出来ないということだったのかな?
禅の心=釈迦の祈り 不立文字 仏の心に近づくため経を唱える 寺によって様々 相国寺の前途は? 教外の法
禅の心=釈迦の祈りっていうのはちょっと違ってたかも?意味的には合ってるけど別の言い方してた気がする。不立文字(Wikipedia)についても説明してたのだけどこれも聞き逃し
今回酷い・・(ll゜∀゜)
禅宗の教えについては寺によって違うというとで、相国寺の教えは?っていうところで、ご住職が「熱いかどうか分からないなら、触ってごらんということだ」と、おっしゃっていたのだけど、それと教外の法の説明は若干違っていたような? 師匠が弟子を追い込む的なことだったような? と思って調べてみたら、教外の法では出てこない 教外別伝(
教外別伝(きょうげべつでん)とは|コトバンク)のことかな?
禅宗の修行:粥座=食事をしながら修行(粥座の終わりのお経まで声を出してはいけない) → 掃除 → 托鉢(物を乞ういやしさに打ち勝つ) 畑仕事(自給自足を旨としている) 座禅(選佛堂 心を空にする) 何があっても歩み続ける=空
これは1日の修行の流れを紹介するのかな?と思ってメモり始めたのだけど、畑仕事あたりからちょっと様子が違い始め、座禅を組んで終わりになってしまった(笑) カッコ書きをしている部分は補足的なことなのだけど、選佛堂には僧をたくさん世に送り出す的な意味が込められていたような・・・ 托鉢の部分のカッコ書きについては、もう少し違う言い回しだったと思うけど、意味的に合ってると思う。
入門を乞う 庭づめ 2日間罵声を浴びせられながら、低頭する 後、5日間の座禅を行い入門が許される
庭づめは庭詰めのこと。残念ながらWikipediaはないっぽい 庭というかお寺の玄関的なところで、入門を願うことで、膝をついて箱のようなものを前に置き、その上に手を置いて、手に額をつけるように低頭して声をかける。すると、回答が返って来る。罵倒されると言っていたけど、別に怒鳴り散らされていたわけではなく、心得のない自分などからすると、合いの手のような印象。でも、大変そうなことには間違いない。
異端の天才 伊藤若冲 相国寺第113世 だいせん和尚の下で絵を学ぶ 承天閣美術館 鳳凰図=初期に描いたとされる水墨画 明の時代に描かれた絵の模写 相国寺で出会い衝撃を受け、徹底した模写を行う 禅の心?
さて、大好きな伊藤若冲(Wikipedia)が相国寺で絵を習ったことは知ってたし、こころ寺巡りの若冲特集回(記事は
コチラ)でも紹介されていた。前回はだいぜん、今回はだいせん和尚とtweetしちゃってるけど、正しくは大典禅師(
Wikipedia) この方のもとで中国の絵画を見て勉強した。この画ではなかったと思うけれど、若冲の模写と元の絵画を並べたのは「生誕三百年同い年の天才絵師 若冲と蕪村」(記事は
コチラ 書き掛け
)でも見た。自分的には元の絵より若冲の方が断然好きだったけど、この水墨画も若冲の方が好きだな。まぁ、実物を見ないことには分からないけれど・・・
鹿苑寺障壁画 若冲作 禅の境地? 絵師となって4年 大典禅師 50面の襖絵を描かせる→窮地に追い込み悟りを得る?33幅の掛け軸を相国寺に納める 観音せんぼう会に飾る 廃仏毀釈で資金難となり皇室へ 以降30幅がないまま営まれる 近年複製が許され、33幅そろって営まれる この動植綵絵は展覧会で見た! これは圧巻だった!!
鹿苑寺=金閣寺(金閣寺 臨済宗相国寺派)に若冲の障壁画(
障壁画(ショウケキガ)とは|コトバンク)があるのは知らなかった! 絵師となって4年で50面もの障壁画を任されるのは異例のことだそうで、若冲に描かせた大典禅師は窮地に追い込むことで、何か悟りのようなものを得て欲しいと思ったのでは?とのことだった。
後に若冲は阿弥陀三尊図の3幅と、動植綵絵(Wikipedia)33幅を相国寺へ納めた。相国寺では毎年観音懺法会に33幅を飾ってきたが、明治の廃仏毀釈(
Wikipedia)で困窮し、皇室へ寄進したとのこと。tweetにもあるとおり、この動植綵絵30幅は「皇室の名宝1 日本美の華」(記事は
コチラ)で見た。相国寺から寄進されたことは知っていたけど、これは売ったということだったのね
寄付したってことだと思ってた。なるほど・・・ これは若冲渾身の作品でとにかく全てが色鮮やかで1つ1つが素晴らしいのだけど、30幅一挙展示は圧巻だった。33幅揃っての観音懺法会はさぞかし壮観でしょう。
老松白鳳図_伊藤若冲(動植綵絵より)
郡魚図_伊藤若冲(動植綵絵より)
ただ相国寺には申し訳ないけど、皇室に渡ったからこそ最高の状態で保存できたのかな?と思ったりもするので、作品を見る側としては良かったのかな? ただし、若冲の思いからすれば相国寺にあるべきなのでしょう。そういう意味では模写が認められたのは良かった。
観音懺法会は毎年6月方丈で行われる 仏に懺悔をする会 2014年120年ぶりに本来の観音懺法会が営まれた 人間が本来持っている仏の心を取り戻すため、4時間にわたり経を唱える 法要を執り行うことも修行
2014年には120年ぶりに33幅揃っての観音懺法会(観音懺法 - 臨済宗相国寺派)が営まれたそうで、それは良かった! 4時間も読経する会なのね
これも修行の1つとか。頭が下がる。
全部なくすことが大切 全部なくす=全部あるということ 無になる=自由になること 煩悩を捨て心の中を空にすることで、大切なものが見えて来る←禅の教え
"空"についての解釈もたくさんあるのだと思うけれど、禅宗というか相国寺での解釈はこうということかな? でも「100分 de 名著」の"ブッダ最期のことば"でも同じようなことを言っていたような・・・ それじゃなかったかな? いずれにしてもそういう境地になれたら素晴らしいし、生きているのが楽なのかもしれない。
古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ