【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:建長寺・瑞泉寺・東慶寺」
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禅とは心の別名 心とは釈迦の教えの真髄 不立文字
鎌倉の禅寺を紹介する回 まずは禅の意味から。不立文字は先週も出てきたね。
まずは建長寺から
【建長寺】日本初の本格的な禅宗寺院 建長とは北条時頼が寺建立した年号 中国の禅宗の伽藍配置 室町時代に鎌倉五山の第1位になった 現在でも室町時代の高僧南渓道隆の教えが息づいている 1253年建長寺の開山となる 禅僧は自ら修行を見つけて行う 食事、掃除も修行
禅宗は武家により発展した。それゆえ京都五山よりも鎌倉五山の方が格式が高い。建長寺(大本山 巨福山 建長寺|臨済宗建長寺派 大本山)は北条時頼(
Wikipedia)が建てたのね。伽藍配置については、三門から南北に延びるって言ってたかな? ちょっと聞き逃した
鎌倉五山(Wikipedia)の第1位。まぁ、そうでしょうね・・・ えと、ずっと南渓道隆とtweetしてたけど、蘭渓道隆(
Wikipedia)だった(/ω\)
南渓道隆 無限清風=この世はいつまで清らかな風が吹いている 穢れのない心で過ごしなさい 人々へ説く
このtweetだけだと意味が分からないけど、蘭渓道隆は僧だけではなく、一般の人々にも教えを説いていたそうで、その際に与えた言葉が"無限清風"という言葉で、意味としてはtweetにあるとおり。
仏殿は江戸時代芝道成寺から移築された 本尊地蔵菩薩坐像 4.8m 禅宗の本尊は釈迦如来 建長寺建立前、刑場があり地蔵堂があったため、本尊となったと言われている
道成寺ってtweetしちゃってるけど、正しくは増上寺(浄土宗 大本山 増上寺)! しかも、徳川秀忠夫人(
Wikipedia)崇源院(
Wikipedia)の霊屋を移築したものだそう。霊屋をのリンクをクリックしたら廟が出たので、要するに廟を移築してしまったってこと? 崇源院ってお江だよね? あらま(笑) しかも宗派も違うのに?
このご本尊、4.8mっていうことは丈六だね? 釈迦の身長が丈六(丈六(じょうろく)とは|コトバンク)であることから、仏像も丈六を基準として作られることが多い。
法堂 木造建築のお堂としては関東最大級 内陣には千手観音と釈迦苦行像←断食をしながら心理を求める釈迦の姿 ガリガリ
この釈迦苦行像はホントにガリガリですごかった! お顔はエキゾチックな顔立ち。インド的。検索するとかなりの数の画像が出て来るので、建長寺のみのものではないのだね。
唐門→方丈 方丈は本来僧が日常を送る場所 後に修行の場となった 建長寺の方丈で鎌倉武士が禅と向き合った 武士にとって禅とは? 死と向き合うために必要なもの 迷いを断ち切り無心になるため?
建長寺の方丈(Wikipedia)は有名。この場所なら武士も禅と向き合いたくなる。たしかに、常に死と向き合っている武士にとって、心の支えとなるものは必要だったのかなと思う。そういう意味では、日常にも修行を見出す禅が、武士に好まれたのも分かる気がする。
けんちん汁 建長寺で生まれた精進料理 建長汁=けんちんじる 材料を細かく切り捨てるところなく使った 禅の精進料理が日本の食文化を育んだ? ありがたく頂く
けんちん汁(Wikipedia)の由来については諸説あるみたいだけど、その中の1つに建長寺の僧が作ったという説があるそうで、現在建長寺周辺の精進料理店では、けんちん汁を中心とした精進料理(
Wikipedia)を出している。
番組で紹介されていたのは、鉢の木カフェ(カフェ|鎌倉 鉢の木【和食】精進料理/会席料理/カフェ)ここは行ったことある
続いて瑞泉寺
【瑞泉寺】円覚寺を大本山とする古刹 開山は夢想疎石 鎌倉時代に禅宗を支えた高僧 南北朝時代に禅の教えで争いを収束させ、公家からも武家からも尊ばれた
瑞泉寺(臨済宗円覚寺派 鎌倉 瑞泉寺)は行ったことないけど、素敵なお寺で行ってみたい。なんと夢想疎石(
Wikipedia)が開山なのね
南北朝時代を収束させた高僧が、鎌倉の古刹の開山になっていたとわ! 鎌倉スゴイ
って、まぁ幕府があったのだものね。
優れた作庭家でもあった 風光明媚な庭を創る 瑞泉寺庭園は国の庭に指定されている←名称が妖しい・・・ 山に囲まれた土地のため、岩盤を削って寺を建てていた。岩盤を生かした作庭。自然の佇まい。鎌倉時代に流行った作庭の集大成が瑞泉寺庭園である 困難な時こそ足元を固めよ
夢想疎石については先週の番組内で紹介されるまでは名前しか知らなかったので、まさか優れた作庭家でもあったとはもちろん知らなかった! 瑞泉寺式庭園で検索すると、池泉式庭園が出てくるけど、これが正式名称? でも、字幕でも瑞泉寺式庭園って出てたけどなぁ
山に囲まれた場所なので、お寺や別荘が多く建てられたというのは、以前「美の壺」(記事はコチラ)で見た気がするけど、岩盤を削ってまでお寺を建てたり、庭を造ったりしていたとは知らなかった。
最後は東慶寺
【東慶寺】円覚寺を大本山とする古刹 北条時宗の妻が創建 息子貞時が開基となった 鎌倉時代中期 元寇=蒙古襲来 蒙古襲来での戦没者を敵味方なく葬るため、中国から無学祖元を招くが33歳で死去 妻かくさん尼が夫の遺志を継ぎ、小さな尼寺を建てた
東慶寺(北鎌倉 松岡山 東慶寺)も円覚寺派なのね? 北条時宗(
Wikipedia)の妻覚山尼(
Wikipedia)が創建し、北条貞時(
Wikipedia)が開基(
Wikipedia)って、かなり豪華なラインナップ。こじんまりとしたお寺なのに。
元寇(Wikipedia)の際に、敵味方関係なく犠牲者の菩提を弔うために、中国から無学祖元(
Wikipedia)を招いたなんて、北条時宗は素晴らしい人だったのね。33歳で亡くなってしまったのは残念
そんな人の遺志なら継ぎたくなるでしょう! 北条時宗のお墓は円覚寺にあるそうで、夫が今でも妻のお寺を見守っている構図なのだとか。いい話。・゜・(ノД`)・゜・。
江戸時代に尼寺として庇護された 男子禁制を徹底 あらゆる女性を救う駆け込み寺、縁切り寺として24ヶ月過ごせば離縁できる=東慶寺法 徳川幕府公認の縁切り寺 お白洲もあった
江戸時代にもDVなどはあったようで・・・ そもそも覚山尼が東慶寺を建てたのも女性を救いたいという思いからだったそうなので、鎌倉時代にもDVはあったってことでしょうヤレヤレ┐(´д`)┌ 江戸時代には幕府公認の縁切り寺になったそうで、お白洲で評定とまではいかなくても、双方の言い分を聞くなどはしていたのではないかとのこと。24ヶ月過ごせば離縁できるとうのは、東慶寺法というか別の言い方をしていた気もするのだけど・・・ でも、あの小さなお寺がそんな権限を持っていたなんて驚き。そしてそれだけ虐げられた女性たちがいたということにも複雑な思い
三行半 離縁状が三行半で書かれていたことから
水月観音菩薩像 鎌倉時代 水面に写る月を眺めていることから水月観音 人々を救う 水月観音様は予約すれば拝観可能ですよ!
この水月観音様は小さいのだけど、本当にゆったりとした優美なお姿。なので、見ているととっても穏やかな気持ちになる。実際拝見した時の記事はコチラ。水月観音様は秘仏なのではなくて、お堂で朝の勤行をしたりしている関係で、通常公開できないため、予約を受けての拝観という形になっているのだそう。でも、静かにじっくり見れるので、このシステムいいと思う。
聖観音菩薩像 土紋 粘土などで模様を立体的に表したもの 鎌倉時代の作としては数体しかない
土紋装飾についてはWikipediaなどはなく、検索して出てくるのは個人の方のblogなので、リンクは遠慮しておく。ただ、チラリと読ませて頂いた感じだと、鎌倉地方の特徴であるらしい。これは番組でも紹介していたけれど、粘土や漆を混ぜて型で抜き、刺繍などの文様を立体的にすることだそう。鎌倉時代の作としては数体しかないと書いてるけど、"鎌倉時代のものとしては"って部分はちょっと曖昧(o´ェ`o)ゞ
古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ