毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
女子ワールドカップ2019 Day-4
毎日変わるのかと思ったら沈黙して急にキタ😅
大会4日目の対戦は
日本
VS
アルゼンチン
と
カナダ
VS
カメルーン
検索画面のロゴは変わらずコレ
いよいよ日本登場!
アルゼンチンは女子も強いのかな?
ガンバレなでしこジャパン⚽
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【tv】100分de名著「平家物語」(第3回)
衰亡の方程式
1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。5月は「平家物語」(Wikipedia)で、講師は能楽師の安田登氏。今回はその第2回。第1回の記事は
コチラ。第2回の記事は
コチラ。
「運命」というキーワード。『平家物語』までは「運命」という言葉をあまり使ってこなかった。『文選』という中国南北朝時代に編纂された詩文集は「運」「命」「時」をキーワードとしている。
運=大きな流れ
命=個人個人が持っている良いことや悪いこと
時=その時その時で捕まえる力
いい運を持っていてもその時に捕まえられないと大した人にはなれない。中国では「運」は変えられないもの。『平家物語』では「運」を下げる要素があり、それが悪行であり驕り。平家を滅ぼす側の「運」の衰退も描いているのが面白い。その代表が木曽義仲(Wikipedia)。
木曽義仲(源義仲)
・信濃国の武将
・源頼朝の従兄弟
・1180年以仁王(Wikipedia)が出した平家追討の令旨を受けて挙兵
倶利伽羅峠の戦い(Wikipedia)。平家の運命の分かれ道となった
(巻第七 倶利伽羅落)都に向かって進軍する源義仲(木曽義仲)を迎え撃つ平家軍大将は清盛の孫平維盛(
Wikipedia)。維盛は富士川の戦い(
Wikipedia)で水鳥に驚いて逃げてしまぅた汚名返上したい。両軍が出会ったのは北陸の倶利伽羅峠。維盛軍七万騎に対し義仲軍は三万騎。数で不利な義仲はある計略を巡らせる。
兵を小出しにしながら時間を稼ぎ日暮れを待った義仲は、密かに兵を平家軍の後ろに回していた。暗闇が迫る中背後の義仲軍が一斉に鬨の声を上げる。背後にいるとは思わなかった平家は四方から響く声にパニックになる。七万騎の軍の内生き残ったのはわずか二千。義仲は平家に大打撃を与えた。
伊集院光氏:闇の力を持っていたから平家は強かった。でも孫の代の維盛は闇の中で水鳥にビビり、やりたい放題やられてしまう。
四方が闇に囲まれ、声だけでなく箙(えびら 矢を入れる箱)を叩いて音を出している。四万といえば東京ドームくらいの人数。これは怖い。
このシーン!中学?高校?で習った!全体的に忘れちゃったけど、"箙叩いて"っていう文言覚えてる! "鐙踏ん張り立ち上がり"とか。そして、たしかに暗闇で数万人に囲まれてワーワー言われたら怖いわ😱
「待つ」ことで「時」をとらえた。時のつくり「寺」には「しっかりつかまえる」という意味がある。「待つ」のぎょうにんべんは「道」という意味。道にピッタリついて待つ。義仲は流れていく「時」を「待つ」ことで捉まえて戦いに勝つことが出来た。
伊集院光氏:一方で声盛は慌てていただけで時間を消費していた。
維盛は平家の「命」がスゴイが、義仲の「命」は大したことない。そこに「時」を掴んだ義仲の強さがある。
1183年、倶利伽羅峠の戦い。平家義仲を恐れて都落ち。本来都落ちは安徳天皇(Wikipedia)、三種の神器(
Wikipedia)、後白河法皇(
Wikipedia)を連れて行かないと意味がない。後白河法皇はそれを避けるために鞍馬山に隠れてしまう。平家は安徳天皇と三種の神器のみ連れて西へ下る。源義仲は後白河法皇を連れて京都へ入る。上ると始まるのが驕り。
朗読意訳:『平家物語』の中で義仲は立ち居振る舞いが武骨で、言葉遣いも野卑で甚だしい。2歳から30歳まで信濃の国の木曽という山里に住んでいたのだから礼儀など知るはずもないという主旨のことを書かれいる。
※塩高和之氏の琵琶演奏にのせて安田登氏が朗読され、現代訳が表示されたけど全文書くの大変だったので意訳とします😌
義仲は都流の客のもてなし方も知らなければ、牛車の乗り方も礼儀もわきまえていなかった。さらに源氏の兵たちによる略奪が都で横行。人々が平家の世の方がまだましだったとささやくようになる。たまりかねた法皇は乱暴を鎮めるよう義仲に使者を送る。ところが義仲は使者である壱岐判官知康(
Wikipedia)のあだ名に興味を持つ。鼓の名手だったので鼓判官と呼ばれていたのに対し、人から打たれたいからかと言ってしまう。この無礼な態度のため、知康は後白河院に義仲はバカ者だと報告。ついに後白河院は義仲追討へと動く。しかし義仲軍は武士や僧兵と戦いこれに勝利。ついには法皇を幽閉してしまう。(巻第八 法住寺合戦)
天皇になろうか? 法皇になろうか? 悪行の最も悪いのは天皇に代わること。戦いは時はつかめたが政治は時をつかめなかった。
安部みちこアナウンサー:同情するのは山里で育っているので都での振る舞いは知らないわけだから・・・
"うたれたうたか"という方言を使っている。『平家物語』の作者もちょっと意地悪な気持ちがある。
伊集院光氏:都会育ちではないという部分をちゃんと入れている。
どこか憎めない。粗野ではあるあ素朴な人。
まぁ確かに田舎武士だったのが時流にのって急に大出世してしまったわけだから、礼儀作法を知らないというのはかわいそうといえばそうなのだけど、でもやっぱり地位にあった振る舞いというのはあるからねぇ😅
義仲と対照的に描かれているのは源頼朝。方言も使わないし、礼儀作法もしっかりしていると書かれている。後白河法皇が「義仲を討て」と院宣(院の命令)を頼朝に与える。これを聞き義仲の軍勢は離反していく。
義仲は源頼朝が派遣した六万の軍勢に追われる。かつては大軍勢を率いた義仲も今では味方は二千騎足らず。それも次々と討たれたちまち七騎に。その時、向こうからやって来たのは同じ乳母の乳を飲んで育った乳母子今井四郎兼平(
Wikipedia)だった。
朗読意訳:たがいに気づくと手を取り合って、六波羅で死ぬべきだったがお前の行方が気がかりで生き延びたと義仲が言えば、自分も勢田で死ぬべきであったが貴方様の行方が気になり生き延びましたと今井。(巻第九 木曽最期)
義仲と兼平は死ぬときは一緒と誓いあった仲。義仲には愛妾巴御前もいた。武芸の達人でここまで義仲を守って来た巴。なのに義仲は最期の時に女がいては体面が悪いと逃げるように言う。巴はしかたなく去る。とうとう兼平と二人きり。兼平は義仲に立派な最期を遂げさせようと、自分が敵を引き付ける間に松原の奥で自害するように言う。兼平の強い思いを受け松原に向かう義仲。しかし、凍った田に馬が足をとられたところで矢を撃たれ、ついに首を取られてしまう。義仲の討ち死にを知った兼平は戦いをやめた。今は誰も庇う者はいない。東国の殿方、日本一の剛の者が自害する手本だと言って太刀を口に含んで馬から落ち、貫かれるように死んでしまった。
伊集院光氏:馬が滑って撃たれて死ぬって😫 自決させてくれない?
清盛を思い出す。悪行、驕り高ぶりの最たる人は念仏も唱えさせてもらえない。
伊集院光氏:それに対して今井は壮絶。
あの死に方だと今井も極楽には行けない。一緒に地獄へ行こうぜという感じ。乳母子=乳母の子が今井。絆が強い。
このシーンも習った覚えがある! これは悪行をした人はこういう死に方しかできないし、地獄落ち決定であるということを表していたのね?😲 しかし今井は主君思いでいい人なのに地獄落ち決定なのか😢 そこも含めて今井と義仲の絆であり、悲劇であるということなのでしょうけれど。
伊集院光氏:巴を去らせたのは愛なのか?
多分、愛だと思う。
伊集院光氏:愛する女性は生き延びて欲しいって言ってるんですね!
安部みちこアナウンサー:今井のことを見ると愛ではないと思っていた。
イヤこれは愛でしょう! もちろん体面が悪いという部分もあるし、愛する女性をかっこよく逃がすオレっていう気持ちもあると思うけど、これは愛でしょう。それが分かったから巴も納得して去ったのでしょう。
男と女への愛は違う。
伊集院光氏:男と女では生きろ!なのに、男と男ではかっこよく死ねと言っている。
女は子供を作るから自分の記憶を残しておきたい。一緒に死んでいくのが男。
伊集院光氏:おごった人だったけど、今井にこんなに愛されている。
今井だけでなく残った七騎全てに愛されている。
伊集院光氏:そういう人でも驕ってしまえば、「時」をつかめなければ、みじめな死に方になりますよということ。
自分たちも直ぐに驕るしダメになる。当時の武将たち(聞き手、読み手)も共感したのではないか? こういう人だからこそ人々は義仲に共感する。
木曽義仲は突然やって来たヒーローとして登場して、場違いな場所に来てしまったため粗野な振る舞いをしてしまい、さらに驕って天皇になろうとしてしまう。読み手(聞き手?)としては義仲に対する嫌悪感が広がるけれど、この最期にはやっぱり同情というか憐れみを感じるのじゃないかな? そして後の世の武将たちは身につまされる部分があったかもしれない。
一方、義経には滅びの兆し・・・
源義経(1159-1189)(Wikipedia)
・源頼朝の異母弟
・義仲の追討で功績
・一ノ谷の戦い(Wikipedia)、屋島の戦い(
Wikipedia)、壇ノ浦の戦い(
Wikipedia)で平家を破る大活躍
義経はかっこいいが『平家物語』の中ではいろんな言動が滅びの種になる。
『平家物語』では源義経と源氏の武将梶原景時(
Wikipedia)の確執がたびたび描かれる。はじまりは屋島の戦の時。景時は源氏が海での戦いに不慣れなため、通常は船尾にしかない櫓を船の先にも付け、どちらにも船を動かせるようにしようと提案。しかし義経は最初から逃げる気でいてどうすると取り合わない。
朗読意訳:よい大将軍というのは駆けるところは駆けて、引くところは引いて、身の安全を保って敵を滅ぼすものだ。一方にばかり偏して変えないのを猪武者といってよいことではない。(巻十一 逆櫓)
義経を無謀な猪武者と言わんばかりの景時。周囲に緊張が走る。その翌月、壇ノ浦の戦いでのこと。先陣を希望する景時に対して義経は全く譲らない。
朗読意訳:梶原は先陣を希望しかねて「生まれつきこの殿は武士の主にはなれない人だ」とつぶやく。判官はこれを聞き「日本一のバカ者だな」と言って太刀の柄に手をかけた。そのことがあってから景時は判官を恨み始め、とうとう讒言して判官を滅ぼした(巻第十一 鶏合 壇浦合戦)
景時はこの遺恨によって頼朝に義経の勝手な行動を報告。後に頼朝が義経を討つきっかけとなった。
義経は武士としてはスゴイがボスにはなれない人
伊集院光氏:すごく分かる。謙遜もあると思うがイチロー選手が監督にはなれないと記者会見で言ったように、名選手名監督にあらずみたいなこと。管理職はダメだった時のことも考える必要がある。俺が俺がの人はイヤ。
義経はスタンドプレーの人。自分が力がある。対して梶原は皆の命を守りたい。これが後に大きな問題になる。
たしかに義経は戦略に長けていて戦をするには優秀なのだと思うけれど、ボスになる人物なのではないとは思う。梶原景時の言い分はもっともで、義経の精神論みたいなものは現代の感覚からするとダメだろうと思うけれど、だからといって告げ口しちゃうっていうのもスゴイね😅 イヤ、現代ならば異動とか配置換えとかあるかもだけど、普通に考えれば注意がいくくらいだと思うけど、この時代では命にかかわることだからね。その上で告げ口しちゃうって言うのはなかなかスゴイなと。まぁ、当時の人の生死観も今とは違うと思うけれども。
源頼朝との違いは?
頼朝は景時寄り。現在、武士は貴族を守る存在だが、頼朝は武士を中心とした社会を作りたいと思っている。頼朝は「組織」が大事。義経は戦いが大事。この2つの違いが時代とともに分裂を始める。
伊集院光氏:後の武将も読んだし、現代の経営者も読むと上に立つ人というものが分かる?
上に立つ人というのは下にいた時にも実力があった。部下がやっていると口を出したくなるが、ボスはそれをしてはいけないということを今の時代にも教えている。
源頼朝にはボスになる素養があったということなのかな。ある分野に秀でていても全体的なビジョンを描けないと上には立てないということか。まぁそれはそうだよね。ビジョンの無い人に人はついて行かないし、怖くてついて行けないもの😅
木曽義仲とか源義経とかビッグネーム出て来てますます面白くなってきた! 次回は最終回。既にメモ取りながら視聴しているので記事頑張る!
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