スロージョギングと写真のブログ

ウォーキング、ジョギング、ママチャリで出あった季節の花や風景写真で日々の出来事・雑感をつづっていきます

久々のラン

2011年07月07日 | ジョギング

■ 2,3日、キッチンまわりの観音扉のクロスや、クッションフロアーの張替え作業をしていたので、日ごろのスイム、ランが普段どおりできなかった。

午後は、森を育てるボランティアにでかける。

暑い日中も、森の木陰を吹き抜ける風にあたっていると涼しい。

ボランティアが終わって夕方、久しぶりにアバホテル折り返しのランを行う。

4日ほど走らなかったためか、意外と体が軽い。

美浜大橋の上は、海からの風、体が飛ばされるほど強い。

■ そろそろ秋の大会をめざして、やり過ぎない程度にランをやっていこう。

ランニング換算で、今年/昨年を比較してみた。(T=R+S/4(km))

4月       5月      6月     7月      8月    9月     10月

189/131  189/266    221/188    /281     /307    /295     大会

今年はスイムにウェイトを置いているので、結果がどうなるか?

でも、7月~9月のTの平均を300kmくらいにはもっていきたい。 

<参考>

・2011.7.4  核のゴミ抱える村 青森・六ヶ所村の現実(スーパーニュースアンカー)(京大原子炉実験所 小出裕章さん)

・ 2011.7.7 超簡単な「ベクレル」の見方 安心できるベクレル(中部大学 武田邦彦さん)

・ 自民党・河野太郎公式ブログ 2011.7.7(原発事故の賠償処理)  7.3(汚染汚泥の処理)  6.22(原発の安全確認)

アバホテル 10k  
 
 当月累計  R=22k  S=1.8k  年間累計  R=1012  S=58.6km

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水泳教室3回目

2011年07月06日 | 水泳

■ 梅雨明け宣言がないけれど、もう完全に梅雨が上がったようだ。

うだる暑さの中、3回目の教室に行く。

水に入るとさすがに涼しい。

蹴のび・バタ足など基本姿勢をやったあと、今日は水のキャッチについて、脚にブイを付け犬かきをしながら、その勘所を押さえる練習がメインだった。

だんだんと、どう泳げばよいのか、今さらながら分かってきたようだ。

また、泳ぎの最中に隣の参加者から、NHK・TVチャレンジ!ホビーで「かっこいいクロールで かっこいい体に!」が始まったことを教えていただいた。

毎週月曜日 午後10:00~10:25 キレイに泳げる4回シリーズです。

7月4日(月)の初回は見逃しましたが、11日(月)午前10:30~10:55の再放送で見ることができます。

さっそく明日、本屋に行ってみよう!

ひととおり終わり、

ちょっと疲れ気味だったので、練習後のメインプールでのフリーの泳ぎは600mほどで切り上げた。

 

<参考> 小出裕章(京大原子炉実験所)さんの非公式ブログから転載
・2011.7.6 
ストレステストと菜の花プロジェクトが結局ダメな理由
・2011.7.5  「子供の45%が甲状腺被曝」調査結果の実情 
・2011.7.4 高木仁三郎の予見と警鐘
・2011.7.4  玄海原発の圧力容器の脆さについて 
・2011.7.3 小出裕章氏の広島での講演会(鮮明バージョン+ハイライト) → → 小出さんは被爆地広島へのメッセージとして「(軍事利用としての)核と、(平和利用としての)原子力は同じもの。広島が核兵器廃絶のため活動しているのはありがたいが、原子力の平和利用ならいいということは間違いだ」と語った。
 核分裂の仕組みを解説し、「自分自身で火種を生み出しながら燃えるという爆弾に非常に適した反応。原子力が原爆という形で表れたのは、物理学的に言えばなるべくしてなったものだ」と指摘した。
 また、「(出力)100万キロワットの原子力発電所1基を1年間運転して生み出される核分裂生成物(死の灰)の量は、広島原爆の1000発分を優に超える」と指摘。
 福島原発事故による放射能汚染については「日本の法令を厳密に適用すれば、福島県全域に匹敵する地域を無人地帯にしなければならない。土地は失われ、人々は被ばくを強いられ、1次産業や生活が崩壊する」と語った。

新習志野プール 0.8k  
 
 当月累計  R=12k  S=1.8k  年間累計  R=1002  S=58.6km

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脳ドック受診(3/3)

2011年07月05日 | 健康のしおり

■ 12:10、検査予約してあった「千葉脳ドック」に行く。

定刻13:00の15分ほど前に病院に到着。

(1)受付け―あらかじめ記入しておいた問診表を提出

(2)更衣―13:00に呼び出しがあり、案内を受け、着替えて待合室で待つ。

最初の部屋で、

(3)身体測定、(4)血圧測定

(5)血液・尿検査 … 血液・尿の成分を調べる

次の部屋に移り、

(6)心電図 … 狭心症、心筋梗塞、心房細動などを検査

を計ったあと、そのままベッドに横たわる。

灯りを消され、左右の頚動脈にゼリーをベタベタぬられた。

(7)頚動脈超音波検査…頚動脈の動脈硬化の程度を調べる

次に、また左右のこめかみにゼリーをぬられる。

(8)TCD(経頭蓋骨脳血管ドップラー検査)…脳の主要動脈の狭窄や閉塞を調べるために、脳血流速連続パターンを見る検査する

しばらく待合室で休んでいると呼び出しがあり、

「MR検査です。20分ほどかかります」

(9)MR検査  仰向けになり頭を固定されトンネルの中に入る。

ガンッ! ドカン ドカン、、ダッ ダッ…、と、とにかくでかい音がする。

MRI(磁気共鳴断層撮影)…脳梗塞、脳腫瘍、脳萎縮の程度、脊髄の疾患などを検査

MRA(MRIによる脳血管および頚動脈欠陥撮影)…脳動脈瘤、脳動脈奇形、頚動脈血管の動脈硬化などを検査

検査を行った。

全項目終わって、14:50になった。

着替えて病院から出され軽食を口に入れる。
(昼食を禁じられていたため)

面接の部屋に呼ばれ、

(10)総合診断

各データー、写真、映像を見ながら、今日の検査結果について、ひととおり説明を受けた。

MRI映像によって、右の頚動脈血管にやや動脈硬化、脳に無症候性脳梗塞(前回5年前にも見られた―5年前の映像を並べ比較説明。自覚症状はあらわれない)が見られるが、

年相応な程度なので心配ないですね!

他は、健康な状態です。

でした。

検査結果は、2週間後に郵送されてくる。

会計が終わって15:30でしたから、約3時間30分の検査時間、帰宅は16:00。

■ 検査結果を聞くまでは、少しの不安もありますが、やはりしかるべきドックで検査を受けると安心する。

日ごろの生活習慣に注意しながら、あまり無理さえしなければ、

(ま~、すべてはベストを尽くして天運に任せるのみですが)

これで、あと5年は今までどおり、やりたいことを思い存分楽しんでいけそうだ。

※  2011.4/14 受診申込み  2011.6.4 助成の承認通知 

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大江健三郎が問う核兵器と原発

2011年07月03日 | 地域活動(環境)

■ 今夜、2011年7月3日(日)夜10時、NHK・TVの「ETV特集」は、

▽元第五福竜丸乗組員・大石又七との対話▽ビキニ事件57年内部被曝の恐怖、原発はこうして日本に導入された▽福島原発事故 の責任 (新聞の番組表案内)

だった。

 

くしくも、今朝配られた地域新聞に、

“「シカゴパイル」。世界初の原子炉は、暗号のようにこう呼ばれた。米シカゴ大に極秘に作られた実験炉で、初めて原子の火がともったのは、1942年。実験は米国に亡命したイタリア出身の物理学者が主導し、研究は米政府の機密計画の一環で、ねらいは原子爆弾の開発であった。
主要国が実用化にしのぎを削るなか、シカゴパイルの成功は新兵器に道筋をつけ、米国による広島、長崎への原爆投下とつながった。また世界で初めての発電用の原子炉を稼動させたのはこんどはソ連だった。モスクワ近郊のオブニンスク原発だ、運転を始めたのは1954年6月である。
まだ、60年に満たない世界の原発の歴史。この間に米国はスリーマイル島、ロシアはチェルノブイリで大事故を起こした。… …
かたや、非核を唱えながらも核の平和利用の言葉を隠れみのに「原発推進」に足を踏み入れた日本。…3月11日に福島第一原発の事故を発生させた。”

のコラムが載っていた。

 

核兵器、原発の歴史を知ってみれば、ほぼ私の年令と同じである。

なのに、なにも知らず(知ろうとしないで)、知る機会もなく(知らされないで)、3月11日まで来てしまった。

私の生まれる前の地球も、日本の国土も、既になにがしかの公害に汚染はされていたが、有毒な放射線物質には汚染されていなかった。

国や世界が真実を歪め見えなくし、人間(人間以外の動植物も含め)の生存権を脅かす方向に進まないよう、それぞれの場で注意していきたい。

 

で、

ビキニ事件、断片的な記憶があるだけですので、どのような事件だったのか、改めて知りたいと思う。

そんなことで今夜のETV特集は、ちょっと見逃せない。

広島・長崎、ビキニ。作家、大江健三郎は、核と日本人の問題を考え続けてきた。
そして福島原発事故が起こったいま、大江は、核兵器の抑止力という幻想と原発の安全性という神話が重なり合って見えると語る。
その大江の希望で、去る5月11日、東京夢の島に展示された第五福竜丸の船上で、一つの対談が行われた。
相手は、大石又七。
1954年3月1日、ビキニ沖をマグロ漁船、第五福竜丸で航行中にアメリカの水爆実験に遭遇、“死の灰”を浴びて被ばくした
当時、大石は二十歳の誕生日を迎えたばかりだった。
周囲の偏見、無理解に耐え切れず、東京に出た大石は、クリーニング店を営み、ひっそりと暮らしてきた。
第一子の死産、被ばくした仲間たちの相次ぐ癌死
大石は、核に対する恐怖を胸中に抱え込んだまま沈黙を続けた。
その背景には、冷戦下の核配備競争と、それと1セットの形で進められた核の平和利用の推進という時代の潮流があった。
大石が、核について発言を始めたは、80年代になってからである。
夢の島に捨てられていた第五福竜丸が「発見」され、そこを訪ねた時、何かが大石を動かした。以来、大石は、中高生たちに被爆体験を今日に至るまで語り続けてきた。
大江は、大石が、日本人と核という問題に最も真摯(しんし)に向き合い続けてきた一人と考えている。

広島・長崎から66年ビキニ事件から57年
その間、日本人は核被害をよく思想化し得なかったのではないか。
そのことと福島原発事故はつながっているのではないか
番組では、初めて会う二人が、歩んできた時代、核と人間について語り合う。』(番組案内:  http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0703.html

<参考>
        大石又七さん
         ① ビキニ事件~忘れられた被爆者2002 ② 原水爆禁止世界大会2003

 追記 : ① 5/20~22に採った尿からセシウム検出(6~16歳の男女10人)

       ② 「2011.6.14 CINIC News 放射能汚染について」(木村真三(北大非常勤講師))

稲毛の浜  2k  1k(海)  
 
 当月累計  R=12k  S=1k  年間累計  R=1002  S=57.8km

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堤防を越えた盲導犬

2011年07月02日 | ジョギング

■ クラブ主催の、2チームに分けた10時間駅伝走。

早朝5時から、稲毛海浜公園の内周2kmを周回するコースで行われた。

ほとんどが、8:30ころ集まってくるが、

Oさんと私が、朝いちの第1走。

それと81歳のSさんが、西幕張からいつものように参加された。

結局、20kmを走られた。

朝は涼しく走りやすい。

 

2周目の海辺を通過する時、朝6時前ですが、堤防に3、4人ほど人だかりがしていて、

「すみません、助けて下さい!盲導犬が堤防の下に落ちたんです!」

Oさんと駆け寄ると、

堤防とテトラポットの間の狭い谷間、2,3m下の海面に、盲導犬が落ち、身をよじっていた。

目の見えない主人と、その奥さんらしい女性、どちらかの母親、通りすがりの男性が犬を引き上げようとしていたが、テトラポットの谷あいの急斜面ではままならない。

犬のひざあたりが挫傷ですりむけているようで痛々しかった。

Oさんと回り道して、犬の落ちている場所まで行く。

堤防が高いので上げることができず、彼が犬を背負い、私が犬のお尻を持ち上げ、堤防を渡っていこうとした。

盲導犬は重い!!、40kgほどありそうです。

足場が悪いので、動きようがない。

ひとまず、平らなテトラポットの上に移動させ、奥さんに押さえていてもらい、消防署に電話をする。

救急車には乗せられないので、消防車がナントカ向かってくれそうであった。

 

3周目、まだ消防車を待っていた。(14分/1周くらい)

4周めに入った時、落ちた箇所に消防車が見えた。

犬をアミノようなもので引き上げ、助け終わって帰るところ、盲導犬は主人たちと堤防脇に佇んでいた。

ご主人は、恐縮して礼を述べられていたが、「朝の人が少ない散歩の時間帯に、ストレスを発散させてあげようと、首輪を放して解放させてあげたら、喜んでふだんは上がらない堤防にあがってしまったんです」というようなことをおっしゃっていた。

骨折とかヒビとか、ちょっと気がかりだったが、「助かってよかったね」と声をかけて、4集回後半に向かった。

稲毛海浜公園内周周回  10k   
 
 当月累計  R=10k  S=0k  年間累計  R=1000  S=56.8km

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休足・休泳日の菜園

2011年07月01日 | 週末菜園

■ 連日、30℃超えの日々。

朝はやく菜園に向かう。

ジャガイモ収穫のあとは、これといってなにもすることがないのだけれど。

雑草を刈り取って畑の点検だけ。

 今日の畑

7,8月といろいろ予定が入り、菜園行きがおろそかになりそうなので、

空いた畝は、この夏は遊ばしておくことにした。

今日は、トーモロコシに追肥・土寄せをして、インゲンマメの最後の収穫。

 収穫

Wさんからサツマイモの苗を5本もらったので空いた畝に植え、水をやる。

ただ、それだけだったのに、朝9時近くの暑さで汗だく。

熱中症にならないよう、はやめにきりあげ、今日は体を休める日にした。

夕方は、昨日に続き、ドシャ 、雷

2週間もはやいけれど、梅雨が上がる前ぶれのようだ。

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