私は自分の子供が小学校に通っている時は、学校の勉強に遅れないように最大限の配慮をしました。だから学校の先生に頼ることなく、できる限り、自分でみてやっていました。当然のごとく授業より少し先のところまでできるようにして学校に送り出しておりました。
当時息子の担任の先生にそのことを言うと、
「この学校の親御さんは、真面目で、教育熱心で、学校の行事にも協力的で、教師としては本当にありがたいです。お母さん(私のこと)のような方が多くいらっしゃると、担任としても本当に助かります。」
と言ってくださいました。だから、子供達は、目立つほど成績は良くないけれども、勉強についていけないということはありませんでした。
ところが孫については、娘が仕事をしていることもあり、一緒にいる時間がなく、予習などは程く、学校の宿題をこなすのがやっとです。
特に心配なのは算数でした。このブログでも取り上げたと思いますが、一年生でゼロが出た時は、親子で悩んでいるのを目の当たりにしました。
二学期に入ると、今度は10より大きな数が出て来て、孫は途端に元気がなくなりました。本人に様子を聞くと、隣に座っているお友達が、手を貸してくれるので、どうにか大丈夫と言うのです。
一年生の算数でつまずくと大変なことになると、私は心配をしておりましたら、ある時期から、10より大きな数の足し算も引き算も問題なくできるようになりました。あまりに突然できるようになったので本当に驚きました。
昨晩、娘が学期末の個人懇談から帰って来てわかったことなのですが、孫が急に計算ができるようになったのは、先生の配慮があったということがわかりました。先生は人に手を貸してもらって計算をする孫を心配して、授業が終わり、学童保育に行くまでの放課後の短い時間に、少しずつ丁寧にみてくださっていたことがわかったのです。
熱心な親御さんの多い地域なので、かつての私のようなお母さんも多くいらっしゃるのでしょう。孫のように、学校の勉強をこなすのに時間を要する生徒さんは少ないのだと思います。
勉強については、ゆっくりなのはやはり心配ですが、担任の先生は、孫の明るい性格を褒めてくださったそうです。本当にありがたいと思います。
先日も、私の同級生の奥さんに言われたことがあります。その人は真面目に子育てをされて、秀才の息子さんに育てた立派な人なのですが、
孫さんは、性格がとってもいい。この良い性格を大事にしてあげてほしい。勉強なんかは大人になって死に物狂いで頑張ったらできるようになるけれど、性格はそう簡単に変えられないんだから。
このように言われました。出来の良い子供を持つお母さんとは思えないありがたい言葉でした。いやそうではなく、こういう言葉が言える人だから子供が立派に育つのでしょう。
すぐに身につくとか、速くできるという能力も素晴らしいと思いますが、孫のように一つ一つ階段を上がって行くのを見るのも楽しいです。それは自分が子育てをしていた時には味わえないことでした。
教育が荒廃したという人もいらっしゃいますが、草の根のところで、一人一人の個性を大切にしてくださる先生や周りの方がいてくださりありがたいです。