「長寿の秘訣はなんですか?」と聞かれ、
即座に「くよくよしないことや なー」とこたえました。
はじめに
私の母、絢子さんが死んで3年経ちました。それでもまだ後片付けが残っています。片付けるごとに生きていた証がなくなっていきます。「何か残しておきたい」それがこの「102歳まで生きた 母・絢子さんからのメッセージ」です。
若い方もご年配の方も、何時も何か希望を持って生きて行きたいものですが、それはなかなかむつかしいことです。挫折することもあると思いますが、102歳まで生きた絢子さんは、何を考えて生きてきたのだろうか?「残された遺産」は日記だけなのでそれを整理しながら考えました。それは見事な生き方だったと気がつきました。「日常」の繰り返しを自然に生きる。
誰にでも、何かためになりそうなことがあるにちがいないと思います。
また最近は核家族で、祖父・祖母と一緒に生活している人が少なくなってきている中で、同居すればどのようなことになるのかと興味や心配されている方があるかもしれません。子や孫、ひ孫への愛情はどのようなものなのだろうか、 そんなことを考えながら綴っていきました。
読み物として書いて残しておくのは、「波乱万丈」のほうが面白いかもしれません。絢子さんの場合は、若いころはきっとそうだったと思うのですが、若いときのことを書いて残したものは何もなく、絢子さんを知っていただいている方も少なくなり、みんなをたずねて廻るわけにも行かず、仕方なく85歳から書き始めるのをお許しいただきたいと思います。
でも、102歳まで生きた人から学ぶことは多い、しかも、病気らしい病気もせずに、戦前・戦後の毎日が生きるか死ぬかと言う時代を、夫と早く死に別れ三人の子どもを育てながら生きて来たその心の持ち方を、聞いてみたい! 最近の言葉でいえばどうしてストレス解消していたのだろうか。
みんな知りたいところです。
99歳の誕生日を迎え、子ども家族、孫、ひ孫も集まって「白寿」のお祝いをしました。花束を渡してくれたひ孫の朔弥君に「長寿の秘訣はなんですか?」と聞かれ、即座に「くよくよしないことや なー」とこたえました。 こんな短い言葉で、一生かかって得たことを伝えることもさすが「人生の達人」ならでわの名言だと思いました。
母・絢子は、2011年1月12日で102歳を迎えました。しかし1月29日帰らぬ人となりました。私は、13年4月10日で73歳になりました。 自分が、今生きているのはご先祖様あってのことなのですが、普段その様なことは気にもとめず、一日いちにちの生活に忙殺されています。
ご年配の方や、第一線で働いておられる方、さらに多くの方々が生きていく上で何かの役に立つのではないかと思いながら・・・・