この頃から、自分で買い物に行ったり食事の用意ができなくなってきた、
94歳くらいの「敬老の日」に家族みんなで食事に行った帰り、さっさと一番に外に出ようとして、5センチほどの段差を踏み外し、大腿骨骨折、年寄りおきまりのけが、入院するのもたいそうなことだった。病院から入院3カ月と言われたが、生まれて初めての入院。「2カ月」と言ってやっと了承させた。ところが入院した部屋に、自分の母スエさんの出身地・島本町大沢の方や向日市の知った方などがおられて、不安は解消、3カ月たって退院するとき、「もう帰るのか」ですって・・
今は、子供、孫 ひ孫 沢山いて、みんな元気なのが一番嬉しいという、子供は3人、(その連れ合い3人)と少なかったが、みんな病気らしい病気をしたことがなかったが、・・・・年と共にこれからいろいろなことになるかも知れないが。それが心配だという。
孫、・2,3,3と8人(その連れ合い6人)、ひ孫、2,4,5と
11人 合計31人 になった。と説明したら、ミーちゃん(淳子の二女)とこのひ孫が2人になったと、近況もよう知っている。私の説明では、一人抜けていたのだ。
おかげさんで今は病気入院中のものは誰もいない。それが一番嬉しい、のだそうだ。
悲しかったことは、夫が早く死に弟が戦争で死んだ、他の弟・妹が子供のとき死んだことだ。
95 2004年 なぜかこの年の日記がない
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この頃から、自分で買い物に行ったり食事の用意ができなくなってきた、
しかしお風呂・シャワーはまだ1人ではいり 頭も洗っていた。
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お互いの名誉のために メモを貰って買い物に行っていた
毎日といっていいほど買い物の好きな絢さんが段々出にくくなって私に買い物を頼むようになってきた。一度に3品くらいなら私も忘れないが、5~6品になると忘れてしまって、小言を言われ、今度買ってくると言ってまた忘れてしまう。私が注文をうわの空で聞いているのが悪いのだが、度重なると信頼問題になってくる。よい方法はないか?と考えたのが、注文書のメモをもらうことにした。そこで考えたのが、両方の名誉のために、母には字を忘れないようにと大儀名分をつけ、こちらは覚える手間が省けるというわけだ。そのメモは済んだら捨てていたのだがなぜか残っているものがあった。その中には
テレビガイド・メンソレ・コロッケ・うに・みかん・テイッチュ・パン・お菓子・ハガキ・ボールペン極太・海老セン・どんべい・年賀ハガキ・ポチ袋などなどが書かれている。
残されたメモより どんなことにも関心を持って 人生の達人
先に紹介したもの以外にも、他にメモがたくさん出てきた
・お墓参りしてください。
セリーグ パリーグ12球団名が書かれている。長い間には名前がよく変わったからだ。読売ジャイアンツというように12球団フルネームは覚えられないからだ。
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