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大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
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日本語版新聞紹介

「都」構想をやるとどうなるのか。一つの部隊が6分割されるということで、これだけで弱体化になる。

2015-05-15 | 市民のくらしのなかで

廃止あかん 大阪市     弱体化してダメになる

京都大学大学院教授 藤井 聡(さとし)さん

 

 

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 「大阪都」構想で大阪はどうなるか。

 まず、大阪市を解体し、大阪市の2200億円分の財源と権限を大阪府に移す。残りの6千数百億円が分割されて小さい五つの特別区ができる。結局、 府と市のツー大阪がシックス大阪になると解釈せざるをえないんじゃないかと。したがって、大阪市が分割されて弱体化するのは明らかです。

 「都」構想をやるとどうなるのか。これは都市計画の観点からいうと、大阪のまちがダメになります。なんでダメになるのか。理由はいくつもあります。

 まず、過激な組織改革ですから、行政のパワーが前向きなまちづくりに使えなくなる。実現した後も大混乱が生まれます。二つの市が合併しただけでも 混乱するのに、一つの市を五つに分けなあかんのやから当たり前やろと。ですから、当面都市計画が停滞するということが考えられます。

 それ以外にも、現大阪市民は都市計画の財源と権限が失われる。これは協定書に書かれている事実です。

 さらに、ノウハウと技術力、人材が大きく失われることが危惧されます。今の大阪市都市計画の部隊が分割され、それぞれの特別区にいく。分割される だけでなく、一部は大阪府に吸い上げられます。一つの部隊が6分割されるということですから、これだけで弱体化になるわけです。

 手続きも圧倒的に煩雑化します。例えば、今なら大阪府との調整もなく、大阪市の調整だけで御堂筋に関する開発が可能ですが、これからは北区と中央 区の二つで議論しないといけなくなる。それぞれの区長はそれぞれの区民の負託を受けてますから、利益相反があったときにもめないわけがない。同時に知事の 権限も強くなりますから、知事と複数の区長で調整せなあかんようになり、手続きは煩雑化するということです。

 一つの行政がやってることが五つに分かれて事務が増えるんですよ。忙しくなるし能力もなくなるし、ややこしくなるしお金も権限もなくなるんやから、行政サービスは下がるに決まってるじゃないですか。

 この投票で一番重要なポイントは、大阪市をつぶすかどうかです。大阪市をつぶすデメリットを上回るメリットがあることを証明できないかぎり、本当はやったらあかんのですよ。

 わざわざ大阪市をつぶさなくても大阪・関西をよみがえらせる計画はいくらでもあります。足元の伝統・文化を大切にし、市民と民間と役所が協力し、京阪神・関西で共同し、中央政府と連携し、西日本の各地と“つなぐ”まちづくり、地域まちづくりを進めればいいんです。

 成功するまで努力し続けるのがまちづくりなんですよ。みんなで協力しながらやれば、大阪は必ずよみがえります。なぜか。よみがえるまで頑張るからですよ。それがまちづくりっちゅうもんです。

 (9日、大阪市で)

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海外で自衛官が殺したり殺さ れたりする事態は、9条により免れてきた!今、医官に遺体修復技法を研修!

2015-05-15 | 戦争だけはやめてほしい

安保法案:本当に撃てるのか…防衛大卒55歳記者は聞いた

毎日新聞 2015年05月15日 07時30分

PKOの南スーダン派遣で家族や同僚に見送られ、搭乗口に向かう隊員たち=新千歳空港で2014年5月、野原寛史撮影
PKOの南スーダン派遣で家族や同僚に見送られ、搭乗口に向かう隊員たち=新千歳空港で2014年5月、野原寛史撮影
 
 

 ◇東京社会部編集委員 滝野隆浩=防衛大卒、55歳

 春先、一人の青年に会った。一般の難関大学に入れるのに防衛大を受験し、合格した。聞けば、進路を考えていた時に中学の先生の顔を思い出したとい う。日ごろから教科書にはない現代史を語り、自衛隊の大切さを説いたらしい。青年はまっすぐに私を見て言った。「防大進学は自分で決めました。僕は人のた めになりたい」。後日、彼の母にも会った。一人息子だという。母はつぶやいた。「これから、本当に、大丈夫でしょうか……」

 私も37年前、防衛大に入学した。幹部になる仲間たちと4年間ともに学んだが、文系の私に自衛官(海自)という仕事は技術系に思え、卒業後に退職。1年後、記者となった。

 卒業から三十余年、自衛官の任務は激変した。1990年代に海外派遣を開始。インド洋上での米軍などへの補給活動という「戦時」派遣をへて、イラ ク復興支援の「戦地」派遣も経験。憲法を考えれば、ここまでが限界だったと思う。ただ、海外派遣に合わせるように隊員が戦死した場合の準備を進めてきた。 派遣先にはひつぎを運び込み、医官に遺体修復技法(エンバーミング)を研修させ、東京・九段の日本武道館で「国葬」級の葬儀のための日程を把握する。それ は組織としての「死の受容」だった。

 安倍内閣は昨年7月1日、集団的自衛権行使容認を閣議決定。10カ月間の与党内論議をへて、14日、新しい安保法案を閣議決定した。成立すれば、自衛隊が海外で「ふつうの軍隊」並みにふるまう枠組みができあがる。

 親しい陸自将官OBは「憲法9条で守られてきたのは実は自衛隊だった」と漏らす。日本に攻めてきた敵とは戦う。だが、海外で自衛官が殺したり殺さ れたりする事態は、9条により免れてきた、と。「自衛隊は創設から60年、1発の銃弾も撃っていない」といわれる。部内ではそれが少々恥ずかしいことのよ うに言われるが、私は日本人の誇りだと思う。その封印がいま、解かれようとしている。

 米陸軍元中佐のデーブ・グロスマンは著書「戦争における『人殺し』の心理学」で、まず「人には、人を殺すことに強烈な抵抗感がある」と指摘する。 同書によると、第二次大戦で米軍兵士が敵に向かって撃てた発砲率は15~20%だった。その後、敵を間視させる訓練法などにより、朝鮮戦争で55%、 ベトナム戦争では90~95%に高まった。実際に撃った兵士が、後に命じた指揮官よりも重いトラウマ(心的外傷)に苦しむという。

 自衛官は本当に、撃てるのか−−退官した同期生に私は聞いてみた。「やるさ。おれたちはこれまでずっとキツいことやってきた」。政治が決めたことに従うのは当たり前だという。そして、最後にこう言い添えた。「60年遅れで、自衛隊は米軍に追いつこうとするんだろうな」

 防大に入学した青年の、まっすぐなまなざしを思い出す。起床ラッパで一日が始まる生活に、もう慣れただろうか。母の不安げな表情も浮かんだ。

 歴史を見れば、軍が変わる方向に社会の意識も変容する。自衛隊の変化に私たちは無関心でいてはならない。この新法制には国民的な合意がどうしても必要だ。まもなく始まる国会審議を、私は凝視する。

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連載 14 102歳まで生きた母の日記 何もすることがないので、お昼から一寸買い物に行って・・・

2015-05-15 | 「私がお話し」します。

酢ブタの素を買ってきたので書いたのを読みながら作った

85歳を過ぎても新しい友達と、京都市内まで買い物と散歩に!

2月 1日 木 晴れたりくもったり

 朝は寒かったが太陽が出るとだんだんとましになる。三時に洗濯物を乾わかしに行って下のショップセンターで

一寸買物をして帰る。

 

2・2 金 晴れたりくもったり 雪後くもり

 朝から雪が降って止まない、お昼前に神崎やまで買物に行く雪は止まない、歩道も片方は雪がつもってすべりそになる。

誠君のコーヒーを買いに行く。私の好きなネギトロがあったので買ってくる。    家の中も寒い。

 

2・3 土 晴

 十一時に明神さんお稲荷さんのおすしやお供物やおしることクジ引があるのでもらいに行く。

いつもテイシュペーパーなのにめずらしくタオルが当たる。お参りして帰る。ママにたのまれていたので巻きずしを作る。

野菜ものがないのでホーレン草とノリを買いに行って作る。洗濯をして昨日の分乾わかしに行く。外は相変わらず寒い。

ママ六時過ぎに帰って来る。晩は巻きずしとイワシの焼いたのと玉子のおすまし、巻きずしは心配していたが、

割合おいしかった。

 

2・4 日 晴

 今日はよいお天気なので、お墓へ参る。六日はまた寒くなるとのことなので今日参っておく。帰ると誰もいない、

洗濯物を乾わかしに行こうと思っていたら誠君が帰ってきたので乾わかしにいく、カッター五枚にアイロンをかける。

七時すぎにママ帰って来る。晩のごはんはスパゲッテイー、おフロに入って 頭を洗う。

 

2・5 月 晴後くもり雨

 九時半にセンターに行く、先生は奥さんが当番なので早く来ておられる。十時すぎに始まって十一時に一服して又始める。

十二時前に終って帰る。ママ出て行ったので洗濯をして干しておく、雨が降りそうなので外に干したのをパパに入れてもらう。

やっぱり雨が降ってくる。


2・6 火 雪時々晴

 九時半すぎにセンターへ行く。用意をしていると木村さんこられる。大嶋さんも来られたが自然食品へ買い物に行かれる。

あとは名々自分の仕事をする。 今日は一日雪が降って寒い一日、ヒーターはあまりきかなくて中にいても寒い。

家へ帰ったは三時前、あまり寒いのでカス汁を作るので買物に行く。

久しぶりに作るのでアゲトチクワを買うのを忘れたので又買いにいく。今日からママ出張、東京へ行く。

 

2・7 水 晴れたりくもったり

 今日は新年会をするので小僧ずしでみんなのおすしを買って行く。めづらしく土屋さん来られる。元気にしておられる。

私がクリのお菓子を持っていく。木村さんがお菓子を二つくれて土屋さんが三かさを下さったので

おやつがいっぱいになる。二時すぎに止めて 三時までお話をして帰る。

 

2・8 木 晴

  今日は少しさむさはまし、昨日の洗濯物を干したがやっぱりつめたい。

お使いに行って三時頃から野菜サラダをつくってトンカツをあげる。パパ八時すぎに帰る。

誠君は今日も早く帰ってきて二階でねている。めずらしく学ちゃん来る。

 

2・9 金 雪

 神崎やまで買物に行ったがかげは雪で歩けない、そろそろ歩いて行く、

 

2・10 土 雪ちらつく

 一日雪が降る、寒い日、晩はブリのテリ焼きとカス汁を作る。

晩はめずらしくパパと誠君と一しょにごはんを食べたので後かたづけが一ぺんにすむ。

 

2・11 日 晴

 今日はよいお天気、外は風があって寒い、誠君はお休み、パパは風邪気味でねている。

洗濯をしておいて前の洗濯物を乾かしに行く、晩は焼肉だがパパ食よくがないので食べない。

私はおフロに入いって頭を洗う。

 

2・12 月 晴

 日中は暖かい、今日は外へ出ない、お昼はドンベイを食べる、パパはたいしたことことがなくて今日は起きているので安心、

 晩は久しぶりにママの作ったおかずでごはんを食べる。

 

2・13 火 晴れたりくもったり

 十時すぎにセンターへ行く、今日は、サークルの役員会、木村さんと二人行く。めづらしく律ちゃんも来ている。

帰りに生協へ行って買い物をして帰る。木村さんは市役所へ行かれる。ママ誠君と出て行く。

 

2・14 水 晴

 今日は外は、暖かくてショールはいらない。神崎やまで買い物に行く。誠君のコーヒーボスがなくなったので、

干物と豆フを買って来る。何を食べてもおいしいと云ってくれるのでイチゴを買って来ると木村さんがカサを返しに来て

イチゴを下さる。晩に又山本さんがイチゴを下さったので三箱もたまる

晩に一箱だけ洗って出す。私も一つ食べる。

           山本さんがイチゴを下さったので三箱もたまる。こういうことが面白い

2・15 木 晴れたりくもったり

 二時前に律ちゃんと市民会館へ行く、向日市の老人会の総会、行ったら大分終わっていて二部のアトラクション、

老人会の人達のオドリや民ようやらが中トで帰る。トナリでお茶をよばれて帰る。洗濯物を乾わかしに行く。

晩はカレイの煮たのと焼き豆フとホーレン草のおひたしを作る。

 

2・16 金 晴れたりくもったり

 お昼に京都へ出て行く。お昼すぎパパも帰って来る。パパはごはんを食べて

晩はめずらしく酢ぶたを作る、酢ブタの素を買ってきたので書いたのを読みながら作ったが

おいしいのが作れた。

 

2・17 土 雪くもり

 朝起きて外を見ると屋根にたくさん雪がつもって盛んに降っている。一日雪は降る。朝から買い物に行く、

私は頭を染めてトナリでカットしてもらう。丁度お客さんがいなかったので。 

晩はパパだけ  ごはんを食べる。

 

2・18 日 晴れたりくもったり

 朝のうち雪が降っていたが、よいお天気になる。三人とも出て行ったので買い物に行って洗濯をする。

お昼から昨日の洗濯物を乾わかしに行く。パパ一服をして又出ていく。誠君早く帰ってきてお昼ごはんを食べる。

晩はうなぎを買って来る。ママ八時すぎにかえってくる、パパと二人で学ちゃんの所へ行く。

 

2・19 月 晴

九時半にセンターに行く、今日はみんな来られる、十一時に一ぷくしてまた十二時まで練習をして帰る。

外は相変わらず寒い、三時過ぎに洗濯物を乾わかしに行く、晩は久しぶりにママの作ったおかずを食べる。

 

2・20 火 晴

 九時半にセンターへ行く、今日は紙粘土の日、まだ木村さん来ていられないので用意をする。

十時丁度木村さん来られる。大嶋さんも来られて三人で名々すきな物を作る、阿部さん来られる。カステラを作ってきて

みんなに下さる。上手に作ってあるもでみんなおいしいおいしいと云ってよばれる。終わってから木村さんと長岡へ行く、

阿倍さんにお礼をしょう思ってお菓子やをさがすがなかなかないのでいづみやへ行くがやっぱりない。

吉川(?)で粘土を買って 又元のお菓子やで買って帰る。

 

2・21 水 晴れたりくもったり

 センターへ行く、木村さん来て用意をして下さっている。私は植為で焼きイモを買っていく。お昼はドンベイを食べたが

半分残す。焼き芋の方がおいしい、今日は大嶋さんお休みなので阿倍さんと木村さんと私と三人おしゃべりしながら、

名々自分の仕事をする。二時半ごろ帰る。今日も寒い家へ入るとほっとする。

 

2・22 木 晴れたりくもったり

 朝から郵便局へ行ってお金を出してくる。今日はショップ上店と下店両方休んでいる。

小僧ずしでおかずを買って来て食べる。

 

2・23 金 

 

2・24 土 晴れたりくもったり

 今日は銭太鼓の当番なので早くセンターへ行く、牛尾さんと荒木さん来て用意をして下さっているので私も手傳って

用意をする。他の人達もぼつぼつ来られる。先生も来られたので一寸一服してから練習をする。

十一時に一ぺん休んでお茶を飲んで十二時まで練習をする。二時に終わってまたお菓子を食べたりお茶を飲んだりして

後かたづけをして帰る。誠君起きてごはんを食べている。

私は買い物に行って洗濯をしておいて乾わかしに行く。晩はカツを作ったり天ぷらを作ったりする

パパ帰ってきたので自分の部屋へ入る。 おフロへ入って頭を洗う。

 

2・25 日 くもり雨

 三時の電車へ木村さんと二人で京都文化会館へ芝居を見に行く。パパママと学ちゃん夫婦も来ていっしょに見る、

 雨がきつく降るので木村さんも乗り家まで送る、長岡まで行ってパパだけ会議へ出る。

帰りにファミリーレストランで食事をして帰る。

 

2・26 月 くもり

 今日はやっぱりつかれて朝一寸おそくまでねている。お昼前に一寸買い物に行ったが、やたらに足がだるい

三時に洗濯物を乾わかしに行く。晩に山本さんのお父さんやお母さんやミホちゃんが来ている。

 

2・27 火 くもり雨くもり

 今日は外へ出ない、お昼はモチを焼いて食べる、あとは一日テレビを見ている、晩はオフロへ入いる、

洗濯物があまりたくさんたまっているので自分の洗濯物はだせない。

 

2・28 水 晴れたりくもったり

 お昼は一寸買い物にいく、おにぎりとおカラを買ってきて食べる。誠君は今日から家にいるそう。

五時すぎママ帰って来る、私は洗濯物を乾わかしに行く。かずちゃん来る、山本さんの子ども達も来ている。

学ちゃん散ぱつをして帰って来る、ごはんを食べてから学ちゃん達かえる。

 

2・29 木 くもり

 今日は外へ出ない、お昼はあるもので食べておく、一日テレビを見ている、晩はママ夕方から出て行ったので

ごはんは勝手に食べる、おでんがあるので、

 

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・囲み・・・

何もすることがないので、お昼から一寸買い物に行って・・・

 買い物が好きだった。「一寸買い物に行く」と2日に一回は書いてある。30分くらいかかってサテイまで歩いていく。

「サテイへ行って何も買うものが無いので、ママと自分のスカーフを買ってきた」ということが書いてありましたが、

気に入ったものがあれば買ってくるのです。85歳を過ぎても新しい友達と、京都市内まで買い物と散歩にでかけていました。

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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