日朝友好運動こそが、まともな日本人を育てる運動だということを深く理解した
5月17日(日)12時より、京都ホテルオークラで、在日本朝鮮人総聯合会結成60周年記念 総聯京都府本部祝賀会が開かれ、500人近い人々が参加されました。終始友好的な雰囲気の中にも、長く続いてきた日本人との硬い連帯の絆で、新しい歴史を切り開く決意を確認するすばらしい祝賀会でした。日朝協会から井口和起府立大学名誉教授が、歴史研究者を代表して挨拶されました。
また、日朝協会京都府連は次のメッセージを文書で送りました。
日朝協会代表理事の 大橋満です。
在日朝鮮人総連合会、京都府本部、創立60周年おめでとうございます。
私たち日朝協会も去る5月9日、創立60周年の集いを開きましたが、総連京都府本部より、柴松枝様や 中京支部長の
金鐘現さまが、ご参加いただき連帯のご挨拶をいただきました。この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。
朝鮮総連の60年は弾圧や差別との戦いでまさに命をかけた取り組みだったと思うですが、私たち日朝協会も日本の
色いろな団体の中では、差別と偏見を乗り越えて、朝鮮・韓国人の皆さんと連帯して戦ってきました。
結成当時は立命館大学の末川 博さん、同志社大学の和田洋一さん、草野昌彦さんや、谷田シュウ望さん、井口和起さん、
事務局員は西川さん、後になって西村喜八郎さんがこられました。
私は1962年創立7年目に入会し、青年部長をしていましたが、当時の京都の朝鮮青年同盟の委員長は、
呉鳴夢さんでした。今も親しくさせていただいております。
1955年12月11日、朝鮮民主主義人民共和国で千里馬運動の実施が決議され、あらゆる部署で千里馬のような勢いで
建設にとりくむことが呼びかけられておりましたが、日朝協会もチョンリマのスローガンを掲げて、明るく楽しく勇ましく取り組み
大いに会員をふやしました。
1959年12月11日から帰国事業が開始され第一便が1000名を乗せて新潟港を出港しましたが、このとり組みで日本国民
のなかに在日朝鮮人問題を日本人の問題として解決しなければならないという自覚が広がりました。
少し後になって帰国事業のことで、色いろと批判的な意見を言う人がおりますが、私たちはこの取り組みを通して、大いに
勉強し、大日本帝国憲法下におけるアジア侵略政治。日清・日露戦争、1910年韓国「併合」に始まる日本帝国主義の朝鮮
占領支配とアジア諸国への侵略戦争、日本国内の民主主義的な活動への弾圧と軍国主義的支配、第二次世界大戦の歴史
、戦後の朝鮮・韓国人への不法・不当な支配について勉強しました。
そうして日朝友好運動こそが、まともな日本人を育てる運動だということを深く理解したのです。
1965年の日韓条約反対の取り組みは、日朝協会府連の歴史にのこるもので、会員が増え新しい班が生まれました。
韓国だけが朝鮮半島唯一の政府ではない。共和国を認めよ、共和国への戦後処理問題の解決をはかれ、
米日韓軍事同盟反対と、その他の課題と結合させて、反対運動が盛り上がりました。
1980年韓国の光州事件がらみで、金大中さんを救出しようと四条河原町で署名行動をしましたが、後に韓国大統領になった
金大中さんが、日本と韓国の文化交流をはじめ、韓国の民主化運動を今日のように発展させた基礎を築かれたことは、将来、
朝鮮半島の二つの国が、自主的平和統一を果たすときに必ず活きてくると確信するものです。
今、日朝協会は、日朝国交正常化の実現を第一の目標にして活動しています。政府・外務省に直接何度も申し入れをしてい
ます。国交正常化に向けて何度も日朝協議が行われ中断しておりますが、日付けを追って調べてみると、いつも日本政府が
中断させるための原因を引きお越し、あたかも共和国に問題があるかのようにマスコミを使って宣伝しています。
政府は、拉致問題についても解決するための道筋が合意されても、共和国の「調査の答えが気に食わない」と被害者家族の
方々を利用して、解決を遅らせ、国交正常化への話をすすめないというひどいものです。
しかし私たちは日本人の問題として、21世紀だというのに、日本が世界で唯一鎖国をしているのは共和国だけだ。
一日も早く「日朝国交正常化を実現しよう」とのぼり旗を作ってメーデーデのデモ行進に参加しています。
これからも皆さんの運動と固く団結して諸問題の解決のために頑張りたいと思います。
安倍内閣が進める「戦争法の制定」を許さず、憲法9条を守り抜くために、がんばります。
最後に北東アジア平和協力構想実現のためにも 共にがんばる決意を述べて60周年をお祝いするご挨拶といたします。