みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

御岳山噴火、各紙の社説:よく恐れよく備えよう 御嶽山噴火/御嶽山噴火―火山リスクの直視を

2014-09-29 21:43:11 | ほん/新聞/ニュース
東京のてWAN懇親会会場で、御嶽山が噴火した動画を見せてもらいました。
御嶽山といえば、岐阜県と長野県の県境にある3000メートル超の山で、
小さい子どもたちを連れて家族で登ったことがあります。

いちばんさいきんでは、連れ合いと二人で途中まで行って、
引き返してきました。

そのなじみのある山が噴火したと聞いて、
とても他人事とは思えなくて、そのあとは帰ってからも、
ずっとニュースを追っています。

被災された方の詳細はまだ明らかになっていませんが、
記録として、今日の新聞各紙の社説をアップしておきます。

最後の記事はもう一つ、「山が動いた」と言われた、
おたかさん(土井たか子さん)が亡くなった、という記事です。

亡くなった方たちのご冥福を祈ります。

  社説:よく恐れよく備えよう 御嶽山噴火  
2014年9月29日 中日新聞

 火山の猛威を、あらためて見せつけられる惨事となった。予知は困難というが、火山国に暮らす私たちは、自然災害をよく恐れ、よく備えねばならない。
 長野、岐阜県境にそびえる御嶽山が噴火するのは、二〇〇七年三月の小規模噴火以来、七年ぶりのことである。
 下界よりも一足早い紅葉の時期を迎え、しかも、晴天に恵まれた週末。絶好の登山日和だったことが、残念なことに、被害を大きくする背景となってしまった。

噴火の予知は難しい
 突然降りかかってくる噴石や火山灰から、逃げる間はほとんどない。何人もの登山者が、逃げきれずに火山灰に埋もれた。
 噴火を予測することは、できなかったのだろうか。
 山頂付近では半月前、地震活動が活発化していた。
 御嶽山では、前回〇七年の小規模噴火の前も、多い時には一日百六十回を超える地震活動があったが、その後は静かな状態が続いていた。
 ところが、今月に入り、十日に五十回超、十一日には八十回超の微小な地震を観測した。それを受けて気象庁は、活動が活発化したことを地元自治体などに情報提供していた。
 しかし、震源が徐々に浅くなるなど危険な兆候は見られず、十二日以降は地震回数も減ったため、五段階で示す噴火警戒レベルを、レベル1の「平常」から引き上げることはなかった。
 気象庁は「これだけで噴火の前兆と言うのは難しい」と説明している。
 地球上には約千五百の活火山がある。日本列島には、そのうち百十、約7%が集中している。
 気象庁は、この百十の活火山のうち四十七を常時観測火山と位置付け、さまざまな観測計器を置いて監視している。

専門家常駐は5カ所
 ただ、大学の研究者など火山専門家が常駐する観測施設があるのは桜島(鹿児島県)や有珠山(北海道)など五カ所だけ。富士山や御嶽山にはない。
 噴火予知には、場所、時期、規模、様式、推移という五つの要素を的確に予告できる必要がある、とされる。それではじめて、住民の避難勧告ができる。
 火山噴火予知計画は、地震予知計画に十年遅れて一九七四年に始まった。気象庁に置かれた火山噴火予知連絡会は、この予知計画と同時に発足している。これまで何回も噴火し、常時監視している火山については、噴火の時期をある程度予測できるまでになったが、避難勧告に必要な規模、様式、推移の予知にはほど遠いのが現状という。
 予知の成功例とされるのは、〇〇年の有珠山の噴火だ。国内で初めて緊急火山情報が出され、周辺の住民約一万五千人が避難し、人的被害を防ぐことができた。周期的に噴火を繰り返してきたことなどから、的確な予知や避難ができたとされる。
 逆に、一九九八年の岩手山(岩手県)では、火山活動が活発化して臨時火山情報が出されたが、結局、噴火はしなかった。
 このように、火山の予知は難しいが、火山国に暮らすわれわれとしては“不意打ち”されるのを待っているわけにはいくまい。噴火の危険と隣り合わせでいることを再確認し、謙虚に火山を恐れ、よく備えなければならない。

 今回の噴火でも、山上の山小屋は避難場所となり、関係機関との連絡の拠点ともなった。山に親しむための施設は、危機管理の施設でもある。各火山の山小屋の備えが十分か、再点検したい。
 山に登るな、などとは言うまい。山に、自然に親しんでこそ、その良さも怖さも分かるはずだ。そうして心構えも、装備などの備えもできてくる。
 東日本大震災との関係で、津波の発生状況がよく似ていた八六九年の貞観地震が注目された。その貞観地震の五年前には、富士山で貞観噴火が起きている。

東日本大震災の反省
 一七〇七年には富士山で宝永大噴火が起きた。その四十九日前には、南海トラフを震源とする宝永大地震が起きている。
 関連は明らかではないが、不気味な一致である。
 東日本大震災でわれわれが学んだのは、想定外の災害が起こりうるということだ。
 原子力規制委員会は今月、周辺に活火山群がある鹿児島県の九州電力川内原発について、新規制基準にかなうと判断した。突然の火山噴火の恐ろしさは、今回、あらためて目の当たりにした通りである。原発は、対応できるのか。
 自然の脅威に、私たちは、何よりも謙虚に向きあっていくしかない。


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  社説:御嶽山噴火―火山リスクの直視を
2014年9月29日 朝日新聞
 
 紅葉を楽しむ、楽しい登山が暗転し、30人以上の登山者が心肺停止状態で発見された。うち4人の死亡が確認された。
 長野・岐阜県境の御嶽山(おんたけさん)の噴火は、多くの被災者を出す惨事になった。身を隠す場所が限られる山頂付近で、噴石に直撃されたのだろうか。

 今回、噴火するまで御嶽山の警戒レベルは、5段階で最低の「レベル1」(平常)だった。

 気象庁は噴火を予知することは困難だったとしている。火山性の地震が今月になって増えたが、ほかに異常がなく地震も落ち着いていた。地震の続発は、地元自治体に伝えてもいた。

 もし地震が増えた段階で、火口周辺への立ち入りを規制する「レベル2」に警戒レベルを引き上げていたら、あるいは立ち入り自粛を呼びかけていたら、被害を減らすことができただろうか。検証が必要だろう。

 自己責任にゆだねられる部分が多い登山で、こうした警戒情報をどのように伝え、万が一の事態にどう備えるのか。それぞれの火山で、地元自治体は気象庁や登山愛好者らと相談してみてはどうだろう。

 火山噴火予知連絡会の拡大幹事会はきのう見解をまとめた。今回の噴火は、地下水がマグマで熱せられて起きた水蒸気爆発で、火砕流を伴った。今後も同程度の噴火や火砕流の発生に警戒が必要と呼びかけている。

 国内の噴火で犠牲者が出たのは、1991年の長崎県の雲仙・普賢岳以来だ。110もの活火山がある日本だが、全体としては静穏な歳月が続いてきた。

 火山噴火は比較的低いリスクと見なされ、他の災害に比べ対策が遅れている。火山予知連が監視強化を求め、気象庁が常時監視する47火山でさえ、必ずしも観測体制は充実していない。

 地震よりまれにしか起きず、直接的で実証的な研究が進みにくい難しさもある。大学など研究現場で実用的な成果を短期間で求める風潮が強まるなか、火山研究者は減少の一途だ。

 このままでいいはずはない。

 300年前の1707年に起きた富士山の宝永大噴火は、噴火規模を0~8で示す火山爆発指数で5相当と考えられているが、横浜で10センチ、江戸で5センチもの火山灰が降り積もった。

 現代なら電子機器や交通網、上下水道など、都市機能は壊滅的な打撃を受けるだろう。

 世界有数の火山国である以上、政府は火山のリスクを軽視していてはならない。

 火山の観測や研究を強化するとともに、噴火被害の軽減策を着実に図るべきである。



  社説:おたかさん死去 確かに「山」を動かした
毎日新聞 2014年09月29日

 「ダメなものはダメ」「やるっきゃない」、そして「山が動いた」。数々の言葉が今も多くの人々の記憶に残っていることだろう。元衆院議長の土井たか子さんが亡くなった。85歳だった。
 女性初の旧社会党委員長で、女性初の衆院議長。土井さんは政界における女性のトップランナーだった。しかし、戦後の日本政治史の中で最も特筆すべきは、やはり政権交代時代のきっかけを作ったことである。

 1986年の衆参同日選での旧社会党惨敗を受け、土井さんが同党の委員長に選ばれたのは、いわば窮余の策だった。ところが、はっきりした物言いと自民党との激しい対決姿勢が人気を博し、89年夏の参院選では消費税導入やリクルート事件などを追い風に、「おたかさんブーム」「マドンナブーム」を巻き起こし旧社会党は躍進。自民党は大敗して参院では与野党が逆転した。

 これが、ねじれ国会の始まりであり、後の非自民各党による細川政権、さらに民主党による政権交代につながっていく出発点だった。

 自民党は2年前、政権に復帰したものの、89年以降、参院では一度も自民単独では過半数を得ていない。それを考えれば当時の土井旋風がいかにすさまじかったかを物語っている。「山」は確かに動いたのだ。

 細川政権下で衆院議長に就任した時、議員の名前に従来の「君」ではなく「さん」をつけて呼んだのも時代の変化を示す出来事だった。

 しかし、その後、旧社会党、社民党は選挙のたびに退潮。土井さんは一度は社民党党首となるが、そのさなかに秘書給与をめぐる詐欺事件で自身の秘書が逮捕され、最後は寂しく政界を去っていった。

 既に引退から9年。安倍政権が憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する中での訃報である。

 土井さんは元々は大学で教壇に立った憲法学者で、「護憲」のシンボルだった。一方で憲法に対してあまりにも柔軟さを欠いたことや、「何でも反対」の抵抗野党路線が無責任との批判を浴び、社民党が少数政党に転落し、護憲勢力が退潮する要因となったのは事実だ。

 ただし、安保政策の大転換となる憲法解釈の変更をいとも簡単にしてしまった今の安倍政権の姿勢を「護憲勢力が退潮しているから」の一言で片付けるわけにはいかない。

 土井さんが元気だったら「今の野党は政権に対して物わかりがよすぎる。なぜ、もっと激しく向かい合わないのか」と叱咤(しった)していたに違いない。なぜ、あの時代、土井さんが国民の大きな支持を集めたのか。おたかさんの迫力を野党はもう一度、見直す時と思える。 


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9月28日(日)のつぶやき

2014-09-29 01:29:56 | 花/美しいもの

あなたの身近にもいるかもしれない 支援団体スタッフに聞く、外国籍女性DV被害の実態とは?(ウートピ) blog.goo.ne.jp/midorinet002/e…


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