みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

平和主義に汚点残すな 安保法制審議入り/真価問われる国会―なし崩しは認められない

2015-05-27 22:21:04 | ほん/新聞/ニュース
統一選以来、ずっと仕事が詰まっているので、
思い切って、飛騨高山に行ってきました。

強い陽射しを避けて、上三之町の古い街並みを散策。

休憩に、高山のわらび餅と麩饅頭を食べました。

高山のまちをぐるぐる歩いて、約一万歩達成。
滞在中に「トランブルー」というパン屋さんに行きたかったのですが、
なんと3連休でした。
あきらめて、ホテル温泉に浸かって、まったりしました。

帰ってきたら、バイカウツギが咲いていました。

ニオイバイカウツギは、ひとあしさきに咲いています。
  
とぢらも純白の一重。
好きな花です。

アスチルベも、金柑の下に涼しげに咲いています。
  

ツルバラ「カクテル」も咲きはじめました。
  

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国会では、安全保障法制の審議が始まっています。
テレビから、安倍首相の答弁が聞こえてくると、
反射的にチャンネルを替えてしまうくらい、
腹立たしい思いです。

とはいえ、
この事態を書き留めて、記憶にとどめておかなければと思い、
今朝の新聞各紙の社説を紹介します。

  社説:平和主義に汚点残すな 安保法制審議入り
2015年5月27日 中日新聞

 安全保障法制の審議が始まった。日本が戦後貫いてきた専守防衛の原則を逸脱しかねない内容を含む危うい法案だ。平和主義に汚点を残してはならない。

 安倍内閣が「平和安全法制」と名付けた「安全保障法制」関連法案の提案理由説明と質疑が、きのうの衆院本会議で行われた。

 きょうからは論戦の舞台を衆院の「平和安全法制特別委員会」に移して法案審議が始まる。

 安倍晋三首相は先に米議会演説で、安保法制を「この夏までに成就させます」と対外公約した。与党は六月二十四日までの通常国会の会期を八月上旬まで延長して今国会中の成立を目指す、という。

 後方支援、戦闘と一体
 きのう審議入りしたのは二つの法案だ。自衛隊法や周辺事態法など現行十法を一括改正する「平和安全法制整備法案」は、外国同士の戦争に加わる「集団的自衛権の行使」を可能にする一方、日本の平和と安全に重要な影響を与える重要影響事態では、自衛隊が地理的制限なく、米軍など外国軍隊を後方支援できるようにする内容。

 もう一つの「国際平和支援法案」は、国際紛争に対処する外国軍隊を後方支援するため、自衛隊をいつでも海外に派遣できるようにする新しい法案だ。

 後方支援は「現に戦闘が行われていない場所」で行われるが、弾薬補給などの「兵站(へいたん)」活動は戦闘行為と一体とみなされ、攻撃対象となる可能性が高い。攻撃されれば反撃し、本格的な戦闘に発展することもあり得るだろう。

 集団的自衛権の行使も後方支援も、自国が攻撃された場合のみ必要最小限度の武力を行使する「専守防衛」を逸脱しかねない。

 専守防衛は日本人だけで約三百十万人が犠牲になった先の大戦への「痛切な反省」に基づく。戦後日本を貫く平和主義を蔑(ないがし)ろにする法案を認めるわけにはいかない。

 リスクを語らぬ首相
 きのうの質疑だけでも、数々の問題が明らかになった。野党側にはまず、党利党略を超えて問題点を徹底追及することを望みたい。

 自民党の稲田朋美政調会長に続き、野党トップバッターとして質問に立った民主党の枝野幸男幹事長が指摘したのは集団的自衛権を行使する判断基準の曖昧さだ。

 日本が攻撃されていなくても、日本と密接な関係にある外国が攻撃され、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」では、集団的自衛権を行使して、武力の行使ができる、というのが新しい安保法制の柱である。

 枝野氏は「『存立が脅かされ』『根底から覆される』というのはいかなる事実、基準で判断されるのか」とただしたが、首相は「国民に、わが国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」と従来の説明を繰り返しただけ。

 基準についても「一概に述べることは困難」とし、「攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、規模、推移などの要素を総合的に考慮し、客観的合理的に判断する」と具体的には語らなかった。

 戦後日本の安保政策を根本から変える法案だ。「集団的」を含む自衛権発動には国会の原則事前承認が必要だとはいえ、政府に幅広い裁量を与えていいのだろうか。

 きのうの質疑では自衛隊員が負うリスク(危険)も焦点だった。海外派遣が拡大すれば、戦闘に巻き込まれる危険性は格段に高くなることが予想されるにもかかわらず、国民の反発を恐れてか、政府側はリスクについてあまり語ろうとしない。

 首相は先週の党首討論で「リスクとは関わりない」と断言し、きのうも「自衛隊員の安全に十分に配慮しており、危険が決定的に高まるといった指摘は当たらない」と答弁した。

 専守防衛を旨とする日本の自衛隊員が戦闘に巻き込まれぬよう安全に配慮するのは当然だが、活動の拡大によるリスクの高まりを正直に認めなければ、国民やその代表である国会を欺いて法案成立を強行することにならないか。

 物言えぬ議会の末路
 全国民を代表する国会は国権の最高機関であり、唯一の立法機関だ。時の政権に唯々諾々と従うだけでは存在意義はない。時の権力に物を言えなかった戦前戦中の議会が日本をどんな運命に導いたのかを、思い起こすまでもない。

 各報道機関の世論調査でいずれも、安保法制自体や集団的自衛権の行使に対する反対が多いのは、「政府の暴走」に危うさを感じているからであろう。

 特に政権与党の議員が、選挙に勝てば政権公約がすべて信任されたと考えるのは思い上がりだ。国民の声に真摯(しんし)に耳を傾ける、その当然の役割を法案の審議入りに当たり、胸に刻むべきである。 


  社説:真価問われる国会―なし崩しは認められない 
2015年5月27日 朝日新聞
 歴史的な議論の始まりである。新たな安全保障関連法案が、きのうの衆院本会議で審議入りした。

 この審議が持つ意味は極めて重い。ただ慎重に議論を尽くせばいいというものではない。

 一連の法案がこのまま成立すれば、安倍政権が昨年から試みてきた安全保障政策の大転換が、首相が米国議会で約束した通りひとまず「成就」する。

 安倍氏が2006年に初めて首相に就いて以来唱えてきた「戦後レジームからの脱却」の骨格ができ上がる。

■歴史の審判が待つ
 しかし、法案提出までの経緯は、憲法が定める正当な手続きをへたものとは言い難い。

 集団的自衛権の行使を認めた昨年7月の閣議決定は、憲法96条が定める改正手続きを回避した解釈改憲である。先月末の「日米防衛協力のための指針」の改定は、日米安全保障条約の枠組みを越える内容だ。

 法案の成立は、なし崩しの実質的な憲法改正を立法府が追認することを意味する。

 その結果、国民投票によって有権者の意思が問われないまま憲法9条が変質し、自衛隊の海外での活動範囲が飛躍的に拡大する。自衛隊が海外で武力を行使し、犠牲者が出る可能性が生まれる。

 安倍首相を支える自民、公明両党が衆参両院で多数を占める国会だ。数の力で押し切るおそれもある。そんなことでは歴史の審判には堪えられまい。

 与野党の議員一人ひとりが、すべての国民の代表としての役割を肝に銘じるべきだ。法の手続きを無視して立憲主義を壊す片棒を担いではならない。

■乱暴な首相の理屈
 一連の首相の答弁は、乱暴な決めつけと、異論への敵意に満ちている。

 首相はきのうも「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない。そうした批判が全くの的外れであったことは歴史が証明している」と断言。さらに「戦争法案という批判は全く根拠のない、無責任かつ典型的なレッテル貼りであり、恥ずかしいと思う」とまで言い切った。

 これこそ、根拠のない無責任な決めつけではないか。

 フランスやドイツの反対を押し切って米国が進めたイラク戦争を思い起こしてみよう。

 日本政府は米国の求めに応じ、「非戦闘地域」とされたイラク南部のサマワで自衛隊が公共施設の復旧・整備や給水などの復興支援を実施した。

 自衛隊員による規律ある献身的な活動は、住民に歓迎された一方、2年半の派遣期間中、宿営地には砲撃が相次いだ。陸自の車両が、道路脇に仕掛けられた爆弾の被害にもあった。

 それでも隊員に犠牲者が出ず、一発の銃弾も撃たずに任務を終えられたのはなぜか。

 自衛隊の活動は敵対的なものではなく、武装部門による攻撃はしないという合意があったからだと、現地の反米強硬派の幹部が後に朝日新聞の取材に明かしている。

 集団的自衛権は行使せず、海外での武力行使はしないという9条に基づく自衛隊の抑制的な活動への評価に、幸運が重なった結果だと言える。

 安倍首相はおとといの自民党役員会で「自衛隊員のリスクが高まるといった木を見て森を見ない議論が多い」と語ったという。谷垣幹事長が明らかにしたが、事実なら驚くべき発言だ。

 自衛隊は日本国民を守る実力組織だ。武器を扱うのだから、任務には危険が伴う。

 この法案で政府が想定するように、戦闘現場の近くで他国軍の後方支援にあたれば、これまで以上のリスクが生まれる。その是非を国会で論じることは当然だ。

 首相は「安全が確保できないような場所で後方支援を行うことはなく、万が一、自衛隊が活動している場所や近くで戦闘行為が発生した場合は、活動を中断する」と説明する。

 だが、不意を突く砲撃や仕掛けられた爆弾などによる被害を百%防ぐことなど不可能ではないか。前線の他国軍を置いて自衛隊だけが「危ないので帰ります」などと本当に言えるのだろうか。

■議論の倒錯を正せ
 首相は今回の法制を進める理由について、「わが国を取り巻く安全保障環境がいっそう厳しくなり、国民にとってリスクが高まっているからだ。切れ目のない法制で抑止力が高まれば、日本が攻撃を受けるリスクは下がる」と強調した。

 それが首相の言う「森を見る」ことならば、9条を改正して必要な法整備を進めたいと説くのが法治国家の首相のとるべき道だったのではないか。その順序は完全に逆転している。

 そのために安全保障環境の変化にどう対応すべきかという議論がかえって妨げられているのは本末転倒である。

 この倒錯を正せるのは国会での言論であり、世論である。


 社説:安保転換を問う 国会審議入り 
2015年5月27日 毎日新聞

 ◇つじつま合わせの無理
 安全保障関連法案が衆院本会議で審議入りし、早くも政府の説明にほころびが見られる。こんな状態で夏までに成立させようというのは、やはり無理がある。期限を設けない与野党による徹底論戦が必要だ。

 政府の説明が安定しないのは、法案が無理なつじつま合わせの上に成り立っているためではないか。

 法案の柱である集団的自衛権の行使容認は、本来は憲法9条改正の手続きをとるべきものだが、政府は憲法解釈の変更という手法を選んだ。

 そのため、集団的自衛権の行使は他国防衛でなく自衛のためという理屈をつくった。憲法の基本論理は維持され、専守防衛も変わらず、海外派兵はこれまでと同様に「一般に」許されないという考え方をとった。

 だから安倍晋三首相は先週の党首討論で、集団的自衛権の行使について「他国の領土に上陸して、戦闘、作戦行動を目的に武力行使を行うことはない。あるいは領海、領空でそういう活動をすることはない」と述べ、機雷掃海だけを他国の領域でも武力行使をする例外として挙げた。

 しかし、新法案は集団的自衛権について「存立危機事態」など新3要件に当てはまれば、他国の領域でも行使することを前提としている。中谷元防衛相は、新3要件を満たせば、機雷掃海以外でも、自衛隊が他国の領域で集団的自衛権を行使できるとの認識を示し、首相と防衛相の説明が矛盾していると批判を浴びた。

 結局、首相はきのうの答弁で「外国の領域でも新3要件を満たすことはあり得る」と付け足し、軌道修正をはかった。首相がこだわる邦人輸送中の米艦防護も他国の領海に入ることになるのではないか。この先、例外が次々と膨らむ危惧がある。

 また政府は、機雷掃海は受動的・限定的な武力行使だから例外というが、岸田文雄外相の説明によると、国際法上、機雷掃海のような軍事行動を受動的・限定的だとして他の武力行使と区別して扱う事例はないという。実際の活動になれば、他国は機雷掃海を他の戦闘行動と区別してくれるわけではない。

 自衛隊員のリスクが高まる懸念についても、政府の説明は混乱気味だ。首相は党首討論で「リスクとは関わりがない」と述べたが、きのうは「リスクは残る」と一定程度、認める方向に修正した。一方、中谷氏は「増大することはない」と語る。

 首相は、自民党役員会で「自衛隊員のリスクが高まるといった『木を見て森を見ない』議論が多い」とも述べたという。リスクについても丁寧に語る姿勢を示さなければ、国民の理解は得られないだろう。


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