みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

安保法を問う 「成立ありき」の強引さ/無農薬ハツシモの稲刈り。

2015-10-20 20:13:08 | ほん/新聞/ニュース
晴天続きの毎日。
稲刈り日和です。
晩生種の無農薬ハツシモを作っているので、
稲刈りも遅め。

わたし以外は、近くに住む子どもたちも総出で、
朝から稲刈りです。

わたしは、今月末の「議員と市民の勉強会」の課題のレジメを見て、
講師として事前コメントをする日です。

↑↓この二枚は、つれあいからもらった写真。

午前の仕事が終わったのはお昼で、
田んぼに行ったら、畑の横の稲刈りは終わっていました。
お昼ごはんにだけ、ちゃっかり合流(笑)。

背丈の高い田んぼのすみは手刈りして、

ワラははさがけして、畑の敷料などに使います。

収穫したコメは乾燥してから、もみすりして、
そのあと精米して玄米にします。
今年の新米ができるのが、待ち遠しいです。

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ところで、
きょうの中日新聞社説は、
先月、安倍政権が強引に成立させた安全保障関連法のこと。

 安倍政権は直ちに臨時国会を召集し、安保法を再び議論の俎上(そじょう)に載せるべきである。それが憲法をあるべき姿に戻し、民主主義を正す唯一の道である。

結びの言葉に、強く共感します。

  社説:安保法を問う 「成立ありき」の強引さ
2015年10月20日 中日新聞
 
 安全保障関連法の成立から一カ月。この間、明らかになったのは内閣法制局の公文書や国会議事録の不備だ。民主主義をないがしろにし、成立ありきで突き進んだ安倍政権の強引さが際立つ。

 他国同士の戦争に参加する集団的自衛権の行使容認は、戦後日本が堅持してきた専守防衛政策の歴史的転換だ。歴代内閣は、現行憲法下では行使できないとの憲法解釈を踏襲しており、行使を容認するには、その賛否は別にして憲法改正で対応するのが筋だ。

 しかし、安倍政権は改正を避けて、昨年七月、解釈変更を閣議決定し、行使容認に踏み切った。その際、内閣で「憲法の番人」とされ、行使を違憲とする従来の解釈に中心的役割を果たしてきた法制局内部でどんな議論があったのか検証の対象とするのは当然だ。

 ところが、内部検討の経緯は議事録などの公文書に残されていないという。これでは将来の検証を不可能とする。歴史への背信だ。

 憲法解釈変更にあたり、閣議決定の原案が送付された翌日、法制局は「意見はない」と回答した。

 時の政権が意のままに解釈を変更できるのなら、憲法の法的安定性は失われる。そもそも法制局の存在意義はなくなってしまう。

 公文書として残さなかったことは褒められたものではないが、今からでも遅くはない。解釈変更をめぐり法制局内部でどんな議論があったのか、国会で明らかにし、妥当性の判断を委ねるべきだ。

 ただ、その国会でも政権の強引さが目立つ。参院特別委員会の議事録は安保法の採決場面を「聴取不能」としながらも、別に「議事経過」として「可決すべきものと決定した」と記した。鴻池祥肇(こうのいけよしただ)委員長の「認定」だというが、数々の問題点が残る中、国民多数の反対を押しきった強引な採決を既成事実化するものにほかならない。

 安保法は来年三月末までに施行される。公布はされたが、違憲と指摘される法律を、このまま施行させるわけにはいかない。

 安倍政権は、毎年秋に開いてきた臨時国会を今年は開かないという。安倍晋三首相の外交日程が立て込んでいることを理由に挙げるが、野党の追及を避け、安保法に対する反対論再燃を避ける意図があるとしか思えない。

 安倍政権は直ちに臨時国会を召集し、安保法を再び議論の俎上(そじょう)に載せるべきである。それが憲法をあるべき姿に戻し、民主主義を正す唯一の道である。


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