熟年新米弁理士のひとり言

平成18年に59歳で弁理士試験に合格した企業内弁理士です。弁理士試験、企業での知的財産業務について、気軽にお話します。

昔読んだ本

2007-06-15 20:00:59 | Weblog
近くの図書館に行ったとき、遠藤周作コーナーが目に留まりました。
確か、遠藤周作の没後10年は昨年のはず、今回の特集は何記念?
そんなことを考えながら、陳列してある本を見ると、昔読んだ本が2冊。
「沈黙」と「海と毒薬」です。懐かしいですね。
そして、新刊本「46年目の遺稿、十頁だけ読んでごらんなさい。」と「忘れがたい場所がある」の合計4冊を借りました。
「沈黙」と「海と毒薬」、10年以上前に読みましたが、今、読み返してみると、その当時と異なる感動が湧き上がってきます。
本は変わっていないのですが、読み手の受け取り方が変わり、このような印象を持ったのでしょう。

中学の修学旅行で京都へ行き、神社仏閣を見学しましたが、あまり深い印象がありませんでした。
それから20年以上経ち、仕事で京都を訪れ、時間があったので、金閣寺に行きました。池を挟んで見る金閣寺の風景は、荘厳で深い感動を憶えました。
金閣寺は変わっていないのですが、見る人の気持ちが変化しているため、受ける印象が大きく異なるのでしょう。

似たような例があと一つ。
伊東四郎さんだと思いますが、大人になり、唱歌「朧月夜(おぼろづきよ)」の歌詞に感動したと話されていました。
私も偶然ですが、同じような感動をしていたので、ハッキリと憶えています。

「朧月夜」の2番の歌詞
里わの火影(ほかげ)も
森の色も
田中(たなか)の小路(こみち)をたどる人も
蛙(かわず)のなくねも 
鐘(かね)の音も
さながら霞める(かすめる)
朧月夜

この歌詞の凄いところは、
「里わの火影」「森の色」「田中の小路をたどる人」は、何れも目で見える風景です。これらが、霞んで見えるのは、良く理解できます。

問題はその後の、「蛙のなくね」「鐘の音」です。
これらは、耳で聞く音です。
これらの音を霞める朧月夜・・・「音が霞む」という表現を採用した作詞家の想像力の凄さに脱帽です。

小学生のときは、何も分からずに歌っていましたが、大人になって歌詞を読み返してみると、その奥深さに感動します。
作詞家は、どのような意図でこの歌詞を作ったのでしょうか。
大人になって再び読み返すことを想定していたのでしょうか。
そうだとしたら、大変な策略家ですね。



ブログランキングに参加しています。よろしければ、以下のURLから投票して下さい。
日記@BlogRanking

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする