常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2015年04月01日 | グルメ


静岡の親戚から、朝掘りの筍が届いた。こちらの山地は、早いアサツキが出始めたばかりで、桜前線とともに筍の出にも、南北の時間差に驚く。辰巳浜子は『料理歳時記』のなかで、鎌倉に移り住んで、近所の人から筍をもらったときの感激を書いている。

「春のある朝、裏のお家から掘りたての筍を土だらけの手で抱えて届けていただきました。嬉しさとおどろきの声をあげながら、取る手もおそしとひと皮だけむいて、時間をかけてゆっくりとむらし、厚い輪切りにして鰹節、昆布をふんぱつして、じっくり煮ふくめて黄瀬戸の大鉢に盛り、裏の山椒の若芽を枝付のままスパーッと切って添えました。ひと口、口に入れたときの素晴らしさ、鎌倉でこんな嬉しさに逢えるとは思ってもいなかったので大感激でした。」

今日、裏に静岡の竹林がなくても、朝取りの筍がクール便で翌日には玄関先へ届く。辰巳浜子の感激を北国に住みながら味わえる。昨日の茹でて灰汁抜きした筍は、今朝の食卓に、キンピラとみそ汁になって供された。



夜は筍ご飯と筍のみそ汁。筍づくしの一日。土から芽を出す筍は、すざましい成長のエネルギーに溢れている。春先、冬の保存食で耐えてきた身には、このエネルギーをもらって、元気になる。畑仕事にも精をだすことができる。

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普通のご飯

2015年04月01日 | 介護


冬季、寒い期間を施設で過ごした義母が、家に帰ってきた。納豆と具沢山のみそ汁、なんの変哲のない普通のご飯が、義母にとっては特別のご馳走のようだ。施設でも旺盛な食欲を見せていたらしいが、子どもを育てていた遠い過去の食には、認知症の脳にも消しがたい記憶があるらしい。「おいしいな」という言葉が、自然に出てくる。ご馳走ではなく、戦後、卓袱台を囲んで家族で食べたいたものは、身体の細胞の一つ一つに記憶されているのだろう。施設にいれば、不自由もなく、決まった時間に食べ物が出てくる。必要な栄養も計算され、歯の状態をみて、堅さまで調整してくれる。しかし、そこには、長い間生きてきた時間を満たしてくれた、楽しい食の時間は失われれている。

現代は一人暮らしが増え、年老いた老人だけの家庭が介護の問題を複雑にしている。この4月から介護保険料も上がった。一人暮らしができなく施設へ入る年寄りが増えたため、介護保険料を上げざるを得ないらしい。行き先の短い年寄りが、本当に求めているものを制度だけで満たすことはできない。
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