斉藤茂吉が白頭翁(おきなぐさ)を愛したのは、この花が少年のころ裏山の遊びで群がり咲いていたからであった。この山には狼石というものがあって、この石には洞穴があり、そこで狼が子育てをし、夜岩の上で吼えたらしい。少年の茂吉は大人たちからこの話を聞き、友達を誘ってこの山に来た。
おきなぐさに唇ふれて帰りしがあはれあわれいま思ひ出でつも 赤光
茂吉は『作歌四十年』でこの歌に触れ、唇ふれては接吻のことだが、異性へのもでなく野の花であるが、表現が西洋風であるための叙情の歌として受け取られている。少年時のことが過去の追憶となってこの歌を作らせた、と言っている。多感な少年時の感情が、この花へのこだわりとなったのであろう。
かなしき色の紅や春ふけて白頭翁さける野べを来にけり つゆじも
大正十年の春、茂吉は上山に帰り、病気で弱った父を見、兄弟にもあった。茂吉自身、長崎に赴任していたが、病気になり喀血もしている。かなしき色のおきなぐさの花は、そんな不吉な色でもあるが、少年のころの追憶の色でもあった。
茂吉全短歌の短歌索引をみると、おきなぐさで始まる歌が、15首見られる。「赤光」から「白き山」まで、茂吉は生涯にわたっておきな草を愛し、詠み続けた。茂吉は疎開の生活を終え、東京の家に帰るとき、白頭翁の咲く狼石の野べを訪れ別れを惜しんでいる。茂吉はひともとのおきな草を掘って、東京の家の庭に移そうとした。
おきなぐさここに残りてにほへるをひとり掘りつつ涙ぐむなり 白き山