4月5日は、24節季の清明にあたる。清らかで明るい日差し、周りの景色も心なしか春を強く印象づける。ぽつんと花が開いたと思っていたら、この清明の声を聞くと、あちこちに懐かしい花たちに出会う。大輪のツバキは、青空に輝いて、美しい女性の顔(かんばせ)のようだ。
中国ではこの節季の代表的な花は桃である。中唐の詩人崔護の詩「人面桃花」の一節に
去年の今日此の門の中
人面桃花相映じて紅なり
という詩文がある。崔護が学生であったころ、とある門のなかに、美女のかんばせと桃の花が、互いに引き立てて美しかった。崔護はたちまちこの美人に恋してしまう。崔護は長く歩いたので喉が渇き、一杯の水を所望した。このときその美女が水を持ってきて崔護に与えた。初対面の二人に、互いに引き合うものがあったが、そのまま別れた。
一年後、崔護はかの美女を忘れられず、その家を訪ねた。だが門は堅く閉ざされ、案内を乞うてもだれも出てこない。崔護は
人面秖だ今何れの処にか去る
桃花旧に依り春風に笑む
と詩文を続け、その門に書きつけた。数日後、崔護が再びその家を訪ねると、美女の父親が出てきて、「あなたは娘を殺してしまった」。何故と聞けば、娘はあなたに恋こがれていたが、門にある詩をみて、絶食して死んだという。そこで家の中に入り亡骸を抱きしめて、崔は言った。「私はここにいますよ。」すると、死んだはずの美女は目を開き、半日ほどで生き返った。
年々、変わりなく美しい花に対して、人の生命のはかなさを比較するモチーフは、中国の詩の伝統に長く息づいている。