常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ヒヨドリ映像ゲット

2016年03月09日 | 日記


気温が上がって、ベランダにヒヨドリの姿が見えなくなった。梅の花が咲いたり、草木の芽が伸び始めたので、ベランダの乏しい餌に魅力がなくなったのかも知れない。そこで、カボチャの種を干してあったのを、フライパンで炒って、さらに堅い殻をはずし実だけを置いてみた。それでも、ヒヨドリはやってこない。今年はもう来ないのだろうと諦めかけていたところへやってきた。カボチャの種を見つけたたしく、十分に餌を食べると、ベランダの手すりにとまって去る気配がない。カーテンの側にいっても、じっととまったままだ。カメラを取り出して、カーテンの隙間から盗撮するような状況で映像を収めた。こんな近くから、ピントもぶれずに撮れたのは初めての体験だ。

あたためし言葉を鵯に攫はれつ 石田あき子
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東京大空襲

2016年03月09日 | 日記


2011・3・11の東日本大震災が起きてから、まもなく5年が経過する。津波や原発事故からの復興には、まだまだ長い時間が必要である。特に原発事故による発電所の廃炉までの道のりは長い。
日本には、この3・11の震災を大きく超える災害がある。それは、1945年の東京大空襲、戦災である。その年の3月9日の夜半から翌日の早朝にかけて、米軍の大空襲が襲い、東京の大半が焼失した。

その日の夕刻から、強風が吹き荒れはじめていた。その日の空襲に直撃された早乙女勝元は『東京大空襲』に、その生々しい様子を書き残している。
「真紅に染まった空に、黒煙は濃霧のように流れ、おびただしい火の粉がいっぱい。それはまるで火の粉の猛吹雪だ。B29は巨大な火柱の上を、ゆうゆうと旋回しながら、つぎつぎと焼夷弾をぶちまけていく。ピカッと空にきらめく青い閃光。とたんに無数の光跡が尾をひいて黒い屋根に吸いこまれ、また新しい火の手がどっと上がる。」

3月10日の零時15分から、2時37分までの正味142分間に、死者88,793名、傷者40,918名、罹災者1,008,005名、焼失した家屋267,171軒、半焼した家屋971軒。この巨大な空襲から5ヶ月後には広島、そして長崎への原爆投下という悲惨な戦災を被り、敗戦に至った。このわずか、2時間余の空襲による死者の数は、東日本大震災の死者の数を大きく上回っている。東京には、もうその戦災を示す痕跡は残されていないが、人々の心には消し難い傷痕が残ったままだ。
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