常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

登高

2016年03月24日 | 登山


週末の品倉山はメンバーが揃わず中止になった。天気も良さそうなので残念。4月1日の高倉山を楽しみにする。登山という楽しみは、いつ頃から始まったのだろうか。そんな疑問を抱いてが、『万葉集』を読んでいて、ヒントがあった。天平時代の歌人に、高橋虫麻呂という人がいる。虫麻呂は、東国の生まれで地位もなかったが、藤原宇合の庇護を受け、宇合の任地へ供奉してのでその地にまつわる歌を残した。浦島太郎の伝説を詠んだ「水江の浦の島子を詠む」など、有名な歌を残している。万葉集といえば、すぐに思い浮かぶのは、国見である。天皇が山の上から、里の人々の炊飯の煙を見て、その暮らしぶりを思いやった。

虫麻呂に「筑波山に登る歌一首」がある。この長歌のなかで、虫麻呂は山に登る動機を、旅の憂いを慰めるためと述べている。国見とは異なった喜びを山に登ることに見出している。

草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば
尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の 
淡海を 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日に
思ひ積み来し 憂へはやみぬ

反歌
筑波嶺の 裾みの田居に 秋田刈る 妹がり遣らむ 黄葉手折らな

旅の憂いとは何か。古代に生きる人にとって、家を離れて上司に供奉しているとはいえ、旅のなかでの孤愁であろう。筑波山の頂上に立って、北の田んぼに雁の鳴くのを見、南の新治にある湖に秋風が吹き渡る景色を見て、その景色のよさに憂いが跡形もなく鎮まった、と詠んでいる。反歌で、秋の田で働く女性に贈る紅葉の枝を折る、というは唯一この歌に登場する人間である。歌の意味をじっと考えると、古代の人の山登りの楽しみが、ふっと理解できるような気がする。

いま、自分の山の楽しみを考えて見ると、古代の人とは大きな差がある。虫麻呂の時代では、旅においても自分の足で歩き通さなければならない。それに比べれば、家から登山口までは、車で行ってしまう今の登山は、家からもさほど離れた感覚はない。共通するのは、高みに上がって初て得られる視点である。鳥の視点で、人の住む場所を見、さらに深い山地が眼前に現れる。写真はそこで撮るから、少しはその視点を説明できるが、そこに行かなければ「よけく」は十分に説明することはできない。
コメント
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