子どものころ、将棋を覚えた。北海道の冬は雪に閉じ込められてしまうので、将棋を指して時間をつぶす農家が多かった。我が家も例にもれず、兄弟で将棋のルールを教えあって覚えた。まったくの独流だが、将棋の定石を書いた本を読んだりもした。近所の将棋好きが、家に遊びにきて将棋を指した。小学生であったが、大人の人と指しても大抵勝った。家ではなぜか日経新聞をとっていて、将棋欄を詠むのが楽しみであった。一局の棋譜が、6日間ぐらいで掲載されるが、勝負所で「次の一手」という懸賞があった。
一度だけだがこの懸賞に応募して、自分が考えた「次の一手」が当選した。懸賞の景品は有名人の直筆のサイン入りの写真であった。大毎オリオンズの荒巻淳投手のサイン入りの写真が届いたときはうれしかった。というのも、その年にプロ野球が2リーグ制になり、最初の年にパリーグのペナントレースを制したのは、大毎オリオンズで、そのエースが荒巻であった。たしか、26勝をあげていたと思う。セリーグの巨人阪神が人気の中心であったが、なぜか我が家では家じゅうでオリオンズを応援していた。荒巻は火の玉投手の異名をとり、その一投一投をラジオの実況で聞いていたのを今も思い出す。金田投手が新人でデビューしたころの話だ。
将棋は我流で、将棋を知っているぐらいの人なら、誰と指しても買ったので自分は強いとばかり思いこんでいた。一度だけ段持ちの人と指す機会があってこてんぱんに負けてしまった。そのときだけ、もっと強くなりたいと思ったが、社会人になってからは、将棋に遠ざかってしまった。いまでは、大抵の人に負けてしまうような気がする。もう将棋の盤に向かわなくなって30年になるような気がする。