今日から、4月。桜が咲き、卯の花が咲くので卯月と呼ばれる。しかし、寒気は居座って、春の陽気にはほど遠い。ベランダから、スマホで外の景色を撮ってみる。カメラアプリで広角に撮った。前方に建設中のホテルの外観が見えてきた。開業ももう間もなくというところか。5月から、新しい元号が始まるが、その新元号が今日発表される。そうした意味でも、この月は新しいことが始まっていく月だ。
時は4月。
夕立がやわらかにやってきて、3月ひでりの根本までしみとおってしまう。
そのおしめりの精気で花が生まれて咲いてくる。
そよ風もまた、香ばしい息を吹いて、どこの山林地にも荒野にも、柔らかい新芽が枝にふいてきた。
チョーサー『カンタベリ物語』の、冒頭の詩で、イギリス中世の春をこんな風に詠んでいる。チョーサーの4月に比べると、ここの4月は寒く、芽吹きも川の土手に少し見られるだけだ。しかし、この季節になると、一たん寒気が去ると、春は爛漫としてやってくる。
新元号が令和と発表された。この元号の典拠は、万葉集であるとされた。万葉集の巻5を開けば、「梅花の歌32首併せて序」があり、その序文の冒頭に
天平2年の正月の13日に、帥老が宅に萃りて宴会を申ぶ。時に初春の令月にして、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉に披く、蘭は珮後の香を薫らす。」とある。
帥老とは太宰府の長官、大伴旅人で、その邸宅で、梅の花を詠む歌の宴会が開かれた。首相は、万葉集を国書であるとしたが、そもそも梅の花は中国からもたらされ、貴族はこぞって中国の梅を礼賛し、その序文は中国の古典に倣って漢文で書かれた。遣唐使が派遣され、日本は中国の文物を取り入れるのに熱心な時代であった。元号の典拠が、国書であったということにさほどの意味はない。むしろ、この国はこの時代から異文化を積極的に取り入れ、それを咀嚼して、和風を作り上げてきた。元号そのもが中国に倣ったものであることを忘れてはならない。