常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

城址の桜

2019年04月17日 | 

城跡の石垣などにはなぜか桜が似合う。神社や学校、歴史的な建物に、桜がある風景を見慣れているせいかでそう思うのかもしれない。霞城公園も桜が満開になって、観桜会などの行事も目白押しである。1500本の桜は圧巻で、夜のライトアップも行われる。今日の気温がアップして、いよいよ桜がピークを迎える。見て楽しむと同時に、城址に語り伝えられる伝説にも注目してみたい。

天文年間、1540年頃、山形の西方にある谷地には、白鳥を名乗る豪族がいた。地域を経営することより実力を蓄えた白鳥十郎は、出羽探題である最上氏を無視するように、伊達や織田信長と連絡を取るという行為を行うようになった。十郎の心中には、最上義光を退け、自ら出羽守の地位を狙っていたふしがある。義光がこれをよしとする筈はない。十郎の行いに関心を向け、警戒をするようになった。

だが、義光は正面から攻撃するようなことはせず、政略結婚などの方法で懐柔しようとしたが、十郎の心中に変わりはなくなお信長との誼を通ずる行為を続けた。いよいよ十郎を葬ることを決意した義光は、自分が重病のため後事を頼みたい旨の書状を送り、城へ十郎を呼び寄せた。十郎は病気見舞いのため、義光の寝所へ入ったところを斬りつけられた。謀殺である。十郎は重症を負って城を逃げ出し、桜の木のもとに倒れ込んだ。

このとき、十郎の流した血が桜を染めた。これが、血染めの桜である。この桜は彼岸サクラで、築城の際に植えられたが、他の桜より紅い花を咲かせるので、こんな伝説が信じられてきた。事実、看板で、伝説の桜を解説している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする