雨が上がり、湿った畑に、気温が上がっきたところを見計らって、野菜の種を蒔いた。昨年、山仲間から貰ったインゲン豆、バジル、小松菜。土は耕してあるが、畝を作って種を蒔く土は、篩で細かな土を集めた。土も野菜も、一切の声は発しない。日当たり、土の湿り具合、肥料そして、鳥に種を奪われない工夫をする。農作業は、そこが、植物の生育の適しているか、想像力と腕の力を必要とする、黙然とした作業が続く。
木瓜の花が盛りである。漱石がこの花を愛していたことは有名な話だ。木瓜の木の姿に、この木の愚直な生き方を見ている。『草枕』で、木瓜の木を評した文章がある。
「木瓜は面白い花である。枝は頑固で、かって曲がった事がない。そんなら真直かと云うと、決して真直でもない。ただ真直な短い枝に、短い真直な枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上がっている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔らかい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守るという人がいる。この人が来世に生れ変わると屹度木瓜になる。余も木瓜になりたい。」
何故、漱石が木瓜をそう評価するのか、私の理解の外である。例えば、木一ぱいの紅の花は、どうしてどうして華やかな感じを与えさえする。どうやら漱石は、鉢に植えた木瓜を見たときの感想であったのかもしれない。
其の愚には及ぶべからず木瓜の花 漱石
守拙の鉄則
①他人の昇進栄達について語らぬこと
②訴訟問題や時事問題について話さないこと
③昇進試験について論じないこと
④賭博をしなきこと