明治34年、正岡子規は病床にあった。もう病が進み、死が迫っていることを予感していた。病床にあって子規は、新聞に『墨汁一滴』を書き、歌を作った。カリエスの痛みが、次々と襲って子規を苦しめる。そんな子規を慰めたのは、花瓶に挿した藤の花でああり、窓の外に見える花々であった。梅雨入りを前にして、山吹の花がこぼれるように咲いていた。子規はその山吹の花連作十首を作った。その詞書きに、
病室のガラス障子より見ゆる処に裏口の木戸あり。木戸の傍、竹垣の内に一むらの山吹あり。此山吹もとは隣なる女の童の四五年前に一寸ばかりなる苗を持ち来て戯れに植え置きしなるものなるが今ははや縄もてつがぬるほどになりぬ。今年も咲き咲きて既になかば散りたるけしきをながめて
と書き
ガラス戸のくもり拭えばあきらかに寝ながら見ゆる山吹の花
と詠んでいる。子規は花を愛した歌人である。その歌集『竹乃里歌』を開ければ、次々と花を詠んだ歌にめぐり会える。藤、いちはつ、牡丹、夕顔、薔薇などなど。そして、山吹の花に託して、自らの命数を予感している。
世の中は常なきものと我愛ずる山吹の花散りにけるかも 子規