大山名人
将棋がブームになっている。一人の天才棋士、藤井壮太の出現がその大きな要因になっている。中学生でプロデビュー、この2年間に勝数116、敗数20、勝率8割という信じられない成績を残している。まだ高校1年生であるのに、全棋士参加の朝日杯選手権を2連覇という偉業も遂げている。藤井壮太の節目の棋戦が、テレビに登場することも珍しくなくなった。師匠の杉本8段がいつも解説に登場する。先日、囲碁界では、人気が落ちて、棋院の運営に赤字が続き、理事長の辞任というニュースが報じられたが、対照的に将棋への注目は高まる一方である。
昭和30年代には、将棋界に常勝の強い大山名人がいた。大鵬が強く、また優勝は大鵬かと飽きられるほどであったが、大山名人もそれに劣らず敗けない名人であった。荻窪に居を構え、30年代の後半には、名人戦を始め、当時の棋戦で5冠を達成していた。その頃、同じ荻窪に作家の井伏鱒二が住んでおり、名人と井伏の家は隣同士であった。夜、棋戦を終えて帰ってくる名人が、門を閉める音が聞こえてきた。その音の様子を聞きながら、井伏は今日の対戦はどうであったかと想像した。しかし、その開け閉めから、勝敗を判断することはできない。名人は、いつももの静かで、感情を素振りに現すことが微塵もなかったからだ。
井伏鱒二の随筆『人と人影』に「大山名人のこと」という小文がある。そのなかで、名人が時おり近所を散歩しているのを見ている。人は、きっと名人は、散歩をしながら、将棋の作戦をあれこれ考えているだろうと想像した。だが、名人が打ち明けた話が書いてある。名人が散歩をするのは、将棋のことを忘れようと心をくだいていた。
「名人の信条では、少なくとも対局の、二、三日前からは、すっぱりと将棋のことを忘れなくてはいけないのだ。その際、肝要なことは、勝負に敗れたあとの気持ちをぬいぐい去ることである。勝ったあとでも綺麗さっぱりとそれを忘れることが大事である。前の勝負に一切こだわらないことである。
名人の打ち明け話をこんな風に紹介しているが、それは次の対局のための気持ちの持ち方を言ったものである。切り替え、ということであろう。藤井7段の言動を見ていても、この名人のように、こうした心構えが見てとれる。「余分なことは一切考えず、盤面の最善手を指すことに集中する」と常に言っているのは、大山名人の心がけに通ずるものがある。