8月21日、12時半ころ美濃戸山荘から南沢のコースをとって行者小屋に向かう。山荘付近で見る八ヶ岳はガスにまかれて全体像が見えない。小屋の泊り客の情報で、明朝は9時から晴れ、午後3時ころから崩れるという話が聞え、期待感が高まるなか寝に就く。
8月22日午前5時、かなり深い霧、小屋の前で柔軟体操。別グループのツァーコンダクターが、「皆さん元気に体操しましょう。皆さんの元気で霧を吹き払いましょう」と声をかけて、全員で体操。行者小屋からは、中岳から阿弥陀岳に向かうコースをとる。登り始めて1時間も経たないうちに霧が払われて、時おり赤岳の頂上がその美しい姿を現す。登山中の人たちから喚声があがる。霧のなかから山容が見えるときは登山中の最も感動的な場面だ。このとき、山に入っている登山者の一体感が生まれる。
中岳から見上げる阿弥陀岳は、急峻で登れるかどうか、危ぶまれる感じである。阿弥陀岳を目指すメンバーは5名、リーダーと自分を除いて3名が女性である。ルートは危険な箇所には鎖やハシゴが設けられ、一歩一歩慎重に登ると意外に恐怖心もなく登頂できた。頂上でベテランの登山者が、付近に見える山の説明をしてくれる。ここからは遠く富士山が、少し大きめに見えている。
中山のコルで朝食(山小屋の弁当)。五目おこわがおいしい。ここでかわいい女子中学生と若い父の親子連れに会う。この日、山中でかなりの組の親子に会う。夏休み中の体験なのか、微笑ましい光景だ。この親子には、最後の小屋につく手前まで、抜きつ抜かれつ何度も会うことになる。少しづつ話かけているうち次第に打ち解けて、なんか家族のような雰囲気が出来上がっていった。
もうひとつうれしいことは、終わりかけのコマクサの花が、夏の終わりの岩稜を彩っていたことだ。保護をしている斜面には、見渡すかぎり一面にコマクサが風に揺れていた。
あどけない童女のくちびるほどにひそやかに
その赤禿げの焼石原に
駒草の花が咲いている 真壁 仁
蔵王のコマクサを謳った真壁仁の詩の一節が脳裏をよぎる。だが、その言葉を正確に辿るには書棚の詩集を開かなければならない。記憶を呼び起こすには、その詩集のどのページにその詩はあったか。なぜこの一節がこころに引っかかっているのか、詩集を開いて再確認する。こんな再確認をこり返すこと、それが老いを生きることの正体である。
山登りのもう一つの楽しみは、歩いてきた道を振りかえることである。あのががたる稜線に沿っている長くて細い道。よくもこの年老いた自分の足で歩きぬいてきたことか。それは人生の道に例えることも可能だ。キツい登りの後には開ける頂上があり、やがて疲れを癒してくれる小屋への下り道がある。
足元には色とりどりの花が咲き、アゲハチョウが羽を休めている。名の知れぬ小鳥が人を恐れる風もなく岩角に遊んでいる。見たことのない小さな鼠が岩かげから姿を現す。長く細い尾を垂らしている。
頂上を目前にした岩陰に休息をとっていると、先刻の親子が追いついてきた。二人とも満面の笑顔で我々のグループの近くで休み水分を補給している。中学生は素直で、父親の言葉をニコニコとして聞いている。そんな様子を見て昔、娘や孫と山登りしたことを思い出す。聞けば二人は年一度山登りをすることにしているという。この山に来て、若者の姿がとても多い。山は中高年ばかりという話はここでは通用しない。
頂上で記念撮影を終えて横岳へ向かう。赤岳の頂上を振り返ると、上は絵に描いたような青空だ。風も凪いで登山日和とはこういうのをさすのだろうと思った。苦労して登った老人に山の神さまがくれたご褒美だ。長く山登りをしているが、こんなにも恵まれた山登りは久しぶりのことだ。一緒に登った仲間たちも感激しているのがその笑顔でわかる。
横岳の砂礫の道を過ぎると硫黄岳とその裾に爆裂火口壁が巨大な口をあけている。ここは噴火して高い頂上が吹き飛んだところとの伝説もある。あたりにはコマクサが咲き、咲き残ったチシマギキョウがわずかに見つけることができたのみである。ツクモグサやオヤマノエンドウも期待していたがほとんど見つけることができない。
疲労した足を引きづりながら、二泊目の根石小屋に着く。屋根を風に飛ばされないように積んだ石と太陽光発電のパネルが不思議なコントラストだ。既に到着した先発隊が窓のなかから手を振っている。向こうの西日を受ける天狗岳が見えている。ここは風の通り道ですでに強い風が吹いていた。
この日夕日が赤く萌えた。夜中に風が小屋に吹きつける音が終夜聞えた。夕飯はハンバーグライス。心づくしのズッキーニのソテーがついていた。八ヶ岳の山小屋はどこの小屋も出来立ての夕飯を出してくれる。遠距離を歩いてきた身体にはおいしさが沁みるようだ。