常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

山寺

2014年12月13日 | 登山


今年の登山もいよいよお仕舞いになる。先月、私が参加しない関山旧道の山行で、落石によるトラブルがあったものの、大過なく一年のシーズンが終了しようとしている。今日は、山寺の裏山へ登る。ピークは550m、400mから上は積雪になっている。50cmほどだが、カンジキを履いて登る。雪の予報であったが、朝方は日がさす。ただ、気温は低い。木に着いた雪が、気温の低さを物語っている。推測だが、明け方は-5℃、登山じでも-3℃ぐらいのような気がする。

有名な山寺の展望台のある天狗岩や奥の院は、この尾根道のすぐ右下にある。あの階段を登ったことのある人なら、この尾根道の下は急勾配の崖や岩場でそこへ行くことはできないことが分かる筈だ。尾根筋には所々に祠があり参拝した形跡もある。その上、根本中堂の裏手から回ってこの尾根筋に出られるらしく、目印や踏み跡らしきものもある。見慣れた観光地の山寺でも、山中は踏み跡のような道は雪に埋もれ、地元に住む人でなかれば、迷うことも考えられるのでわき道へ入ることは避ける。

550のピークの先には、別の尾根が走っていてそこへ登るには、かなりの急登と雪と薮が遮っているので、今回はここで止めて、登山口へと引きかえすことにする。

新雪を踏むさびしさにふりかえり 那須 乙郎

山の新雪は、さほど淋しい感じはしない。けれども、一歩上がるごとに雪の量が増えていく。新雪を踏みながら、振り返ると来た踏み後の傾斜に驚く。こんなにも登ったのかと、考えながらさらに高みへと歩を進める。そんな繰り返しが、雪の山を登ることである。周りの光景には、必ずその日見つけた新しい感動がある。


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アドウエアその後

2014年12月12日 | 日記


昨日になって自分の対処がすべて失敗したことを知る。有料のプロテクトソフトを入れても一向に、広告攻撃が止まらない。専門家に相談して、何とか駆除に成功した。初めての事態であったため、自己流の対処がいかに危険であるか思い知らされた。生半可な知識で、ソフトのダウロードには、あくまでも慎重であるべきだ。
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あらきそば

2014年12月11日 | グルメ


あらきそばへほぼ1年半ぶりに行って来た。茅葺の店の屋根には、先日降った雪が消え残っている。玄関に掲げられた暖簾を潜って、見ると毎週水曜定休と張り紙がしてある。以前だと月に2回しか休みがなかったが、時世の流れか周一の休みができたようだ。壁の張り紙を見ると、旧習を見直したと断ってあった。花番の真弓さんが、私をみつけると、「ひさしいなあ」と声をかけてくれる。

この店に初めて来たのはいつごろか。多分、子どもたちが小学校に通っているころ、もう40年近くも前のころであったと思う。PTAの会合に出るようになって、ソバ通の人から山形のうまいそば店の話を聞き、何かの会の後に皆でこのソバ店へ行ったのが最初のような気がする。その後、亡くなった義兄に連れられて行ったのも記憶に残っている。



この写真の板そばは、うす盛で下が透けて見えるが、当時はうす盛でも下が見えるようなことはなかった。義兄が注文したのは厚盛であった。板の半分くらいまでびっしりと盛ったものだ。大食いの義兄はどんどん食べ、もっと食べろとさかんに勧める。江戸前の細切りに対抗して、あらきそばは太い田舎そばである。当時は年も若く、そばのおいしさも十分分かっていなかった。そのうえに、これでもかという盛りを前にして、そばを味わうどころではなかった。

それから、折りにふれてこの店に通うようになって、田舎ソバの豪快さや、新そばの甘さが分かるようになった。秋になってそばが収穫されるようになると、この店のそが食べたくなる。


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相聞

2014年12月10日 | 万葉集


しもと結ふ 葛城山に 降る雪の 間なく時なく 思ほゆるかな 古今和歌集1070

千歳山の雪景色をモノクロームで見ていると、古今集のこんな歌を思い出した。この歌は「詞書」に、「古き倭舞の歌」とあるから、一時代前の万葉人心情を表わしたと言える。「しもと結ふ」というのは、刈った細い木枝を結うのがかづら、つまり蔓草で結うことから葛城山かかる枕詞である。歌の意味は、葛城山に降る雪のように、間なく時なくつまり絶えずあの人のことを思っている、ということである。相聞の民謡が踊りと一緒に歌われていたのであり、葛城山は人々に絶えず雪の降る山として人々の受け入れられていたのであった。

山形の民謡に、「花の山形、紅葉の天童、雪を眺むる尾花沢」というのがあるが、尾花沢は雪の名所として歌われている。これも約束事として豪雪の尾花沢という地があるが、他にも豪雪の地はたくさんあり、なぜ尾花沢という気もしないではない。だが、きのう尾花沢で降る雪を見て、あらためて雪の尾花沢の印象を強くした。大石田への分岐を過ぎて、尾花沢の集落に向かうと、それまで小雪だった空から、突然ボタン雪が降り始めた。その雪こそ、間なく時なく、降る感じそのままであり、千歳山はもちろん、葛城山の雪よりも古今集の雪の感じを表わしていた。


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雪のなかの錦鯉

2014年12月09日 | 日記


楯岡から北へ行くと、気候がまったく違うことに気づく。これは山形県のほぼ中央に聳える月山と葉山があるためであるようだ。つまり、日本海でできた雪雲が、2000m級の月山と葉山にぶつかって雪を降らせ、その内側にある村山盆地には雪を降らせない。葉山の北の隙間から、北村山と最上には遮るものがなく雪を降らせる。単純な話であるが、北村山、最上、新庄地区は豪雪地帯である。

尾花沢で錦鯉を飼っている人がいる。家の前には、地下水を汲み上げた池がある。地下水は水温が高いために氷ることがない。話を聞くと、池には橋をかけて雪がかからない部分もあるという。鯉たちは、身を寄せ合うように、雪の庇のかげに集まっている。一体何尾いるのか、数え切れない数である。濁りのない地下水で、水はあくまで澄み、鯉の模様の色が際立って見える。

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