常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

郵便の始り

2014年12月04日 | 日記


太政官の通達で郵便制度が始まったのは、明治3(1870)年12月4日のことである。郵便物は馬車で運ばれ、東京から高崎の場合、一日二便で片道10時間を要した。郵便には為替金も積んで運ばれたので、これを目当てに強盗が出没した。配達夫の新島某は武州熊谷土堤で六人組の強盗に槍で突かれたが、馬に鞭をあてて危うく難を逃れた。この事件のあと、配達夫には六連発のピストルが護身用に渡されたが、郵便強盗は後を絶たず配達夫が殺されるということもしばしば起こった。

明治3年、日本郵便の父とされる前島密が駅逓権正に任じられ、当時、政府文書の送達に月1500両が支出されていたところから、郵便が制度として実施できると判断された。翌明治4年の3月には東京大阪間の郵便事業が始められた。今日の全国均一料金による郵便制度が作りあげられた。この年に郵便ポストの使用が開始されたが、当時は脚付きの四角い箱で、「書状集め箱」呼ばれ、全国に62ヶ所が設けられた。制度の利用が広がるにつれてポストの数も増え、明治6年には600個、平成になって19万本を数えるようになった。

赤い丸型が採用されたのは明治34年だが、これは鉄製で火災に強く、また赤い色が目立つので長くこの形が続けられ、箱型に変わったいまもポストのシンボルのように記憶にしみ込んでいる。


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雪降り

2014年12月03日 | 読書


11月の下旬は比較的温暖な日が続いた。ここへきて寒気が入り、日本海側の北日本では風雪が強まり寒さが厳しくなった。ここ山形でも、民家の屋根にうっすらと雪が見える。陽射しもないので薄暗いような空模様である。

『枕草子』を開いて、雪の記事を探してみた。清少納言は、短い段落で気づいた事柄を書いているので、見たい記事を探すのに便利だ。第247段、

「雪高う降りて、いまもなほ降るに、五位も四位も、色うるはしうわかやかなるが、うへのきぬの色いときよやらにて、革の帯のかたつきたるを宿直姿にひきはこえて、むらさきの指貫も、雪に冴え映えて濃さまさりたるを着て、袙のくれなゐならずは、おどろおどろしき山吹をいだして、からかさをさしたるに、風のいとう吹きて横さまに雪を吹きかくれば、すこしかたぶけてあゆみ来るに、深き沓、半靴などのはばきまで、雪のいと白うかかりたるこそおかしけれ。」

平安朝の女房たちの関心は、参内してくる王朝人の着物の色合いや、傘を傾ける様子などに向けられている。道には雪が積り、靴に雪がかかっているさまを風情あるものとして眺めていた。衵(あこめ)というのは、単と下襲の中間に着るもので襟首のその色目が出る。普通は紅であるが、老年になると白を用いた。なかに山吹色で目立たせたものもあったのであろう。袴は紫で裾をしばっていた。長い沓は皮製で、雪に対応したものと思われる。革の帯は袍を腰のところで締める革の帯で、石帯と呼ばれた。現代のベルトのようなものである。

背景に雪があって、それに映える衣装に清少納言の目が注がれている。それは、その身分によってこまかな決まりがあり、一目であの人は五位、あの人は四位と見分けることができるのだ。正装のほかに、宿直のときに着用する衣冠もあり、貴族の多様で美しい衣装が、雪のなかでみられたのであろう。


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ライ麦畑でつかまえて

2014年12月02日 | 読書


みぞれのような雪になる。家にいて本棚の本を読む。気になっていたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。この小説は以前に話題になり、読むつもりで買っていたのだが、本棚の隅に埋もれたままになっていた。この小説が、アメリカで発表されたのは1951年で、野崎孝訳で白水社uブックスに収められている。別に村上春樹訳のものあって、アメリカ文学の古典ともいえる小説だが、今なを長く読み継がれている。

この小説は若いペンシルベニアの高校生が、成績不良のために落第となり放校されてしまう。その高校の寮から家のあるニューヨークに帰るまでの3日間の出来事を、若い高校生の語り口で書いた一人称小説である。ホールデン・コールフィールドが主人公の名前である。訳者が書いているところによると、文体、つまり主人公が自分の経験を語って聞かせるその語り口は、1950年代のアメリカテェーン・エージャーの口調を再現したものとされている。この日本語の訳文が、いかにも1960年から70年代にかけて、若者の話言葉に影響を与えたものであるように思える。

喧嘩、飲酒、売春婦、暴力。もっともホールデンは、非力でもっぱら打ちのめされる方だ。放校になった16歳は、ニューヨークで、こんな都会の洗礼をめいっぱいに受ける。やっとのことで辿り着いた家にいる幼い妹から、辛らつな質問を受ける。

「なんになりたいの?ばちあたりな言葉はよしてよ」
「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているところが見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいないーー誰もって大人はだよーー僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立っているんだ。僕の仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえてやることなんだ。」

半分大人になりかけたホールデンには、学校でも、街でも見る人間はみんなインチキに見える。そのために、いつもいらいらしている。精神分析を受けなければならないような神経症になっているのだ。人々に口ずさまれている、「ライ麦畑でつかまえて」のリフレインが、そのクライマックスに登場する。

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甘柿

2014年12月01日 | 日記


畑のお隣さんから甘柿をいただいた。「奥さんは変わりないかね。甘柿でおいしいからコタツで食べな」といって渡してくれた。ビニール袋に重たいほどの量である。住宅は集合住宅だから、同じ階のの人でも、ひと月以上も顔を見ないことも珍しくない。少し離れたところにある畑では、作業の繁忙期には毎日のように顔を合わせる。畑を始めて5年以上も経っているので、隣の住人よりも話す機会が多い。畑の冬じまいになると、収穫の品を分け合ってさらに誼を通じあう。

柿一顆眺め飽かざれば癒えにけり 水原秋桜子

手で皮を拭いてそのまま口にする。ほんのりとやさしい甘さだ。大きな種がほろりと落ちる。昔食べた懐かしい味である。庄内柿などのブランドに押されて、この甘柿はほとんど市場にはでない。人での足りないところでは、木につけたまま、鳥の餌にしてしまうのも珍しくない。きのう車のタイヤを冬用に換え、雪の前の時期に心温まる贈りものであった。


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