常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

朝の月

2021年10月25日 | 日記
後の月が過ぎても、美しい月は西の青空に沈む朝の月だ。満月は言うまでもないが、宵の三日月とこの月を見るのは人生の大きな楽しみである。そう言えば、昨夜の夕焼けがはっとするような美しさだった。次の日の朝の月が美しいのは、夕陽が美しいのとつながりがあるのかも知れない。

よにふれば物思ふとしもなけれども
 月にいくたびながめしつらん 後中書王
(浮き世にあればかならず物思うものだと決まったわけではありませんが、月の光をみると、自然に心をうたれて、いくたびうちながめたことでしょう)

和漢朗詠集に見えるこんな歌も身に沁みる。ベランダから月が美しく見えると、必ず妻に声をかける。以前は遠くに住む娘に電話をかけて、月が美しいことを知らせたものだ。年を重ねると、そんな思いはますます強くなる。

名月や北国日和定めなき 芭蕉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋晴れ

2021年10月24日 | 日記
ぐずついた季節の変わり目の雨のあとに、こんなに気持ちよい秋晴れが来ようとは。目を西に転ずれば、うすっらと満月を過ぎた月が山の端におちていく。すこしばかり靄っているが、朝日が地上のすべてものにあまねくふりそそぐ。今日は冬タイヤへの履き替えを予約している。午前中はデーラーまでタイヤを運んで、冬の到来への準備。散歩コースの公園では楓の紅葉がまた少し深まった。時雨に逢えば山の紅葉も一夜にして散り果てる。

和泉式部が敦道親王に紅葉見物に誘われた話が『和泉式部日記』に出てくる。当時は、物忌という風習があって、誘われてもすぐに出かけられないという事情があった。その夜、山は時雨に降られてさしも紅葉が一夜にしって散ったしまった。その時の嘆きを歌に託した贈答歌がある。

 もみじ葉は夜半の時雨にあらじかし昨日山べを見たらましかば 式部
 (紅葉は、夜半の時雨で残ってはいまい。昨日のうちに山に行って見て
  おけばよかったものを)
 そよやそよなどて山べを見ざりけむ今朝は悔ゆれど何のかひなし 宮
 (そうだ。どうして山の紅葉をみなかったのか。今朝あなたが悔やんだ
  ところで何の役にも立たない) 

昨今の寒気と降り続く、時雨のような雨は、二人の嘆きを今に呼びおこすような気がする。山の紅葉が終わったなら、里の紅葉名所をこの秋はじっくりと訪ねることにしよう。春の花、秋の紅葉。残された人生であと何度楽しむことがききるか。先のことは数えることはできない。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霜降

2021年10月23日 | 日記
鞘に被われたいた辛夷の実が赤い実を見せた。今日は二十四節季の霜降。色々な木に赤い実がなるのは、冬の到来が近いことを示している。この一週間で一気に季節が進んで、山の頂には雪が見えてきた。部屋には暖房、着るものも次第に冬物になっていく。見ごろになった紅葉が、この寒気であっという間に散っていく。それにしても、高山で見事な紅葉に出会うことは難しい。本当に美しい紅葉に出会えるのは、生涯に何度あるであろうか。かって見たあの紅葉を今一度と思いながら秋の山に行くが、その願いはなかなか叶わない。

平家物語の巻6。高倉天皇の逸話が語られている。天皇が好んでいた宮中の紅葉が、嵐で散ってしまった。宮廷の召使たちが、落葉をかき集めて焚火をし、その火で酒を温めて飲んだ。天皇の近臣が、お咎めを恐れたが天皇はにこにことして怒る様子もない。天皇は白氏文集のこんな詩を読んでいたからだ。

林間に酒をあたてめて紅葉を焼き
石上に詩を題して緑苔を払う

白居易が仙遊寺という寺で、友人と楽しく過ごした時の思い出である。紅葉した木の葉を燃やして酒の燗をして飲んだり、石の上の苔を除いて、そこへ詠んだ詩を書きつけるなど、優雅な遊びを詩に詠んでいる。天皇にとって、召使の身でありながら、唐の国の風流な詩を心得いたことに驚きもし、感心もしたのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホトトギス

2021年10月21日 | 
秋の寺の庭などで見かける晩秋の花ホトトギス。花に斑点があり、あまり花のない季節だけに、こんなところに、と見かけることが多い。鳥の名がついているが、花の斑点が時鳥と似ているためだ。鳥のホトトギスは、渡り鳥で5月の半ばに、卯の花が咲くころにやってきて、秋には暖かい南の国へ行っていなくなる。俳句や和歌に多く詠まれているが、その姿を愛でるのではなく、その鳴き声が初夏を告げるためであるようだ。この花が咲く頃には、鳥のホトトギスはもう鳴くのを止め、静かに海を渡っている。

この花は茶花として人気も高い。風流を好む人たちが、いなくなったホトトギスの淋しさを癒すため、この花を部屋に飾って楽しんだのかも知れない。次第に公園や庭の葉が紅葉してくる季節に、この花を見つけるとやはりどこか心楽しい思いがする。風流とはかけ離れた暮らしだが、霜が下りようとする季節の貴重な野草である。原産は東アジア、日本。因みに中国名は油点草。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関山街道 寒風山

2021年10月20日 | 登山
関山街道は東北の交通の要衝であった。東根の関山から宮城の作並を経て仙台に至る峠越えは古い歴史を持っているが、万治2年(1659)街道に番所を設けた。その目的は、飢饉などのおり、米などの食料の他国への流出を止めるためと伝えられている。明治2年に横浜と仙台をつなぐ海の航路ができ、物資の峠越えの必要が増えてくると、寒風山と面白山の間の650ⅿの峠越えに急峻な部分に隧道を掘削して高度を下げ安定した道路の建設計画が持ち上がった。関山トンネルが開通したのは明治15年のことである。この計画を推進したのは、土木県令として名高い三島通庸であった。

明治26年8月6日、仙台から作並温泉の岩松旅館に泊まり、関山街道を通り開鑿された関山トンネルを経て東根へ入った俳人がいる。芭蕉の句に入れ込み、「奥の細道」の旅を試みた正岡子規である。この日作並から羽州街道へ出て、楯岡に至って投宿した。

雲にぬれて関山越せば袖涼し 子規
寒風山への登山口は、現在の関山トンネルの宮城県側の出口数㍍のところ。ここから沢筋の道をジグザグに辿り、尾根へと向かって行く。関山トンネルの上を通る登山道は次第に高度を上げ、国道が遥か下にある。かっての峯越えに思いを馳せ、子規の足跡を思いながら歴史の道をふり返るのには格好の道である。列島を背骨のように走る奥羽山脈を横断することがいかなることであったか。自分の脚で歩いてみて実感できる。切れ落ちる沢を這うように付けらてたトラバースの道は細く、一歩踏み外すと滑落の危険がある。900m地点からは、面白山や大東岳の山容が山地の深さを語っている。ジグザグの道を終え、最初のピークがコブノ背(995m)。登山口からここまで1時間半である。そこを下ると次のピークアオノ背へ行く鞍部に出る。冷たい風が吹き抜ける。この山の名はここを吹く風のよっているのかと推測したくなる。
すでに紅葉はこの近くまで下りてきている。登山口から2時間30分、寒風山の頂上に着く。今回の参加者9名、内男性3名。風の冷たい頂上を避けて、直下の藪を背にした道の広場で昼食。ここから白髭山までさらに厳しい登山道が続くが、今日の歩きはここまで。次第に雲が厚くなり、雨が来る様子なので、来た道を返してそのまま下山する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする