ある日、ふと見ると、ミモロは、部屋で、じっとしていました。


「あのねー。後世に恥ずかしくないネコになるのー」と、え、なぜ?突然…
テレビを見終わって、「だってー」と持ってきたのは、一通の封筒。

宛先には、

実は、今年の祇園祭の時、ちまき授与のボランティアをした「大船鉾」で、鉾復活のための支援募金を募っていたのです。
そこで、ミモロは、「大船鉾」の内部の鐘掛金具8つの内のひとつのために、わずかながら寄付をさせていただきました。

またお手紙には、寄付のお礼と共に、支援した人の名前を、大船鉾の保存会芳名録に記載し、永久に保存されると書かれています。
「ネコのミモロって、永久に残るんだよー。だから後世の人が、これだれ?って言ったとき、『あのーミモロちゃんねー』って言われるようなネコにならなくちゃー」と。それでネコの歴史から勉強してるわけ…?
まぁ、勉強するのはいいことだから…理由はともかく・・・・。
きっとそこまで気にしなくて、小さな記載だから大丈夫じゃない?「え~でも~ミモロが京都にいたって、証(あかし)でしょ?」そう・・・確かに…。
そもそも「大船鉾」は、約500年前、将軍、足利義教の命により、「祇園祭」が再興した折に、建立されたと伝えられます。応仁の乱で戦火にまみれ、その後、復興された36基の山鉾の中にも…。次に天明の大火にて全焼するも、町衆の力で、再興。しかし、幕末の蛤御門の変で、またもや火事にみまわれます。鉾は焼けますが、装飾品やご神体の神功皇后のご尊面は、類焼を免れ、現代へと受け継がれています。復興のために、町衆は、寄付を募りますが、折しも、明治維新の小学校制度の導入により、その費用は、小学校建設にまわされ、長らく、鉾を再び、作ることができなかったのです。しかし、一昨年、140余年の時を経て、ご神体のご尊面を乗せた唐櫃での巡行が実現。いよいよ「大船鉾」の復活の第一歩を踏み出しました。そして、ついに2014年、150年ぶりに「大船鉾」の船体を祇園祭にて、現すという四条町の人たちの祈願が叶うことになったのです。
そこで、その新しい鉾に使われる部品などの寄贈を募ることに…。
さらに封筒には、「大船鉾」復興に尽力なさる書家の窓月庵坐こつ(そうげつあんざこつ)先生の書、


「わーうれしい…少しだけだけど、お役に立てたのかなぁー」と、封筒を握りしめながら、感激しきり。
「京都駅のそばのヨドバシカメラの1階で、今、展示されてるんだって、行ってみようよ」ということで、さっそく。
夏に訪れた時は、まだ骨組みしかなかった鉾ですが、
「わーすごくできてるよー」と、ビックリ!


船体の姿が、堂々と…。「さすが京都…大工さんたちの技術がすごいねぇー」
ミモロは、船体をじっくりと見て行きます。「あれ?ミモロが寄贈した鐘掛金具ってどこ?」
それは、まだ設置されていない部分です。

展示場には、小さな完成模型が。「どこかな?」

模型には、さすが小さな金具までは付いていなかったよう…。
来年、1月中旬には、完成お披露目の見通しとか…。このように建設中の鉾が間近で、ゆっくり見られるのは、来春までとのこと。その後は、解体され、四条町へと納められます。
「今の内によく見とかなきゃねー。お友達にも教えてあげよう…」
さて、来年の祇園祭は、本来の姿である先祭、後祭の2回にわたり、山鉾巡行が行われる予定です。先祭は、7月17日、そして後祭は、7月24日に。
「先祭の山鉾巡行の数が減るんだー。ということは、宵山にも後祭グループの山鉾は、登場しないわけね」
先祭の山鉾は、長刀鉾から船鉾までの23基。そして後祭は、橋弁慶山から大船鉾までの10基です。
「後祭で鉾は、大船鉾だけなんだー。大きな山は、北観音・南観音だねー。後祭にも宵山ってあるのかな?巡行のコースも違うんだよねー。どうなるのか想像できないー」と、今から気がかりな様子のミモロ。
「でも、来年が楽しみだね…動く姿見たら、きっと涙でちゃうかも…」と、完成間近な鉾の姿を見ながら、すでに目を潤ませるミモロでした。

*「大船鉾」の常設展示(正式名称:「京都市無形文化遺産展示室(京都祇園祭大船鉾復興展示)」は、京都駅そばのヨドバシカメラの1階、北側で、10:00~18:00 水曜休館 入場無料で開催しています。京都駅から新幹線に乗る前などに、ぜひお立ち寄りください。展示は、来春までの予定。冬でも見られる祇園祭です。

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