涌出宮境内にとてつもない巨大な大松明を作りあげた。
まさに大蛇の名に相応しい大松明である。
作業を終えた与力座の人たち。
社務所で食事を摂る人もおれば自宅に戻る人たちも。
再び集まるのは夕刻である。
再開するまでの時間は6時間以上もある。
木津川市山城町平尾付近に佇んでいるわけにもいかず、一旦は場を離れて日が暮れるころに戻ってきた午後6時半。
参道にある数店舗の夜店で梯子買いをする子供たち。
昔も今も変わらぬ風景にほっとする。
与力座座中も再開されて始まる座饗応の儀。
もてなしする座は与力座。
もてなしを受ける座は古川座、尾崎座、歩射座の三座である。
今夜並びに明日の儀式に役目をする与力座の人たちがいる。
今夜の門“かど”の儀に明日の座饗応および御田の儀を進行する板元(いたもと)がおられる。
進行などは板元がされるが、所作は給仕と呼ばれる子供たちが就く。
この年の給仕は小学6年生の男児が3人。
両日とも所作をする。
また、神事ごとや座の儀に出仕される“そのいち”と呼ばれる里巫女がいる。
今夜は大学生のNaさんに明日が出番のNiさん。
支度・着替えを済ませて登場する。
先に始まったのは神楽殿に参集した巫女さんたち。
太鼓を打ち、笛を奏でる雅楽奏者に神楽舞を奏するのは棚倉から見て西方寄りの隣町になる精華町北稲八間北垣外に鎮座する武内神社の宮司や巫女さんたち。
中谷勝彦宮司が紹介してくださった宮司さんは、なんと漢字が同姓同名。
当社もお越しくださいと伝えられた。
神楽殿では巫女さんたちが参拝される人たちに神楽を舞う。
龍笛や太鼓の音色に神楽を舞う2人舞。
右手に鈴を採り、袖を揚げながら右回り。
宮司が吹く龍笛の音色が美しく響きで奏でられる。
お神酒を注ぐのも巫女さん。
盃を手にした参拝者に三々九度の作法でお神酒を注いだらぐいと飲み干す。
後年、この神楽舞の振り付けを観られたFB知人のFさんがいうには、習っているからわかる浪花神楽だという。
奏でる曲は式神楽第一のようだ。
次から次へと参拝される氏子たち。
家族連れがもっとも多いようだ。
午後6時半の時間帯での参拝者はそれほどでもないが、時間が経つにつれて増えつつある待ち行列。
女の座行事でもお世話になった京都府文化財保護指導員のAさんもまた一人の参拝者。
声をかけられたのは参拝後である。
中谷勝彦宮司からもこれより始まる儀式に居籠舎に、と云われていたが、初めての取材に遠慮と思っていたところにAさんからはご一緒しましょう、と誘われた。
Aさんは京都府文化財保護指導員。
指定文化財の実施状況を確認する役目を担っているから、毎年が担当。
居籠舎に座る位置も決まっているから、その隣席でという。
古川座の座中が参拝され、居籠舎にあがるころには、と少し時間をいただいて神楽清祓の様相を撮っていた。
そろそろ来られる時間帯と思って神楽殿に待機していた。
そこにやってくる装束に烏帽子を被った古川座の人たちの参拝模様を撮っていた。
座中が差し出す招待状を受け取って三々九度のお神酒。
黒塗りの盃もあるが白のカワラケでいただく人も。
三度口にして飲み干せば鈴祓い。
そして御田式の絵が描かれている絵馬付きの破魔矢に涌出宮のお守りと紅白米の御神饌を拝受する。
さて、参拝を済ませた古川座の人たち。
黒地に下り藤を白抜き染めした素襖(※そうまたはすおう)を着用。
下駄履き姿に足元は黒足袋で来られた。
家から持ってきた風情ある提灯にローソクの灯りが美しい。
本来なら座中は十人衆であるが、この年は都合があって9人。
上座中央、本殿に向かって一老が座り、その横に二老、三老以下十老までが順に座る。
座る場所は赤の毛氈。
そこは古川座に尾崎座、歩射座の指定席。
宮司の許可を得た人たち(※おそらく給仕の親であろう)もこの居籠舎に座ることはできるが、その毛氈を外した位置になる。
壁際いっぱいに背をつけて身は一切動かしてならない条件。
これより始まる儀式は神事だけに、言わずもがなのマナーモードである。
座饗応の儀は中央に古川座を配し左右の座に羽織袴の裃姿の尾崎座(本殿に向かって左座)、歩射座(同、右座)が座る。
尾崎座は、天平神護二年(766)に伊勢から下ってきたご祭神のお供した人たち。
歩射座は、その道中を警護した人たちと伝わり、座中はその末裔にあたる。
そして、古川座は、元々この地の平尾、綺田に在住し、伊勢から下ってきたご祭神をお迎えた人たち。
与力座はご祭神をお守りしてきた社家・神職とも考えられる。
居籠舎に居たものだから舎外で行われる様子の一切がわからないが、なにやら音がする。
どうやら祝詞を奏上するなど神事が始まったようだ。
居籠舎の扉が開かれて登場したのは宮司に拝殿で神楽を舞ったそのいちと称する巫女さんである。
座、それぞれの席に向かってお祓いをする宮司。
次は巫女さんの鈴祓い。
シャンシャンの音がする。
本殿で行われる神事は宮司、巫女さんの神職の他、与力座一老のKさんも座する。
座饗応の間はずっと本殿に向かって座ったままの姿。
黙して語らずの位置はまるで涌出宮の神子のように思えるが、2月半ばの寒さはやはり厳しい。
しばらくすれば烏帽子被りに緑色の素襖を着用した板元が登場されて下座に座る。
扇を手前に置いて頭を下げ、これより儀式が始まる。
と、同時に入っていた子どもの給仕も続いて座中それぞれに頭を下げて饗応の座の始まりである。
実は居籠舎の扉は両方とも解放である。
観ようと思えば、それなりに拝見できるようだが、細部の所作は座中でないとわからない。
初めの所作は榊の葉の清めである。
所作は3人の給仕。
まずは正面の一老席に向かって高く掲げた榊を立てて前進み。
一老はその榊より葉を摘む。
摘んだ一老は右後方へ、次に左後方へ肩越しに放る。
給仕が動いて次は二老席前に就く。
同じように立てていた榊をやや前に傾けて葉をもぎ取る。
右、左へ肩越しに放る。
続いて三老。
そして四老から十老まで。
この所作は榊の葉をもって身を清めるものだ。
尾崎座も歩射座も、もう二人の給仕が座中の前に出でて榊を手向け、もぎった葉をもって身を清めていた。
3人の給仕は同時進行される所作。
座中の人数に合わせて動き出すタイミングをとっていた。
奈良県内の事例であるが、まったく同じ所作をしていた地域は、山添村春日の春日神社の風ノ祈祷における作法に似ている。
次の所作は三献。
まずは上座に座る古川座の一老席へ進み出る給仕。
高く掲げた銀色の酒器を運ぶ給仕。
席に就いて頭を下げる両者。
給仕は銀色の酒器を両手で持ち、右肩から上方へ大きく腕を上げて廻すような格好で3回。
カワラケで受ける座中に酒を注いだら、酒を3口つけてから飲み干す。
三献の順は榊清めと同じように古川座、尾崎座、歩射座の座中一人ずつ、厳かに酒を注いでいたこの席に鰯一尾を皿に盛った見せ膳があったようだ。
座のあり方、動作に一切の音無し。
静寂な場に、参拝者を迎えるお神楽の音色が聞こえてくる。
後に、菊約さんから聞いた神楽は「えびす神楽」とのこと。
よく調べておられる。
次の所作は御供膳である。
折敷に乗せた三角錐のような形に成形した盛り飯の御供(ごく)。
両手でもった折敷は目の上以上に高く揚げながら前に進み出る。
御供が倒れないようにしっかりともった給仕の右手にあるのは箸である。
箸は樫の木。
皮を剥いで奇麗に作った一膳の箸。
席に就いたら少しつまんで、座中が広げた手中にそっとおく。
蓋をするような感じで御供が零れないように、両手で包むようにされた。
給仕が次の座中に移ったさいによそってくれた御供を口にする。
いわゆるテゴク(手御供)のあり方である。
これもまた奈良県内事例によく見るあり方。
事例に山添村大塩・八柱神社の夏神楽に見られる。
次の所作は「おかぎ」配り。
座中一人ずつに「おかぎ」と「松苗」を配られる。
次の所作は、座始まりにされた榊の葉による清め。
同じように右肩、左肩後方に放って身を清める。
涌出宮ではこの所作を「清めのちょうず(※手水)」と呼んでいる。
こうして一連の所作を終えた給仕たち。
緊張感に高揚していたと思われるのだが・・無事に済ませてほっとしたことだろう。
下座に就いて頭を下げた給仕に板元もされてお開きと相成った。
ちなみに三献に酒。
実はお酒でなく白湯(さゆ)である。
室町時代、興福寺の修正会にも見られるように酒は白湯であったと記録がある、と中谷勝彦宮司が話してくれた。
現在は見られない修正会の白湯は、ここいごもり祭に見られたということだ。
座も含めたいごもり祭の神事中の宮司と与力座の一老である。
紺地に下り藤を白抜き染めした素襖姿である。
神さんが居る場に居籠っていた。
いわば神使いの一老でもあるが、寒風に吹かれていようが、じっと我慢。
座の見守り役でもあったかもしれない。
神事を終えた一老。
氏子たちとつかの間の会話に思わずシャッターを切らせてもらった。
与力座一老のKさんはこの年で2年目の任。
3年間を務めた一老は翌年に座の古老役として座を支援するそうだ。
この日の大松明作りにも従事していた長老5人が古老役であった。
(H30. 2.17 EOS40D撮影)
(H30. 2.18 SB932SH撮影)
まさに大蛇の名に相応しい大松明である。
作業を終えた与力座の人たち。
社務所で食事を摂る人もおれば自宅に戻る人たちも。
再び集まるのは夕刻である。
再開するまでの時間は6時間以上もある。
木津川市山城町平尾付近に佇んでいるわけにもいかず、一旦は場を離れて日が暮れるころに戻ってきた午後6時半。
参道にある数店舗の夜店で梯子買いをする子供たち。
昔も今も変わらぬ風景にほっとする。
与力座座中も再開されて始まる座饗応の儀。
もてなしする座は与力座。
もてなしを受ける座は古川座、尾崎座、歩射座の三座である。
今夜並びに明日の儀式に役目をする与力座の人たちがいる。
今夜の門“かど”の儀に明日の座饗応および御田の儀を進行する板元(いたもと)がおられる。
進行などは板元がされるが、所作は給仕と呼ばれる子供たちが就く。
この年の給仕は小学6年生の男児が3人。
両日とも所作をする。
また、神事ごとや座の儀に出仕される“そのいち”と呼ばれる里巫女がいる。
今夜は大学生のNaさんに明日が出番のNiさん。
支度・着替えを済ませて登場する。
先に始まったのは神楽殿に参集した巫女さんたち。
太鼓を打ち、笛を奏でる雅楽奏者に神楽舞を奏するのは棚倉から見て西方寄りの隣町になる精華町北稲八間北垣外に鎮座する武内神社の宮司や巫女さんたち。
中谷勝彦宮司が紹介してくださった宮司さんは、なんと漢字が同姓同名。
当社もお越しくださいと伝えられた。
神楽殿では巫女さんたちが参拝される人たちに神楽を舞う。
龍笛や太鼓の音色に神楽を舞う2人舞。
右手に鈴を採り、袖を揚げながら右回り。
宮司が吹く龍笛の音色が美しく響きで奏でられる。
お神酒を注ぐのも巫女さん。
盃を手にした参拝者に三々九度の作法でお神酒を注いだらぐいと飲み干す。
後年、この神楽舞の振り付けを観られたFB知人のFさんがいうには、習っているからわかる浪花神楽だという。
奏でる曲は式神楽第一のようだ。
次から次へと参拝される氏子たち。
家族連れがもっとも多いようだ。
午後6時半の時間帯での参拝者はそれほどでもないが、時間が経つにつれて増えつつある待ち行列。
女の座行事でもお世話になった京都府文化財保護指導員のAさんもまた一人の参拝者。
声をかけられたのは参拝後である。
中谷勝彦宮司からもこれより始まる儀式に居籠舎に、と云われていたが、初めての取材に遠慮と思っていたところにAさんからはご一緒しましょう、と誘われた。
Aさんは京都府文化財保護指導員。
指定文化財の実施状況を確認する役目を担っているから、毎年が担当。
居籠舎に座る位置も決まっているから、その隣席でという。
古川座の座中が参拝され、居籠舎にあがるころには、と少し時間をいただいて神楽清祓の様相を撮っていた。
そろそろ来られる時間帯と思って神楽殿に待機していた。
そこにやってくる装束に烏帽子を被った古川座の人たちの参拝模様を撮っていた。
座中が差し出す招待状を受け取って三々九度のお神酒。
黒塗りの盃もあるが白のカワラケでいただく人も。
三度口にして飲み干せば鈴祓い。
そして御田式の絵が描かれている絵馬付きの破魔矢に涌出宮のお守りと紅白米の御神饌を拝受する。
さて、参拝を済ませた古川座の人たち。
黒地に下り藤を白抜き染めした素襖(※そうまたはすおう)を着用。
下駄履き姿に足元は黒足袋で来られた。
家から持ってきた風情ある提灯にローソクの灯りが美しい。
本来なら座中は十人衆であるが、この年は都合があって9人。
上座中央、本殿に向かって一老が座り、その横に二老、三老以下十老までが順に座る。
座る場所は赤の毛氈。
そこは古川座に尾崎座、歩射座の指定席。
宮司の許可を得た人たち(※おそらく給仕の親であろう)もこの居籠舎に座ることはできるが、その毛氈を外した位置になる。
壁際いっぱいに背をつけて身は一切動かしてならない条件。
これより始まる儀式は神事だけに、言わずもがなのマナーモードである。
座饗応の儀は中央に古川座を配し左右の座に羽織袴の裃姿の尾崎座(本殿に向かって左座)、歩射座(同、右座)が座る。
尾崎座は、天平神護二年(766)に伊勢から下ってきたご祭神のお供した人たち。
歩射座は、その道中を警護した人たちと伝わり、座中はその末裔にあたる。
そして、古川座は、元々この地の平尾、綺田に在住し、伊勢から下ってきたご祭神をお迎えた人たち。
与力座はご祭神をお守りしてきた社家・神職とも考えられる。
居籠舎に居たものだから舎外で行われる様子の一切がわからないが、なにやら音がする。
どうやら祝詞を奏上するなど神事が始まったようだ。
居籠舎の扉が開かれて登場したのは宮司に拝殿で神楽を舞ったそのいちと称する巫女さんである。
座、それぞれの席に向かってお祓いをする宮司。
次は巫女さんの鈴祓い。
シャンシャンの音がする。
本殿で行われる神事は宮司、巫女さんの神職の他、与力座一老のKさんも座する。
座饗応の間はずっと本殿に向かって座ったままの姿。
黙して語らずの位置はまるで涌出宮の神子のように思えるが、2月半ばの寒さはやはり厳しい。
しばらくすれば烏帽子被りに緑色の素襖を着用した板元が登場されて下座に座る。
扇を手前に置いて頭を下げ、これより儀式が始まる。
と、同時に入っていた子どもの給仕も続いて座中それぞれに頭を下げて饗応の座の始まりである。
実は居籠舎の扉は両方とも解放である。
観ようと思えば、それなりに拝見できるようだが、細部の所作は座中でないとわからない。
初めの所作は榊の葉の清めである。
所作は3人の給仕。
まずは正面の一老席に向かって高く掲げた榊を立てて前進み。
一老はその榊より葉を摘む。
摘んだ一老は右後方へ、次に左後方へ肩越しに放る。
給仕が動いて次は二老席前に就く。
同じように立てていた榊をやや前に傾けて葉をもぎ取る。
右、左へ肩越しに放る。
続いて三老。
そして四老から十老まで。
この所作は榊の葉をもって身を清めるものだ。
尾崎座も歩射座も、もう二人の給仕が座中の前に出でて榊を手向け、もぎった葉をもって身を清めていた。
3人の給仕は同時進行される所作。
座中の人数に合わせて動き出すタイミングをとっていた。
奈良県内の事例であるが、まったく同じ所作をしていた地域は、山添村春日の春日神社の風ノ祈祷における作法に似ている。
次の所作は三献。
まずは上座に座る古川座の一老席へ進み出る給仕。
高く掲げた銀色の酒器を運ぶ給仕。
席に就いて頭を下げる両者。
給仕は銀色の酒器を両手で持ち、右肩から上方へ大きく腕を上げて廻すような格好で3回。
カワラケで受ける座中に酒を注いだら、酒を3口つけてから飲み干す。
三献の順は榊清めと同じように古川座、尾崎座、歩射座の座中一人ずつ、厳かに酒を注いでいたこの席に鰯一尾を皿に盛った見せ膳があったようだ。
座のあり方、動作に一切の音無し。
静寂な場に、参拝者を迎えるお神楽の音色が聞こえてくる。
後に、菊約さんから聞いた神楽は「えびす神楽」とのこと。
よく調べておられる。
次の所作は御供膳である。
折敷に乗せた三角錐のような形に成形した盛り飯の御供(ごく)。
両手でもった折敷は目の上以上に高く揚げながら前に進み出る。
御供が倒れないようにしっかりともった給仕の右手にあるのは箸である。
箸は樫の木。
皮を剥いで奇麗に作った一膳の箸。
席に就いたら少しつまんで、座中が広げた手中にそっとおく。
蓋をするような感じで御供が零れないように、両手で包むようにされた。
給仕が次の座中に移ったさいによそってくれた御供を口にする。
いわゆるテゴク(手御供)のあり方である。
これもまた奈良県内事例によく見るあり方。
事例に山添村大塩・八柱神社の夏神楽に見られる。
次の所作は「おかぎ」配り。
座中一人ずつに「おかぎ」と「松苗」を配られる。
次の所作は、座始まりにされた榊の葉による清め。
同じように右肩、左肩後方に放って身を清める。
涌出宮ではこの所作を「清めのちょうず(※手水)」と呼んでいる。
こうして一連の所作を終えた給仕たち。
緊張感に高揚していたと思われるのだが・・無事に済ませてほっとしたことだろう。
下座に就いて頭を下げた給仕に板元もされてお開きと相成った。
ちなみに三献に酒。
実はお酒でなく白湯(さゆ)である。
室町時代、興福寺の修正会にも見られるように酒は白湯であったと記録がある、と中谷勝彦宮司が話してくれた。
現在は見られない修正会の白湯は、ここいごもり祭に見られたということだ。
座も含めたいごもり祭の神事中の宮司と与力座の一老である。
紺地に下り藤を白抜き染めした素襖姿である。
神さんが居る場に居籠っていた。
いわば神使いの一老でもあるが、寒風に吹かれていようが、じっと我慢。
座の見守り役でもあったかもしれない。
神事を終えた一老。
氏子たちとつかの間の会話に思わずシャッターを切らせてもらった。
与力座一老のKさんはこの年で2年目の任。
3年間を務めた一老は翌年に座の古老役として座を支援するそうだ。
この日の大松明作りにも従事していた長老5人が古老役であった。
(H30. 2.17 EOS40D撮影)
(H30. 2.18 SB932SH撮影)