ホウの木で毎年作り変えるのは手間がかかる。
区長の役目であるホウの木造りの刀。
山添村の下津でも聞いた役目であるが、ここ大西も同じだった。
山の神の祭場に供える数々の祭具。
刀の他に山仕事に関係する七つ道具。
それらを拝見したくやってきた山添村の大西。
平成28年10月9日に拝見した座祭り。
八王子神社の参拝に座祭りされた旧極楽寺会所。
格式のある座行事であった。
大西の神社行事は八王子神社から少し距離が離れた地の稲荷神社においても行われている。
平成28年の12月4日は芋串祭りとも称される新嘗祭だった。
また、1月6日は旧極楽寺で行われるオコナイも拝見させていただいた。
この日の行事は神社行事でもなく寺行事でもない山の神に参る行事であるが、集団で行われるものではない。
各家、めいめいが個々に行われる山の神参り。
カギヒキの作法もあると聞いていた。
早い家では夜中の0時過ぎになれば参拝する。
朝日の昇らない時間帯に来る人とか、明るくなってから参るとかまちまちの時間帯。
毎年を同じ時間帯に来る人もおれば、毎年が違うという人もいる。
ずいぶん前のことである。
同村の春日の山の神を拝見したことがある。
どなたが何時来られるのか、さっぱりわからないが、何人かが参られるだろうと出かけた大字春日。
真っ暗な山の道を歩いて着いた山の神の場。
辺りはシーンとしていた。
ときおり風が囁く。
何かの動物が動いたような音もするが・・・。
時間の経過は覚えていないが、参拝に来られた人に撮影許可をお願いして撮らせてもらったことがある。
真っ暗な時間帯の山の神参りにピントが合わずに難儀したことを覚えている。
大字大塩では予め許可をいただいてお家を出発するところから同行させてもらったこともある。
そんなことも思い出す山の神の取材。
地域、それぞれの様相がある。
供えたホウの木造りの刀の他に七つ道具。
毎年、造ってきたが手間のかかる作業。
区長の役目であるが、これは数年前に作ったものらしい。
ホウの木造りの山の神はニス塗り。
汚れは多少つくが1月15日になれば下ろして奇麗に拭きとって次の区長の廻りに保管預かりをしてもらうようだ。
予め聞いていた大西の山の神。
到着した時間帯は午前11時。
車を停めさせてもらう場から眺める田んぼ付近に人だかりができていた。
かすかに見えた“火”遊びではなく、とんど焼きであろう。
気になるとんど焼きにブルーシートを被せている藁積みもあるが、今日の本題は山の神。
大欅があるからすぐ見つかるといわれて先に出かけた「ジンスケ屋敷跡」。
実はこの日は大字大西のとんどの日。
そのことを教えてくださったのは同大字大西在住のFさん。
正月3日に行われるチョウジャドンの膳を取材させていただいた際に話してくれた地区4軒のとんど焼きである。
地区はまさにその方角。
とんどは大きなものでなく小っちゃなとんど、といっていたから間違いない。
かつては習字焼きもしていたが、今は誰も・・・といっていたが火点けの時間帯は早朝ではなかったようだ。
ちなみに「ジンスケ屋敷跡」下に住んでいる高齢の婦人がいうには、ここもとんどをしていたそうだ。
道路向かい側にある共同井戸。
その前の道でしていたが舗装路になったことから中断に至ったそうだ。
その婦人が指さした山の神行きの道。
急な坂道を登ってすぐ。
鬱蒼とした樹林の向こうに大木が見える。
それが大欅。
その地に整然と並べられた山の神に奉る刀と七つ道具。
真上に注連縄を張っていた。
注連縄右横にあるのはフングリ。
近くにクリの木で作ったカギヒキがある。
中央に刀。
艶のあるニスを塗ったホウの木に「五穀豊穣、字中安全」の墨書文字。
下部の柄に付けた×××印でわかる刀。
裏側も確認したかったが、触ることは厳禁だ。
左右に並べた七つ道具。
左からカマ・ナタ・ノコ・ヨキ・・・2本のクワ・スキ。
クマデもあると聞いていたが見当たらない。
2本のクワとみたが、うち1本がクマデかも・・・。
道具の前にあるのがクラタテ。
他地域とは違いのあるクラタテ。
蔵になる部分の四本柱のない1本柱の構造にシデ。
三角巾のように敷いた半紙の上に二段の鏡餅。
クシガキに栗、葉付き蜜柑を揃えた周りに置いてあるのは参られた各家が供えた御供。
長さは短いが同じようにクシガキ、栗、蜜柑にキリコ餅(切り餅)。
メザシや髭のあるトコロ芋を供える家もある。
これら祭具に御供を撮っていたとき、下から登ってくる家族連れに出会った。
存じている男性は平成28年10月9日に行われた座まつりに相当家を務めたOさん。
持参した一束の藁をとんど場に置いてから2個の御供餅を山の神に供える。
手を合わせて拝んだら手前にあるクリの木でカギヒキの所作をする。
山の神呼びの詞章は聞こえなかったが、もう一度手を合わせて参拝を終えた。
実は心の中で五穀豊穣を唱え、カギヒキは3回したという。
参拝したら供えた餅を持ち帰る。
山を下る前にとんど場で火を点ける。
藁束を燃やして餅を焼く。
その様子を見守る息子に孫さん。
ここでは少し焼くだけで、家に持ち帰ってから本格的に焼いて、家族揃って食べるという。
それから数分後。一人の男性が登ってきた。
なんと、座まつりに大当家を務めたOさんだった。
前相当家と同じように御供餅を供えて、カギヒキの所作をする。
前大当家のOさんも同じように心の中で五穀豊穣を唱えていたのだろう。
Oさんも同じように話してくれた共同井戸の前でしていたとんど。
新道路が完成してきれいになったから止めたという。
とんどはしなくなったが、この共同井戸は8月7日に井戸替えをしているという。
今でも使用している共同井戸はポンプで汲み上げる。
汲み上げた井戸水はパイプを敷設して地区の家に供給しているようだ。
8月7日は七日盆。
オコナイをしていた極楽寺にある石塔墓地である。
7月24日からの毎日。
輪番の人がその墓地に行燈を灯す。
井戸替えは7日にしていたが、現在は第一日曜日の朝。
6~7人が集まって井戸周りに生える雑草刈り。
大欅の周りも奇麗にするが、井戸そのものは洗ったことがないという。
洗いがあれば拝見したいと思った七日盆の井戸替えであるが、10日盆も清掃しているらしい。
座まつり取材にお世話になった両人。
3月の第一日曜日に行っている初午行事。
ゴクマキに来てくれるやろと思って待っていたという前年行事の稲荷神社の初午。
失礼したことが申しわけなく、今年こそは寄せてもらいますから・・。
(H30. 1. 7 EOS40D撮影)
区長の役目であるホウの木造りの刀。
山添村の下津でも聞いた役目であるが、ここ大西も同じだった。
山の神の祭場に供える数々の祭具。
刀の他に山仕事に関係する七つ道具。
それらを拝見したくやってきた山添村の大西。
平成28年10月9日に拝見した座祭り。
八王子神社の参拝に座祭りされた旧極楽寺会所。
格式のある座行事であった。
大西の神社行事は八王子神社から少し距離が離れた地の稲荷神社においても行われている。
平成28年の12月4日は芋串祭りとも称される新嘗祭だった。
また、1月6日は旧極楽寺で行われるオコナイも拝見させていただいた。
この日の行事は神社行事でもなく寺行事でもない山の神に参る行事であるが、集団で行われるものではない。
各家、めいめいが個々に行われる山の神参り。
カギヒキの作法もあると聞いていた。
早い家では夜中の0時過ぎになれば参拝する。
朝日の昇らない時間帯に来る人とか、明るくなってから参るとかまちまちの時間帯。
毎年を同じ時間帯に来る人もおれば、毎年が違うという人もいる。
ずいぶん前のことである。
同村の春日の山の神を拝見したことがある。
どなたが何時来られるのか、さっぱりわからないが、何人かが参られるだろうと出かけた大字春日。
真っ暗な山の道を歩いて着いた山の神の場。
辺りはシーンとしていた。
ときおり風が囁く。
何かの動物が動いたような音もするが・・・。
時間の経過は覚えていないが、参拝に来られた人に撮影許可をお願いして撮らせてもらったことがある。
真っ暗な時間帯の山の神参りにピントが合わずに難儀したことを覚えている。
大字大塩では予め許可をいただいてお家を出発するところから同行させてもらったこともある。
そんなことも思い出す山の神の取材。
地域、それぞれの様相がある。
供えたホウの木造りの刀の他に七つ道具。
毎年、造ってきたが手間のかかる作業。
区長の役目であるが、これは数年前に作ったものらしい。
ホウの木造りの山の神はニス塗り。
汚れは多少つくが1月15日になれば下ろして奇麗に拭きとって次の区長の廻りに保管預かりをしてもらうようだ。
予め聞いていた大西の山の神。
到着した時間帯は午前11時。
車を停めさせてもらう場から眺める田んぼ付近に人だかりができていた。
かすかに見えた“火”遊びではなく、とんど焼きであろう。
気になるとんど焼きにブルーシートを被せている藁積みもあるが、今日の本題は山の神。
大欅があるからすぐ見つかるといわれて先に出かけた「ジンスケ屋敷跡」。
実はこの日は大字大西のとんどの日。
そのことを教えてくださったのは同大字大西在住のFさん。
正月3日に行われるチョウジャドンの膳を取材させていただいた際に話してくれた地区4軒のとんど焼きである。
地区はまさにその方角。
とんどは大きなものでなく小っちゃなとんど、といっていたから間違いない。
かつては習字焼きもしていたが、今は誰も・・・といっていたが火点けの時間帯は早朝ではなかったようだ。
ちなみに「ジンスケ屋敷跡」下に住んでいる高齢の婦人がいうには、ここもとんどをしていたそうだ。
道路向かい側にある共同井戸。
その前の道でしていたが舗装路になったことから中断に至ったそうだ。
その婦人が指さした山の神行きの道。
急な坂道を登ってすぐ。
鬱蒼とした樹林の向こうに大木が見える。
それが大欅。
その地に整然と並べられた山の神に奉る刀と七つ道具。
真上に注連縄を張っていた。
注連縄右横にあるのはフングリ。
近くにクリの木で作ったカギヒキがある。
中央に刀。
艶のあるニスを塗ったホウの木に「五穀豊穣、字中安全」の墨書文字。
下部の柄に付けた×××印でわかる刀。
裏側も確認したかったが、触ることは厳禁だ。
左右に並べた七つ道具。
左からカマ・ナタ・ノコ・ヨキ・・・2本のクワ・スキ。
クマデもあると聞いていたが見当たらない。
2本のクワとみたが、うち1本がクマデかも・・・。
道具の前にあるのがクラタテ。
他地域とは違いのあるクラタテ。
蔵になる部分の四本柱のない1本柱の構造にシデ。
三角巾のように敷いた半紙の上に二段の鏡餅。
クシガキに栗、葉付き蜜柑を揃えた周りに置いてあるのは参られた各家が供えた御供。
長さは短いが同じようにクシガキ、栗、蜜柑にキリコ餅(切り餅)。
メザシや髭のあるトコロ芋を供える家もある。
これら祭具に御供を撮っていたとき、下から登ってくる家族連れに出会った。
存じている男性は平成28年10月9日に行われた座まつりに相当家を務めたOさん。
持参した一束の藁をとんど場に置いてから2個の御供餅を山の神に供える。
手を合わせて拝んだら手前にあるクリの木でカギヒキの所作をする。
山の神呼びの詞章は聞こえなかったが、もう一度手を合わせて参拝を終えた。
実は心の中で五穀豊穣を唱え、カギヒキは3回したという。
参拝したら供えた餅を持ち帰る。
山を下る前にとんど場で火を点ける。
藁束を燃やして餅を焼く。
その様子を見守る息子に孫さん。
ここでは少し焼くだけで、家に持ち帰ってから本格的に焼いて、家族揃って食べるという。
それから数分後。一人の男性が登ってきた。
なんと、座まつりに大当家を務めたOさんだった。
前相当家と同じように御供餅を供えて、カギヒキの所作をする。
前大当家のOさんも同じように心の中で五穀豊穣を唱えていたのだろう。
Oさんも同じように話してくれた共同井戸の前でしていたとんど。
新道路が完成してきれいになったから止めたという。
とんどはしなくなったが、この共同井戸は8月7日に井戸替えをしているという。
今でも使用している共同井戸はポンプで汲み上げる。
汲み上げた井戸水はパイプを敷設して地区の家に供給しているようだ。
8月7日は七日盆。
オコナイをしていた極楽寺にある石塔墓地である。
7月24日からの毎日。
輪番の人がその墓地に行燈を灯す。
井戸替えは7日にしていたが、現在は第一日曜日の朝。
6~7人が集まって井戸周りに生える雑草刈り。
大欅の周りも奇麗にするが、井戸そのものは洗ったことがないという。
洗いがあれば拝見したいと思った七日盆の井戸替えであるが、10日盆も清掃しているらしい。
座まつり取材にお世話になった両人。
3月の第一日曜日に行っている初午行事。
ゴクマキに来てくれるやろと思って待っていたという前年行事の稲荷神社の初午。
失礼したことが申しわけなく、今年こそは寄せてもらいますから・・。
(H30. 1. 7 EOS40D撮影)