幾度となく訪れる五條市の山間地。
再訪した永谷の景観に出合った多段型のハゼ。
圧倒されるハゼもあれば、高齢化によってか、架ける術は、高所を取りやめ低所に切り替えるお家もある。
継ぐ者が居なけりゃ、暮らしの民俗は消え去るのみか。
できるだけ現状を記録する手立てしかない。
永谷を離れて峠を越える。
そこは、大勢の旅人たちが集まってくる場。
午後2時35分の「道の駅吉野路大塔」。
乗り物から降りて、真っ先にむかった公衆トイレ。
いつもきれいにされている人たちのおかげ。
頻尿に助けてもらう公衆トイレにありがとう。
峠を下る道は、カーブばかり。
スピード厳禁のカーブ道に、バイクが疾走する。
下ったそこから見た午後3時。
国道168号線阪本工区(小代―阪本区間)のバイパス・トンネル工事。
進捗状況をときおり伝えてくれる知人のIさん。
住まいから、直接見える工事の進展は、毎日見ていても、さほど動きはないように見えるが、数か月も離れると、その変位は歴然。
ここは、奈良県の南部。
旧大塔村の阪本の地。
現在の行政表記は、五條市・大塔町の阪本。
町制に組かわったが、自然や風景はかわりない。
そういいたいところがだ。
カーブ道が連続する道の左手は崖。
崖に沿った車道をバイパス化。
直線的に走れるように工事ははじまった。
完成予定はわからないが、いずれの時期になれば猿谷ダム縁の道に出ることもないだろう。
そう思って撮っていた。
場を離れて、さらに南下する。
目的地は、まだまだ先になる。
おおよそ30分。
午後3時半前、見えてきた文化的有形文化財に指定してもらいたいくらいの価値がある。
そう思っている十津川村・上野地に架かる、特別な吊り橋に出合える眺望の場。
架けた橋は村の人たちの生活道。
日常に利用する谷瀬の吊り橋(たにぜのつりはし)は、観光の名所。
村の人が往来するよりも、観光客の方が、多いでは・・・
実は、ここ谷瀬の吊り橋は、対岸の谷瀬と上野地をつなぐために建造した生活道。
村民たちが願った村と村をつなぐ架け橋は、昭和29年(1954)村民出資によって造られた。
吊り橋施設からほんの近く。
なにげに目線が、そっちに動いた。
蛇口を開けたまま流れる透明感のある水を落としていた。
水を溜めていたバケツ。
水分を欲する植物を置いていた。
そう、見た目でわかった、今日は中秋の名月の十五夜さん。
お月さんに愛でる供物はなくとも水を流して生かせていた穂付きススキだ。
ススキは、魔除け。
ススキは切り口が鋭いことから、邪気や災いから遠ざける祭具である。
採ってきたススキを置いたのは、「山の駅 吊り橋の郷」の店主。
地元民なら、今日の十五夜さんに詳しいのでは、と思って聞いてみた。
上野地は、50軒ほどの村。
十五夜は芋たばり。
子どもたちが「たばらして」と囃し、お家にやってくる。
かつては芋だったが、現在はお菓子たばりに転じている。
中学生までが参加する十五夜の芋たばり。
今年は、16人になる、と聞いているから、今からたばってもらうお菓子を準備する。
先にススキを採ってきたので、お彼岸に供えるシキビと一緒にバケツの水に浸けている。
芋たばりにやってる子どもたちには、人数分のお菓子包みを用意する。
今は、その最中。
「詳しいことは、駐在さんが引導するからそっちで聞いとくれ」、と云われて、南の地に建つ上野地駐在所に移動する。
表記は奈良県 五條警察署・十津川警察庁舎市上野地駐在所」。
さて、駐在さんはおられるのかな?
呼び鈴押して、少し待つ。
玄関から出てこられた駐在さんは、T駐在さん。
この地に赴任して5年目。
出身地は、奈良県北西部の生駒市。
念のため尋ねた、生駒のある地域で行われている「月見どろぼう」行事。
まさに、今夕にされる中秋の名月の十五夜行事。
ここ十津川村では、旧暦の十五夜に行っている芋たばり行事。
一方、生駒では月見どろぼう。
名称は違えども、お月見に供える供物をもらうことは一緒だ。
ただ、地域差がある。
生駒では、月見だんごであるが、十津川は芋(※サトイモやサツマイモ・・)である。
行事名も、十津川は本来、十五夜の芋名月なわけだ。
もっと深くかんがえてみる。
それは生産地との関係性である。
月見だんごの原材料は、コメである。
主食のコメに対して、山岳地の十津川村は、コメを育てる土地が平坦盆地部よりも極端に少ない。
主食がコメの代わりの芋は、やせた土地でも育つ。
いわゆる困窮作物である。
急な傾斜地に栽培したサトイモの皮を剥いて丸い形に。
お月さんに見立てた形。
月を愛でる形だから里芋を供える。
だから、十五夜の芋たばり、なワケだ。
ちなみに、「たばる」という言葉は、「賜る」が転じた用語。
現代文化で育った感覚では、わからない暮らしの民俗は、それぞれの物理的な土地柄が大いに関連している。
そのことは、ともかく生駒に生まれ育ったT駐在さんは、月見どろぼうは、聞きはじめのようだ。
おそらくであるが、T駐在さんが生まれ育った地域に、その行事がなかった、ということだろう。
生駒の月見どろぼうを取材した地域は高山地区。
その周辺にある旧村もしている、と聞いていたから、旧村でなく、新興住宅地など新町では、と推測される。
ともかく上野地の芋たばりに同行はするが、駐在業務でなく、あくまで保護者の位置づけ。
4歳になった我が子の保護者として同行する、という。
駐在赴任の1年目。
初めて知った上野地の芋たばり行事の出発地は、ここではなく、駐在所から坂を下った場。
元小学校跡地のグランド゙に、みなが集まり、午後7時に出発するそうだ。
上野地は100軒もあるが、芋たばりに参加される家は、およそ80軒。
子どもたちが、芋たばりをしにいくお家。
うち高齢者のお宅が芋を供えているようだ。
今日の取材地はここから30分以上もかかる滝川。
今回で2度目の取材になるが、約束しているので、上野地の行事にはいけない。
中秋の名月、十五夜芋たばりに月見どろうぼうは、同一日。
しかもお月見だから、お月さんが昇ってくころ。
同一日の行事取材は無理がある。
また、機会が合えば、そのときにお世話になると思います、と伝えて再出発した。
(R3. 9.21 SB805SH 撮影)
再訪した永谷の景観に出合った多段型のハゼ。
圧倒されるハゼもあれば、高齢化によってか、架ける術は、高所を取りやめ低所に切り替えるお家もある。
継ぐ者が居なけりゃ、暮らしの民俗は消え去るのみか。
できるだけ現状を記録する手立てしかない。
永谷を離れて峠を越える。
そこは、大勢の旅人たちが集まってくる場。
午後2時35分の「道の駅吉野路大塔」。
乗り物から降りて、真っ先にむかった公衆トイレ。
いつもきれいにされている人たちのおかげ。
頻尿に助けてもらう公衆トイレにありがとう。
峠を下る道は、カーブばかり。
スピード厳禁のカーブ道に、バイクが疾走する。
下ったそこから見た午後3時。
国道168号線阪本工区(小代―阪本区間)のバイパス・トンネル工事。
進捗状況をときおり伝えてくれる知人のIさん。
住まいから、直接見える工事の進展は、毎日見ていても、さほど動きはないように見えるが、数か月も離れると、その変位は歴然。
ここは、奈良県の南部。
旧大塔村の阪本の地。
現在の行政表記は、五條市・大塔町の阪本。
町制に組かわったが、自然や風景はかわりない。
そういいたいところがだ。
カーブ道が連続する道の左手は崖。
崖に沿った車道をバイパス化。
直線的に走れるように工事ははじまった。
完成予定はわからないが、いずれの時期になれば猿谷ダム縁の道に出ることもないだろう。
そう思って撮っていた。
場を離れて、さらに南下する。
目的地は、まだまだ先になる。
おおよそ30分。
午後3時半前、見えてきた文化的有形文化財に指定してもらいたいくらいの価値がある。
そう思っている十津川村・上野地に架かる、特別な吊り橋に出合える眺望の場。
架けた橋は村の人たちの生活道。
日常に利用する谷瀬の吊り橋(たにぜのつりはし)は、観光の名所。
村の人が往来するよりも、観光客の方が、多いでは・・・
実は、ここ谷瀬の吊り橋は、対岸の谷瀬と上野地をつなぐために建造した生活道。
村民たちが願った村と村をつなぐ架け橋は、昭和29年(1954)村民出資によって造られた。
吊り橋施設からほんの近く。
なにげに目線が、そっちに動いた。
蛇口を開けたまま流れる透明感のある水を落としていた。
水を溜めていたバケツ。
水分を欲する植物を置いていた。
そう、見た目でわかった、今日は中秋の名月の十五夜さん。
お月さんに愛でる供物はなくとも水を流して生かせていた穂付きススキだ。
ススキは、魔除け。
ススキは切り口が鋭いことから、邪気や災いから遠ざける祭具である。
採ってきたススキを置いたのは、「山の駅 吊り橋の郷」の店主。
地元民なら、今日の十五夜さんに詳しいのでは、と思って聞いてみた。
上野地は、50軒ほどの村。
十五夜は芋たばり。
子どもたちが「たばらして」と囃し、お家にやってくる。
かつては芋だったが、現在はお菓子たばりに転じている。
中学生までが参加する十五夜の芋たばり。
今年は、16人になる、と聞いているから、今からたばってもらうお菓子を準備する。
先にススキを採ってきたので、お彼岸に供えるシキビと一緒にバケツの水に浸けている。
芋たばりにやってる子どもたちには、人数分のお菓子包みを用意する。
今は、その最中。
「詳しいことは、駐在さんが引導するからそっちで聞いとくれ」、と云われて、南の地に建つ上野地駐在所に移動する。
表記は奈良県 五條警察署・十津川警察庁舎市上野地駐在所」。
さて、駐在さんはおられるのかな?
呼び鈴押して、少し待つ。
玄関から出てこられた駐在さんは、T駐在さん。
この地に赴任して5年目。
出身地は、奈良県北西部の生駒市。
念のため尋ねた、生駒のある地域で行われている「月見どろぼう」行事。
まさに、今夕にされる中秋の名月の十五夜行事。
ここ十津川村では、旧暦の十五夜に行っている芋たばり行事。
一方、生駒では月見どろぼう。
名称は違えども、お月見に供える供物をもらうことは一緒だ。
ただ、地域差がある。
生駒では、月見だんごであるが、十津川は芋(※サトイモやサツマイモ・・)である。
行事名も、十津川は本来、十五夜の芋名月なわけだ。
もっと深くかんがえてみる。
それは生産地との関係性である。
月見だんごの原材料は、コメである。
主食のコメに対して、山岳地の十津川村は、コメを育てる土地が平坦盆地部よりも極端に少ない。
主食がコメの代わりの芋は、やせた土地でも育つ。
いわゆる困窮作物である。
急な傾斜地に栽培したサトイモの皮を剥いて丸い形に。
お月さんに見立てた形。
月を愛でる形だから里芋を供える。
だから、十五夜の芋たばり、なワケだ。
ちなみに、「たばる」という言葉は、「賜る」が転じた用語。
現代文化で育った感覚では、わからない暮らしの民俗は、それぞれの物理的な土地柄が大いに関連している。
そのことは、ともかく生駒に生まれ育ったT駐在さんは、月見どろぼうは、聞きはじめのようだ。
おそらくであるが、T駐在さんが生まれ育った地域に、その行事がなかった、ということだろう。
生駒の月見どろぼうを取材した地域は高山地区。
その周辺にある旧村もしている、と聞いていたから、旧村でなく、新興住宅地など新町では、と推測される。
ともかく上野地の芋たばりに同行はするが、駐在業務でなく、あくまで保護者の位置づけ。
4歳になった我が子の保護者として同行する、という。
駐在赴任の1年目。
初めて知った上野地の芋たばり行事の出発地は、ここではなく、駐在所から坂を下った場。
元小学校跡地のグランド゙に、みなが集まり、午後7時に出発するそうだ。
上野地は100軒もあるが、芋たばりに参加される家は、およそ80軒。
子どもたちが、芋たばりをしにいくお家。
うち高齢者のお宅が芋を供えているようだ。
今日の取材地はここから30分以上もかかる滝川。
今回で2度目の取材になるが、約束しているので、上野地の行事にはいけない。
中秋の名月、十五夜芋たばりに月見どろうぼうは、同一日。
しかもお月見だから、お月さんが昇ってくころ。
同一日の行事取材は無理がある。
また、機会が合えば、そのときにお世話になると思います、と伝えて再出発した。
(R3. 9.21 SB805SH 撮影)