飛鳥川の上流を遡っていけば、中央に大きな房をぶら下げた勧請縄が見られる。
最初に目にするのは大字の稲渕だ。
さらに2kmを遡れば形が異なる房になる。
そこは大字の栢森である。
いずれも大字集落の入り口にあたる場に掛けられる。
かつては両大字とも正月の十一日に掛けていた。
どちらも川を跨ぐように掛けるので相当な長さの綱になる。
稲渕では日程が移り変わり、十数年前からは成人の日の祭日に掛けられている。
稲渕は50数軒の大字である。
昭和45年当時の戸数は65軒だったそうだ。
近年になり離農して勤めやすい村外に出ていった。
そうして行事を支える人手が確保しづらくなった。
こうした理由で日程を替えられたのである。
男綱の姿を川に架かる神所橋から眺めてみた。
その橋の袂に露店がある。
畑で栽培した野菜や自家製の漬物などが並んでいる。
そこには暖をとっている男性と女性が5人。
大字の年寄りたちは老人会。
交替しながら店番をしているのだという。
こうしていろんな話をするのも楽しみだと話す。
その人たちが言うには大きな房は男綱。
男のシンボルだと声を揃えて言った。
かつては「マラ」と称していたが言い辛いこともありシンボルと称しているようだ。
今年は閏年だから男綱を巻いている縄は13本あるという。
例年ならば12本。
オリンピックが開催される年は13本だと話す巻き数は月の数。
一年間が無事に過ごせるように巻いているという。
重さは結構あるのだろう。どっしりと構えた男綱はどうどうとした形である。
その天長に竹に付けられた幣が見られる。
「昔はもっと小さかった」と高齢者の人たちは話す。
数メートル離れたところには長い縄が下がりのように地上へ向けて降りている。
3mぐらいの長さであろうか、これを「タレ(垂れ)」と呼んでいる。
綱もそうだが等間隔に細藁や紙垂れが取り付けられている。
綱の長さは48ヒロの長さだという。
1ヒロが1m50cm程度として換算すればおよそ85mの長さ。
村の風景に溶け込んでいる稲渕の男綱である。
綱掛けの行事は宝暦元年(1751年)に纏められた地誌『古跡略考』や『大和国高取領風俗問状答』文化年間(1804年~1818年)には正月の1月11日に行われていたと記載されているそうだ。
それによれば勧請綱掛神事若しくはカンジョ掛神事と書かれているが村人は「オツナカケ」と呼び習わしている。
子孫繁栄、五穀豊穣を祈り、川や道をつたって悪疫などが集落に侵入しないようにしていると伝承されている。
語ってくれた高齢者によれば稲渕に4組の庚申講があるそうだ。
庚申さんの日は60日おきにやってくる。
その日はヤドと呼ばれる当番の家に寄り合う。
庚申さんの掛け図を掲げて講の営みをする。
今年は閏年だから4組の講中が一同に揃って「モウシアゲ」をするという。
それぞれの講の都合も聞かなければならないが4月初めぐらいになりそうだという。
皆が揃うからお餅も2升搗くらしい。
閏年に行われる稲渕庚申講の「モウシアゲ」と同じ呼称をする同村の平田や桜井市の山田(明日香村近隣)があるが、地域によって呼び名が異なる。
桜井市の脇本や出雲では「庚申トウゲ」。
同市山間にあたる瀧倉では「トアゲ(塔揚)」と呼んでいる。
隣村の芹井や北白木、修理枝でも「トアゲ」だ。
天理市苣原町、長滝町、藤井町も「トアゲ」と呼ぶ。
一方、盆地部の田原本町の伊与戸や法貴寺では「塔婆上げ」となる。
奈良市の藺生町や天理市の山田町も閏年の庚申講が行われているが名称は聞き取れていない。
また、奈良市の長谷町では特有の名称はなく橿原市の五条野町でも単に「閏年の初庚申」であった。
日程も行事の仕方もさまざまであるだけに地域の調査は限界を感じる。
(H24. 1.11 EOS40D撮影)
最初に目にするのは大字の稲渕だ。
さらに2kmを遡れば形が異なる房になる。
そこは大字の栢森である。
いずれも大字集落の入り口にあたる場に掛けられる。
かつては両大字とも正月の十一日に掛けていた。
どちらも川を跨ぐように掛けるので相当な長さの綱になる。
稲渕では日程が移り変わり、十数年前からは成人の日の祭日に掛けられている。
稲渕は50数軒の大字である。
昭和45年当時の戸数は65軒だったそうだ。
近年になり離農して勤めやすい村外に出ていった。
そうして行事を支える人手が確保しづらくなった。
こうした理由で日程を替えられたのである。
男綱の姿を川に架かる神所橋から眺めてみた。
その橋の袂に露店がある。
畑で栽培した野菜や自家製の漬物などが並んでいる。
そこには暖をとっている男性と女性が5人。
大字の年寄りたちは老人会。
交替しながら店番をしているのだという。
こうしていろんな話をするのも楽しみだと話す。
その人たちが言うには大きな房は男綱。
男のシンボルだと声を揃えて言った。
かつては「マラ」と称していたが言い辛いこともありシンボルと称しているようだ。
今年は閏年だから男綱を巻いている縄は13本あるという。
例年ならば12本。
オリンピックが開催される年は13本だと話す巻き数は月の数。
一年間が無事に過ごせるように巻いているという。
重さは結構あるのだろう。どっしりと構えた男綱はどうどうとした形である。
その天長に竹に付けられた幣が見られる。
「昔はもっと小さかった」と高齢者の人たちは話す。
数メートル離れたところには長い縄が下がりのように地上へ向けて降りている。
3mぐらいの長さであろうか、これを「タレ(垂れ)」と呼んでいる。
綱もそうだが等間隔に細藁や紙垂れが取り付けられている。
綱の長さは48ヒロの長さだという。
1ヒロが1m50cm程度として換算すればおよそ85mの長さ。
村の風景に溶け込んでいる稲渕の男綱である。
綱掛けの行事は宝暦元年(1751年)に纏められた地誌『古跡略考』や『大和国高取領風俗問状答』文化年間(1804年~1818年)には正月の1月11日に行われていたと記載されているそうだ。
それによれば勧請綱掛神事若しくはカンジョ掛神事と書かれているが村人は「オツナカケ」と呼び習わしている。
子孫繁栄、五穀豊穣を祈り、川や道をつたって悪疫などが集落に侵入しないようにしていると伝承されている。
語ってくれた高齢者によれば稲渕に4組の庚申講があるそうだ。
庚申さんの日は60日おきにやってくる。
その日はヤドと呼ばれる当番の家に寄り合う。
庚申さんの掛け図を掲げて講の営みをする。
今年は閏年だから4組の講中が一同に揃って「モウシアゲ」をするという。
それぞれの講の都合も聞かなければならないが4月初めぐらいになりそうだという。
皆が揃うからお餅も2升搗くらしい。
閏年に行われる稲渕庚申講の「モウシアゲ」と同じ呼称をする同村の平田や桜井市の山田(明日香村近隣)があるが、地域によって呼び名が異なる。
桜井市の脇本や出雲では「庚申トウゲ」。
同市山間にあたる瀧倉では「トアゲ(塔揚)」と呼んでいる。
隣村の芹井や北白木、修理枝でも「トアゲ」だ。
天理市苣原町、長滝町、藤井町も「トアゲ」と呼ぶ。
一方、盆地部の田原本町の伊与戸や法貴寺では「塔婆上げ」となる。
奈良市の藺生町や天理市の山田町も閏年の庚申講が行われているが名称は聞き取れていない。
また、奈良市の長谷町では特有の名称はなく橿原市の五条野町でも単に「閏年の初庚申」であった。
日程も行事の仕方もさまざまであるだけに地域の調査は限界を感じる。
(H24. 1.11 EOS40D撮影)