有馬で別れた3人は前回同様に兵庫県明石にある
魚の棚を目指す。
ホテルのチェックアウトリミットは午前11時。
ほぼギリまで滞在して出発する。
カーナビゲーションに魚の棚をセットして車を走らせる。
前回に訪れたのは
平成27年の3月。
その年の夏に思いがけない大病を患った。
一年ぶりにと思った今年の3月は療養の身で車を運転することはできなかった。
その後の身体状況はほぼ的な回復。
完全な復帰ではないが長距離運転も可能になった。
長距離といっても東京-大阪間のような長距離はとてもじゃないがよう行かん。
大阪市内から有馬まで。
有馬から明石まで程度の距離ならなんでもない。
1年半ぶりに窓越しに観ながら走る。
セットしてから1時間ほど。
駐車の場をどこにするか決めあぐねながら探す。
というのも食事、買い物をどうするかである。
90歳になるおふくろの身体のことを考えて歩行距離を伸ばすわけにはいかない。
なんやかやと走ってあっちこちへぐるぐる走行。
見つかったのは南北通りの明淡通り。
駐車場は東西を走る表街道の国道2号線と交差する信号を曲がったところにあったタイムパーキングのインデイパーキング。
20分で100円だから1時間300円。
大阪や奈良市街地と比較したら申しわけないが、とにかく安いのである。
魚の棚商店街は東西に長い。
たぶんに東が表玄関で、西は裏口かな。
前回は表から入ったが、今回は裏から、である。
大きな姿で踊る蛸が目印だ。
その蛸は明石蛸。
トレトレピチピチの明石蛸を競りで落としたかどうかは聞いていないが、店前に丸ごと干してあった。
これだけで食べてみたくなる明石蛸。
店前に吊ってぐぐっと迫ってくる。
お店は玉子焼・お好み焼きの看板があるよし川。
「5のつく日は明石焼が500円」とある。
本日は5のつく25日。
安さに釣られて暖簾を潜ってみたいが、本日の目的地はここでない。
むろん向かいにあるお店でもない。
1年半前に入店して食べた玉子焼きの不味さに客は入っとんのかいな・・で、ある。
その並びにあったお店の名を控えるのを失念した。
思わず店員のおばさんに声をかけた干し蛸の道具。
蛸の頭にすっぽり入れたU字型の曲がり竹。
両端は戻らないように蛸紐で縛っている。
足の方はといえば、これもまた竹製。
やや太めの二本の平串で八本の足を広げて店前で干す。
この店も仕入れたトレトレの明石蛸。
自家製造の生干し蛸の竹串は大きさによってさまざまな長さを用意している。
「この竹ねぇ。店の傍に立てて置いていたらごっそり盗まれた」と困ったような顔で伝えていた。
後日談である。
翌年の平成29年7月19日に放映していた関西テレビの人気番組である「よーいドン!」。
隣の人間国宝を探しに織田信成さんが歩いていた魚の棚。
懐かしいといえば、そうであるが、干し蛸をしていたお店は社長が亡くなり、同年の6月半ばに店を閉めたと伝えていた。
この手造り感がある干し蛸の情景を、もう一度拝見したくとも見られなくなった。
放映されてはじめて知る店名は「魚梅商店」。
元々は魚屋さんで、魚の棚の商店街で一番古い魚屋だった。
その干し蛸の店で話を聞いていたらおふくろ、かーさんとも、姿が見えない。
そこそこ歩いていた。
追っかけたところにあった屋台売り。
以前、ここで買った煮蛸があまりにも美味しかった。
実をいえば、ここに来たかったのはこれをもう一度味わいたい・・・と、いうことだ。
売り子さんは若返っていた。
以前にお会いした売り子さんはもっと年寄りだった。
私の口が釣られて買った煮蛸が美味しかった。
立ち止って売り子さんに伝えた。
「これが美味かったから、また買いにきましてん・・・」と云ったとたんに用意していた煮蛸を食べさしてくれた。
小さく切ったのだから、もちろんの試供品。
これも食べてや、と云われて爪楊枝。
ではなくて、それに刺してある子持ちのイカ。
これもまた美味いのである。
またまたこれも食べてや、と云われて差し出されたアカニシ貝。
それもこれも甘くて美味しい。
しかも柔らかいのである。おふくろは入れ歯でないが、美味しい、美味しいと連発する。
帰りにでも、と思っていたが、思わず買ったと云った。
蛸を丸ごと一匹煮た煮蛸にあれもこれもパックに盛って2300円。
小型のイイダコもサービスしとくわと云って盛ってくれた。
売り子のお姉さんが云った。
駐車場はどこですか、である。
なんでも魚の棚商店街では
駐車料金の一部をサービスしているというのだ。
お店の看板に「P」の文字があれば、そこは駐車サービス券を提供するという。
えっ、である。
前回来たときはこんなサービスはなかったと思うけど・・といえば、今年から始めたという。
あんたら停めた駐車場はどこっ、問いに答えた場所は前述したインデイパーキング。
そこでは利用できないが、サービス券は来年の平成29年12月末日まで利用できる。
また来てやと云って2枚をくれた。
こちら方面に野暮用ができれば是非とも利用したいものだ。
ちなみに買った屋台売りは味よし本店。
後にわかるが、西に味よし西店があり、東は味よし東店。
そうだったんだ。
商店街はいろんなお店が繁盛していた。
賑わい活気のある魚の棚。
目指すは名物の明石焼きとついついそう呼んでしまう玉子焼き。
噂によれば明石のお店の人も地元の人も明石焼きとは云わないそうだ。
広島の人が広島焼きとは呼ばない。
現地以外の人たちが勝手に云いだした呼び名が全国に広がるのである。
それはともかく美味しい玉子焼きを提供するお店である。
魚の棚商店街外れにも何店舗がある。
南に行けば明石港。
そこに停泊している漁船が映える。
そこまで行かなくとも錦江橋手前の本家きむらや(10個で620円)だ。
駐車場を捜してぐるりと回っていたときに見かけたお店。
外で食べていたお客さんを捉える写真家がいた。
家族なのかどうか知らないが、お店を前に食べる姿はかつてテレビが放映していた映像で認識していた。
そんな感じであるお店は訪れたタレントが美味しいと伝えていた。
あそこはどうだいと云えばかーさんが云った。
ついこの前に魚の棚に来ていた。
そのときの元会社の友人たちが云うには、それほど美味しくはなかったと・・。
美味かったのは商店街の一角にある明石名物玉子焼甘党たこ磯。
ここはいつも行列がある有名店。
狙いを外すことはせずに並んだ。
その時間は午後12時40分。
暇やから商店街の天井を飾っていた大漁旗を撮っていた。
売り場になにが並んでいるのか。
新鮮なのか、美味しそうなのか、それはいくらなのか、なんてことを知るには下を見る。
下ばかり見ておれば天井に吊るしてある豊漁の旗の存在に気がつかないのである。
そこばかり見ていても待ち時間は潰れない。
向かいの並びに魚の味噌漬け店がある。
どれもこれも美味そうだが懐と合わない。
それも見飽きて戻ってきたたこ磯。
出来あがった玉子焼を乗せる台を積んでいる。
誰がいつの時代に開発したのか玉子焼きの歴史に書いてなさそうな斜め台。
片足がないから斜めになる。
お客さんが食べやすいようにしているのか・・。
私が思うにはかさ高くならないような仕組み。
使ってきた歴史を物語るその台の端っこは丸みを帯びていた。
ところでこの斜め台には名前があった。
それがわかったのは平成29年8月17日に放送していた三重テレビ制作の「ええじゃないか。―おかげ旅行社ええ旅ツアー―」番組である。
お伊勢さんに関係する情報番組。
ときには地元三重県を離れて近畿周辺の他府県も訪ねてお伝えしている情報番組である。
今回の目的地は兵庫県の明石市。
「時のまちをええ旅さがし!」テーマに繰り広げる。
お伴をするのはサンテレビ所属のアナウンサー。
案内リードを任されて、日本の標準時間が示される明石の「時」の街を紹介する。
と、くればたぶんにやってくるだろうと思っていた「魚の棚」。
グルメといえば明石焼き。
70店舗もあるなかでアナウンサーがお気に入りの名店を紹介していた。
そのお店は「明石丁」。
600円の明石焼き。
オリジナル商品のあんかけ明石焼き(800円)を販売しているお店だ。
早速作って焼けた15個セットの明石焼きプレートを台に面を合わせる。
その台は手で掴めるように取っ手がある。
そこを持って面と面を合わせてひっくり返す。
そうすれば美味しそうに焼きあがった明石焼きが登場するのだ。
台は明石焼き専用の台。
それを「アゲイタ」と呼んでいた。
台ではなくて板であったんだ。
充てる漢字は「揚げ板」であろう。
何故に斜めであるのか。
「明石丁」の大将がいうには取っ手は一カ所、一枚でいいからだ。
2枚もあればどちらを選ぶか迷うことになる。
2枚の足は必要ではない。
単に「アゲイタ」を掴む利便性によって足は一枚なのだ。
だったら、足は真ん中の中央部にあってもいいんじゃないのと思う人もいるだろう。
ところが真ん中の足であれば不安定になる。
まるで一本歯のような高下駄になってしまう。
そのままであれば斜めになってどちらかに倒れる。
で、あればある程度の傾きを利用して安定させる。
そういうことになったのだろうと推測する。
話題は「たこ磯」に戻そう。
行列の人が見えるようにお店を作ったのか知らないが、親子と思われる店員さんが手際よく作っていく。
器に白い粉を入れてそこに生卵を割って落とす。
若い人がしてはったけど両手に一個ずつの生卵。
テーブルにトントンと当てて、器の上で卵を割る。
何個も割る。
そんな様子を見ていた。
シャカシャカと音を立てて玉子と粉を混ぜる。
混ぜ方はおそらくダマを出さないようにしているんだろ思う。
水で溶いたのかそうでないのか、さっぱりわからんかった。
漏斗口がある器は綺麗になった玉子焼き器に流し込む。
器を揺すって均等にする。
そしてぶつ切りの蛸を投入する。
熱が加わって周りを固めていく。
そんな情景を見ていたら席に案内された。
穴子入りの玉子焼は900円。
おふくろは目にしたくもない穴子に首を振る。
注文したのは2つ。
おふくろとかーさんで一盛りだ。
税込700円で玉子焼が15個。
熱い出汁を椀に注いでおく。
ここのお店は三つ葉がある。
これがなけりゃ意味がない。
そう思うぐらいに明石名物の玉子焼きに必須のアイテム。
アツアツの一個を椀に入れる。
箸でなんとか摘まんで一口。
アッチッチである。
口のお中に風を送ってふーふう。
喉越しも良い。
出汁と絡んで口の中でぱぁっと広がる。
二個、三個、四個・・・・。
止まらない玉子焼き。
美味すぎるのである。
特上か別にしてとにかく美味しい。
始めにチュルチュルっと吸い込む。
口の中に広がるちゅるちゅる玉子。
二度目はふっわふわの皮ごと口に放り込む。
食感が違うから面白いし、旨さも若干違うように思える玉子焼き。
同店には甘タレソースもある。
物は試しと思ってつけてみる。
美味さはそれなりに美味しいが気持ちは下がった。
青のりを振りかけたら気持ち一個ぐらい変わるかもしれないが、あかん。
やっぱり出汁で食べるのが最高だ。
こんなんでお腹がいっぱいになるんか心配は要らんかった。
たっぷりお腹に堪える玉子焼き。
他店舗の味も確かめたいが、もう無理・・・。
ちなみに同店のお水が美味しい。
店員さんの話しによればろ過していると云う。
たこ磯の玉子焼きはお持ち帰りもできる。
でもなぁ。
やはり出来たてを食べたいと思った。
お腹は満腹で店を出る。
帰りは戻り道。
途中に出合った天ぷらはとてつもなくデカイ。
店員さん曰く、これは伝助穴子の呼び名がある穴子である。
とにかくデカイ伝助穴子。
目が飛び出るぐらいにびっくりした。
話しによれば当地ではでっかい穴子。
特に300g以上の穴子を伝助穴子と呼ぶそうだ。
その伝助穴子が美味い季節は冬場。
後で知ったことだが、思わず買ったと声が出た。
前回に他店舗で買った穴子天ぷらも大きかったが、これは比べ物にもならない。
ほくほくの穴子はこれやと云って選んでくれた伝助穴子は左端の一本。
タコ天も欲しかったが、今回はお腹が欲しがらなかった。
この天ぷらを売っていたお店はまぐろや。
同店舗では丸ごと一匹の煮蛸もあった。
店員さんに勧められたが味よしで購買済み。
すまんこってす。
少しあるいたところで店内に入っていくおふくろの姿を見る。
玉子焼きを食べていて三つ葉が高いやどうのこうの話しをしていた。
最寄りのスーパーではあまり見かけない。
百貨店にあるがとてつもなく高い三つ葉がなんと80円で売っていた。
店内にあるホウレンソウも青ネギも安い。
かと云って商品がおかしいわけではない。
とにかく安い。
昨今は高根の花になったハクサイもキャベツもそこそこ安い。
町のスーパーで売っているよりも数百円も安い。
カキやミカンなどの果物も安い。
思わずなんやかやと買ってしまったお店は八百屋のてっぺんだ。
もう買うものはない。
そう思っていたが、帰り道にあったお店に売っていた赤い半纏に目が行った。
真綿を詰めた半纏が温そう。
そこは呉服屋きとや。
棚ではなく店前に置いてあった久留米絣のもんぺに目が行く。
懐かしさのあまりに店主と話をするが、嚙み合わない。
私が伝えたいのはどのような人が着ているか、である。
しかも育ってきた時代文化によって異なる野良着であるが、おふくろを見た店主の一言は戦争経験者、である。
和装の店で民俗話しをするわけにはいかず、立ち去った。
おふくろを住之江に送って我が家に戻った時間は午後8時。
今夜の食事は魚の棚で買ったものばかり。
左から伝助穴子の天ぷら(600円)、煮蛸・子持ちイカ・アカニシ貝盛りの三品(2300円)。
肴がうまいもんだからたまらない。
発泡酒はいつになく2本目に突入した。
(H28.11.25 SB932SH撮影)