マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

王寺町本町・岩松寺の花まつり

2020年04月03日 10時16分49秒 | 王寺町へ
この年は一挙に咲いた満開の桜。

吉野山は下千本、中、上千本がほぼ同時に咲いたとニュースが伝えていた。

6日にはなんと奥千本も満開だったとFBの知人が伝えていた。

珍しい自然現象だが、過去にもままある。

3月中頃過ぎまで雪が降った日があった寒い日。

彼岸前のころからは毎日が晴天日。

気温はぐっと上昇した日が続いた。

膨らんでいた蕾が、温く、温くなった連続到来日によって一斉に咲き出した。

極端な云い方をすれば一部咲きもなく、一挙に七分咲き。

満開も済めば、風に煽られた桜花は散り、散り。

すっかり消えた地域もあった。

過去の天気を手繰ってみれば、3月23日からずっと、4月4日までが晴、晴れマーク。

気温も上昇して3月26日は22℃。

若干下がった日もあったが、31日から再び上昇して3日が26℃に4日は25℃。

こりゃもう夏日だと思ったとたんに翌日はどんより曇って20℃。

6日は雨も降る。

そして7日はぐっと下がって13℃。

冷たくて強い風で体感温度はそれ以下になった。

10年前、岡崎川流域に住む地域住民が土手沿いに植えた桜が満開になった。

安堵町はいい機会に桜まつりを立ち上げた。

今日、明日の土曜、日曜は雪洞も吊って桜見に誘う初めての桜まつり。

LEDライト点灯を川面に浮かべて幻想的な情景を・・と思って試験点灯もされたが、今日の寒さは身にしみる。

昼間であっても上着が要る寒さ対策。

夜間はそうとう堪えるだろう。

本日訪れた寺院は王寺町本町にある岩松寺(がんしょうじ)。

前月の3月15日である。

突然のお伺いに拝見させてもらったねはん会行事

そのときも本堂でほっこりさせていただいた岩松寺。

この日の行事は花まつりである。

国道を渡った向かい側に建つ寺院は達磨寺

聖徳太子と達磨大師の出会いからはじまる「片岡山飢人伝説」で知られる片岡山達磨寺



近年、テレビ等で度々紹介される聖徳太子の愛犬「雪丸」の石像がある。

空を飛ぶ雪丸は王寺町のマスコットキャラクター。

まさかの展開にびっくり仰天したのだが・・。

何年か前までは一部催しを本堂前庭に設えていた岩松寺。



時季的な寒さに強風対策のため、本堂内に移していたから正解でした、と話していた。

ちなみにニュースによれば九州熊本で桜吹雪ならぬ、雪が吹雪いたと伝えていたこの日の寒さである。

本来なら4月8日に行われる花まつりであるが、K住職の年季都合があり、やむなく前日開催とされた。

日程は、例年通りでないが、訪れる人たちはみな同じ。

それこそ例年通りに花生けは芳山流生花一門や、華道家元のお師匠さんを務める檀家さんらも来ていただいて相当数の花生けをつくっていく。



本堂一面に広げたシート。

母親の手を借りて生ける女児もいる場は、実に華やかだ。

祭壇まわりも華やか。

とにかく数多い鉢生け花に囲まれる。



祭壇まわりだけでなく花祭りに相応しい白い象の前にも色とりどりに咲いた花々で、堂内は充満するほどの甘い香りに包まれる。



本堂下に黄色い花のデージーや赤花のペニチュア系の花ポットを並べるのは檀家の男性。

花のまつりに堂内も屋外も花、花、花・・。

生ける人は子供たちも入れた17人の大所帯。

生ける個数は多くある。

花鉢は岩松寺の所有。

フラワーボードからプランターに金物バケツもある。

陶器は特別に住職が作陶されたもの。

住職は陶芸家でもあるし、書道家でもある。

また、花の香りに生け花の調整もされるK婦人は、絵画の先生。

天井絵もまた加担されているようだ。

ちなみに生け花の花の種類は多種類。

桜、菊、雪柳、紫陽花、コデマリ、菖蒲、に洋もののチューリップ、カーネーション、フリージア、スノードロップ、百合、カスミ草などなど・・・。

花まつりに飾った花鉢はなんと50鉢にもなった。

それら花鉢を要所々々に飾ってくださったら、鉢生け花で見事に花園のような感じになった。

鉢に生けた花はずらりと並べる。

本尊前の正面は屋根いっぱいに盛った花御堂。



そこに甘茶に浸かったお釈迦さま。

唯我独尊のお姿である。

一方、子どもたちが喜ぶちょっとしたイベントもある。

一つはポップコーン。

二つ目に飴つかみ。

三つ目が塗り絵である。

午後3時までに準備を調えるポップコーンの機械。



ポップコーンの種を投入したら自動的に動く本格的ポップコーンマシーン(RPM-V8)

子どもたちのためにマシンを導入されている。

カップもお馴染みの色柄だ。



ポップコーンの種は、スイートコーンのような一般的な食用トウモロコシでなく、「爆裂種」。

種は、バタフライタイプとマッシュルームタイプの2種類

そりゃ知らなんだが、次々とできあがるその動きに見いっていた。

飴つかみは手作り。

正面にお釈迦さんの誕生姿。

雨をつかんで持ち上げる穴がある上部は白い象の姿。

色塗りしたカラフル装飾を施した飴つかみの箱。

イラストで描いた可愛い箱が微笑ましい。

手を突っ込んで飴をつかむ。



つかみ取りはわしづかみ。

試しにさせてもらった飴の個数は16個。

24個もつかんだ子どもに負けた。

大人も子どもも愉しんでもらう飴つかみは例年とも好評のようで、穴に手を突っ込んで、取ったどー。

そうこうしているうちに大勢の参拝者がやってきた。



お釈迦さまに甘茶をかけて手を合わせる子供たち。

父親、母親におじいちゃん、おばあちゃんも一緒に家族揃って花まつり。



一人ずつ花御堂に設えた産湯につかるお釈迦さまに小さな勺で掬って甘茶を灌いであげる故事にちなんだ作法。

花まつりは、正式にいえば釈尊降誕会。



灌ぐことから灌仏会の呼び名もあるお釈迦さまの生誕をお祝いする法会であるが、ここ岩松寺では法会もなく、子どもたちに賑わってもらうのが主。

13年前からはじめた花まつり。

先代住職の父親がしていた花まつりを現住職が復活された。



住職婦人の話しによれば、かつては甘味のぜんざいに甘茶を振舞っていたそうだ。

ちなみに岩松寺の甘茶は高価なアマチャアジサイ。

仏壇屋さんのカタログに載っていたので、知り合いの漢方薬局に手配してもらったそうだ。

午後3時ともなれば、大勢の人たちが本堂の受付に並んだ。

束でなくとも、一輪のお花でも構わない。

受付されたお花は、住職婦人が別途に花生けをされる。

花まつりに捧げる花束は、ときにはお世話になっている住職婦人に差し上げる子どももいる。



日頃の感謝をこめて贈呈する子どもの気持ちにうるっとする。

順番待ちができるほどに大勢の人たちで賑わう岩松寺の花まつり。



子どもたちは受付でもらった白紙の塗り絵を持って、足早に奥の別室に移った。

早速はじめた塗り絵の作業。



思い思いの色鉛筆を選んで色塗り。

没頭するほど人気の塗り絵作業。



カラフルな色つかいは、頭の中から湧いてくるのだろうか。

どれもこれも鮮やかな作品であるが、実は願いごとを記して奉るもの。

名前に日付けを記して、「ねがいごと(願い事)」を書く。

祈願する子どもたちの思いはさまざまであろう。



この日もまた見上げてしまう天井絵。

天井にも色鮮やかな花がいっぱい咲いていた。

岩松寺の花まつりは子どもたちの時間。

甘茶もよばれた親と子が交わす2時間に笑顔が溢れていた。



日が暮れる前、参拝のお帰りに、本堂前に並べた花ポットをもらって帰路についた。

(H30. 4. 7 SB932SH撮影)
(H30. 4. 7 EOS7D撮影)

王寺町本町・岩松寺のねはん会

2020年02月21日 09時23分42秒 | 王寺町へ
子どもたちにも読めるように書いた「ねはんえ」。

大きな文字に思わず引っ返してUターン。

呼び鈴を押して突然の取材をお願いした王寺町本町の岩松寺(がんしょうじ)。どうぞのお言葉に・・・ありがたいご縁をいただく。



掲示板に書いてあった「ねはん会」に“だんごまき”もある。

本堂でされるのだろう。

会式が始まる時間は午後6時半だ。

お願いにあがった時間は、それより3時間前の午後3時半。

時間を潰すにはどこかで一休憩するしかない。

近くのスーパーなどあれこれ廻って再びやってきた岩松寺。

その道先にある神社。

ここ国道18号線を走る度に気にかけていた神社である。

細い道を軽バンで行く。



角を曲がったところにあった神社は片岡神社

どなたもおられなかった神社に独り参拝する。

時間調整をした後に車を移動。

挨拶させていただいいたK住職の許可をもらって駐車した寺の駐車場。

実際は、K家の駐車場。

参拝者用の駐車場はない。

国道168号線沿いにある達磨寺が有名であるが、ここ岩松寺は道路隔てた達磨寺の向かい側。

融通念仏宗派のお寺さん。

最近になって本堂を改築した、という。

その本堂にあがらせてもらった。

平成26年11月に竣工された本堂は観音堂。

内陣の真上の天井を見てください、と云われたそこに数々の彩色画がある。



子どもたちにも描いてもらった天井絵。

その枚数は数えきれないほどに多い。

お供えは涅槃会に相応しい団子である。



昨年までは50kg。

今年はやや少なくなったが、それでも40kgの餅粉で作ったという涅槃の団子。

前日に作った団子であるが、ここら辺りでは珍しい、という。

これまでの涅槃の団子作りは、檀家のお家で作っていた。

何軒かの人たちそれぞれで団子搗きをして丸めていた。

たぶんに廻り当番の檀家家でしていたと思われる団子搗き。

作った団子は、お寺さんに寄進奉納する。

その形式であったが、現在はお寺で作るように切り替えたそうだ。



新しく表装しなおした涅槃図の前に供えた涅槃の団子。

その右側に見られる御供。

仏具の御供は立て御膳。

生蓮根に紅白1本ずつ棒寒天。

もう一つはブロッコリーだ。

時間ともなれば檀家さんたちがやってきた。

今夜の涅槃会に手を合わす檀家さん。



母親に連れられてきた子供たちも手を合わせていた。

美しく輝く脇仏にも涅槃の団子を供えた。



ローソクを灯してそろそろ始めようかとする岩松寺のねはん会である。

檀家の男性は7人、女性は8人。

母親、父親と連れだってやってきた王寺小学校の生徒たちに子供らも座った。

男の子、女の子は半々くらい。

昔は、集まって参列された人たちで本堂いっぱいに広がったそうだ。

その数、100人にも・・。



そして始まった涅槃の法会。

導師のご住職が香を焚く。

キンを打って鳴らす。

そして礼拝されて内陣に着座。

融通念仏勤行を声明されて・・「願わくば・・・」。



~・・「ゆうずうねんぶつ なんあみだぶ、なむあみだぶ・・」。

二つ並べた伏し鉦は2丁の撞木(しゅもく)。

ご住職の息子さんが打っていた。

~・・本日、涅槃、先祖代々、過去帳詠み~なむぁだぶ、なむあみだぶ~・・・。

水難、交通事故~なむあみだぶつ~・・を経て先祖回向。

~・・追善菩提のためになむあみだぶつ。

そして献上された人たちの名を詠みあげる。

涅槃団子を作った人たちにもなむあみだぶ~。

本日、身体堅固になむあみだぶ、三界万霊、平等利益になむあみだぶ~・・・願似此功徳~・・。

ただ、法会の間の焼香はなかったようだ。

法会が終わった本堂。

いつの間にか、溢れるほどの参拝者でいっぱいになっていた。

午後7時過ぎからはじまったご住職の法話。



「そもそも涅槃っていったい何でしょうか。それはお釈迦さんが亡くなられたとき。それを入滅といいます。お釈迦さんが亡くなるとわかったのか、沙羅双樹は黄色い色になりました。52種の動物が、お釈迦さんの周りに集まってきました。一番はじめに牛。そして、鼠。牛の背中に乗ってきた鼠。そのとき、です。背中に乗っていた鼠がピョン、と降りました。そういうわけで鼠が一番。干支十二支の謂れです。また、涅槃図には猫も描かれた図もあるようです」と、子どもたちにもわかりやすくお話してくださる。

法話の次は涅槃の団子撒き。

先に回向されて団子を撒く。

奈良県内で涅槃の団子撒きをするお寺は少ない。

岩松寺は、これまで通りに団子撒きをする。

K住職は63歳。

子どものころのお寺は、ここで紙芝居をしていたそうだ。

紙芝居だけでなく幻灯機もしていた、という。

今の時代では見ることもない幻灯機。

懐かしい道具で投射していた映画を見ていたころを思い出す。

ゲーム時代になって参拝者も減ったが、今では復活。

大勢が参拝してくれる今日に感謝する、と話される。

団子撒きは、畳床の上をコロコロ転がす。

奇麗な畳床だから、子どもたちにも安心できる場。

優しく転がしたら子供たちが群がるように団子取りに興じる。

実は、3月の春の彼岸会のときも涅槃会と同様に法会をしていた。

団子撒きをまとめてすることで負担を軽減。

団子搗きもお寺でするようにしたのは檀家の負担軽減でもある。

ご近所の奥さんたちも集まって作ってくれた団子。

前夜の11時までかけて作った大量の団子。



今夜は、30人もの人たちが集まって賑やか。

今夜に撒いて笑顔になる子供にあげたい、と云っていたご住職。

団子を撒く人たちは檀家総代や寺世話の人たち。



子どもも大人もみな笑顔が溢れていた。

涅槃会を終えた翌月の4月8日は午後3時より「花まつり」をされる。

子どもたち、一人ずつが花を持ってきて花御堂に添える。

今年は、お寺の年季が入ってやくなく4月7日になるが、翌年は正に戻って8日。

涅槃会に続いてご承諾いただいた。

ありがたいご縁である。

また、融通念仏特有のご回在もある。

昔は10月4日だったが、今は2日。

2日の前倒しは、おそらく山行きのある年ではないだろうか。

(H30. 3.15 SB932SH撮影)
(H30. 3.15 EOS40D撮影)