県立民俗博物館の現在は、一切の寄贈を受け取らない。
溢れてきた博物館収蔵庫の中から、選んで展示する物品は、種類からして多くある。
多くあるから、民俗の謎が解けることもある。
尤も、収蔵品だけでは判明できず、他の施設から知恵と情報と物品をも借用するなどして企画展の内容を深め展示をしてきた、ように思える。
と、いうのもときおりであるが、民俗をとらえた写真展示に協力依頼をいただく場合がある。
つい、先日まで展示していた本館内で開催していたひなまつり展示にも写真提供している。
おまけに、自費で収集した民俗行事に関連する祭具も展示してくださった。
写真は、若干の補正を許可しているが、私がとらえた映像である。
五條市・南阿田で行われている流し雛の1シーン。
展示物品に、川流しに千代紙でつくったおひなさんを流す竹皮の小舟。
以前に寄贈していた竹皮の小舟である。
かつて26行事、それぞれの行事写真を提供したことがある。
テーマ企画展の「移動―ヒト・モノ・カミ―」。
その解説に、神も、仏も、人も、地蔵さんも動く、とある。
その動く、つまり移動において運ぶ役目にオーコや籠も、すべてが民俗。
実は、民俗写真は積極的に集めてこなかった。
あったのは、おそらく収蔵する際に撮っていた記録であろう。
展示の解説補助に、視覚に訴える考えは乏しかったようだ。
学芸課だけでは、収集するまでは至らない。
企画展といえば、民具、用具などの物品。
その道具を使っていた人たちが、生活、暮らしのなかで使ってきた体験しかない。
人、さまざまなあり方に、一様的要素は多様だ。
学芸課から依頼された写真は、記録でもあるし、解説の補助資料として用いられる。
私の記録は写真だけでなく、手で触れることができる民具や用具、祭具などもできる限り収集してきた。
藁製がほとんどであるが、これら祭具は、小正月のトンドで燃やされる。
すべてではないが、そうしたモノは数多い。
もし、燃やすなら、捨てるなら、私が預かり、県立民俗博物館へ。
これまで収蔵されることがなかった物品を提供・寄贈したことがある。
学芸課=民俗博物館への寄与である。
積極的に意識しだした収集時期は、平成20年のころ。
受け取った貴重な祭具。
これらのほとんどが使用済。
何部か、残っているからと、敢えてくださった物品もある。
年次行事に廃棄処分から免れた祭具をもらってきた。
その祭具が、いつ、どこで、どなたから、その祭具の簡単な説明など、後世の人でもわかるように、記入した紙片。
つまり[F(※百均にも売っている”エフ”)]に記載し、物品がわかるように括っておいた。
また、行事の詳細については、エクセルデータに記録し、これらすべて60点余りを、平成24年3月30日のころに寄贈した。
その2年後、平成26年5月3日から6月23日まで。
博物館内・コーナーに展示してくださった。
もちろん写真も提供している。
コーナー展の容量が狭いことから、寄贈した一部の用具になったが、急遽、語りもお願いされ6月8日に講演も受けもった。
その後、である。
用具の寄贈は受け入れできない状況になったようだ。
受け入れられない状況であろうが、私の取材活動は、まだまだ続いている。
初めての寄贈から、さらに増え続け、不要になった祭具は、我が家で保管している。
学芸員のMさんに、一時的に預かっていただいた山添村・切幡でいただいた「ブトクスベ」が、我が家に戻ってきた。
見本につくってくださった切幡のTさんから受け取った「ブトクスベ」も我が家で所蔵継続・・
不知な人からみれば、これらは「ガタクタ」に見えるだろうが、列記とした暮らしの民俗文化財。
そんなモノは金にならん、という人もおられるだろうが、高価、低額の価値判断ではなく、値打ちの可否を問うものでもなく、すべてが後世に伝える文化財である、と思っている。
(R4. 3.27 SB805SH 撮影)
溢れてきた博物館収蔵庫の中から、選んで展示する物品は、種類からして多くある。
多くあるから、民俗の謎が解けることもある。
尤も、収蔵品だけでは判明できず、他の施設から知恵と情報と物品をも借用するなどして企画展の内容を深め展示をしてきた、ように思える。
と、いうのもときおりであるが、民俗をとらえた写真展示に協力依頼をいただく場合がある。
つい、先日まで展示していた本館内で開催していたひなまつり展示にも写真提供している。
おまけに、自費で収集した民俗行事に関連する祭具も展示してくださった。
写真は、若干の補正を許可しているが、私がとらえた映像である。
五條市・南阿田で行われている流し雛の1シーン。
展示物品に、川流しに千代紙でつくったおひなさんを流す竹皮の小舟。
以前に寄贈していた竹皮の小舟である。
かつて26行事、それぞれの行事写真を提供したことがある。
テーマ企画展の「移動―ヒト・モノ・カミ―」。
その解説に、神も、仏も、人も、地蔵さんも動く、とある。
その動く、つまり移動において運ぶ役目にオーコや籠も、すべてが民俗。
実は、民俗写真は積極的に集めてこなかった。
あったのは、おそらく収蔵する際に撮っていた記録であろう。
展示の解説補助に、視覚に訴える考えは乏しかったようだ。
学芸課だけでは、収集するまでは至らない。
企画展といえば、民具、用具などの物品。
その道具を使っていた人たちが、生活、暮らしのなかで使ってきた体験しかない。
人、さまざまなあり方に、一様的要素は多様だ。
学芸課から依頼された写真は、記録でもあるし、解説の補助資料として用いられる。
私の記録は写真だけでなく、手で触れることができる民具や用具、祭具などもできる限り収集してきた。
藁製がほとんどであるが、これら祭具は、小正月のトンドで燃やされる。
すべてではないが、そうしたモノは数多い。
もし、燃やすなら、捨てるなら、私が預かり、県立民俗博物館へ。
これまで収蔵されることがなかった物品を提供・寄贈したことがある。
学芸課=民俗博物館への寄与である。
積極的に意識しだした収集時期は、平成20年のころ。
受け取った貴重な祭具。
これらのほとんどが使用済。
何部か、残っているからと、敢えてくださった物品もある。
年次行事に廃棄処分から免れた祭具をもらってきた。
その祭具が、いつ、どこで、どなたから、その祭具の簡単な説明など、後世の人でもわかるように、記入した紙片。
つまり[F(※百均にも売っている”エフ”)]に記載し、物品がわかるように括っておいた。
また、行事の詳細については、エクセルデータに記録し、これらすべて60点余りを、平成24年3月30日のころに寄贈した。
その2年後、平成26年5月3日から6月23日まで。
博物館内・コーナーに展示してくださった。
もちろん写真も提供している。
コーナー展の容量が狭いことから、寄贈した一部の用具になったが、急遽、語りもお願いされ6月8日に講演も受けもった。
その後、である。
用具の寄贈は受け入れできない状況になったようだ。
受け入れられない状況であろうが、私の取材活動は、まだまだ続いている。
初めての寄贈から、さらに増え続け、不要になった祭具は、我が家で保管している。
学芸員のMさんに、一時的に預かっていただいた山添村・切幡でいただいた「ブトクスベ」が、我が家に戻ってきた。
見本につくってくださった切幡のTさんから受け取った「ブトクスベ」も我が家で所蔵継続・・
不知な人からみれば、これらは「ガタクタ」に見えるだろうが、列記とした暮らしの民俗文化財。
そんなモノは金にならん、という人もおられるだろうが、高価、低額の価値判断ではなく、値打ちの可否を問うものでもなく、すべてが後世に伝える文化財である、と思っている。
(R4. 3.27 SB805SH 撮影)