マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ヤマサ醤油のやみつき麺だれギョーザ味

2021年03月31日 08時57分15秒 | あれこれテイクアウト
冷凍うどんを湯がいて食べる。

タレは買い置きしていた麺タレ。

昨今はいろんな会社から販売されているさまざまなタレ。

特にうどん麺にマッチしそうな定番、或いは新作の味。

買い物に出かけたスーパートライアル宝来店に並んでいたレトルトパック入りのうどんタレ。

ヤマサ醤油が新発売したやみつき麺だれギョーザ味。



タレでギョーザ味ってどんな味。

製造発売元がヤマサ醤油だけに自社醤油を活かして味に違いないが、大蒜風味が気になる商品を一度は試さないと・・。

いつもの冷凍うどんはコシがある。



これにぶっかけるだけでできあがったやみつき麺だれギョーザ味。

混ぜ混ぜして食べた一口目。



意外でもないが、実に濃厚な醤油味。

大蒜味が消えている。

極端にいえばだだ辛め。

いや、旨味に辛みもある醤油っぽい味。

私の味覚が怪しいのか、餃子味がまったくといっていいほど感じない。

なんの味かと問われても・・ただただ濃い醤油味。

白髪ねぎとか刻んだ韮でも混ぜ込んだら味変するだろうが・・。

病みつきにはならなんだが、ソーメン若しくは細い乾麺うどんで一味試したい。

足す具材が冷蔵庫になければ作り置きの葱にもみ海苔でも・・。

(R1. 6.23 SB805SH撮影)
(R1. 7. 8 SB805SH撮影)

食虫植物にも見えたソレは瓶子草

2021年03月30日 09時07分08秒 | 自然観察会(番外編)
上荻の天王行者祭探訪に訪れたY家の庭に見た植物。

緑一色にケータイカメラまでが異様な緑色に包まれる。

植物には違いないが・・・・なんだろう。

なんとなくだけど食虫植物にも見えるんだが・・・初めて見る植物に名前は、あるのだろうか。

そんなとき、頼りになる知人が居る。

FBに揚げたさまざまなモノモノに、たいがいのことに応えてくれる頼もしき知人。

Mさんが、アップした緑色の画像に、すぐさま反応してくれた。

ヒントキーワードは「サラセニア」。

ぐぐったネットにあるある・・大辞典

筒状の葉っぱがお酒を入れる瓶子(へいし)に似ているから瓶子草(へいしそう)・・。

瓶子葉が捕虫葉。

わかりやすい和名である。

もやっとした気持ちがすっきりし、空はすっかり晴れた。

(R1. 7. 7 SB805SH撮影)

上荻の天王行者祭を訪ねて

2021年03月29日 10時10分16秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
今年、平成31年2月9日に訪れた奈良市旧都祁村の荻町。

子どもの涅槃講調査の際にお会いした氏子総代のIさんの許可を得て拝見していた荻坐神社の祭典行事表に7月7日に近い日曜日は「天王行者祭」とあった。

上荻が当番大字。

場所は上荻にある天王社であろうと待っていた。

午後1時と書いてあった行事表であるが、その時間が訪れても誰一人として来られなかった。

祭典場が違ったのか、それとも都合によって前後する日曜日に移されたのか・・。

「天王行者祭」の名がある行事に天王社は外せないだろうと思うが、“行者”も併せもつ行事を知りたくて待っていたが・・。

草刈りもなくひっそりと佇んでいた天王社境内に山乃神の印しがある。



鮮やかな朱の色で彩色している山乃神の鳥居に目がいく。

苔むしていることもない山乃神に行事はあるのだろうか。

ちなみに現在は、本堂が壊れた関係に建て替え工事中の本堂。



総代の話によれば安置する本尊は観音立像。

で、あるならお堂は観音堂になろうと思うが・・。

この年の平成31年2月10日に取材した下荻のネハンコ行事。

本来なら涅槃図は、安穏寺本堂に掲げるのだが・・。

仕方なくであるが、本堂代わりに設営した仮安置所に納めて実施された。

神社から下ったところに上荻集会所がある。

付近の道路に停車していた十数台の軽トラ荷台に草刈り機や鎌があった。

いずれの荷台にもそうあるから、この日は道作りだと思った。

集会所内に集まっていた人たち。

なにやら会議をされているように思えたので声かけをせずに場を離れようとした、そのときに解散された。

順次、軽トラに乗車して離れる上荻の人たち。

一人の男性に声をかけた。

事情を話してわかったその方は前年の一年間、村神主を務めたというIさん。

2月9日に訪れたときのことを兄から聞いていると・・。

まさかの出会いに伺った天王行者祭。

道作りは午後も作業があり、それを終えてから代表がお供えをするだけになっていると・・。

前年に村神主を務めたIさんは、上荻の天王社に参ることはなかった、というから、荻坐神社で行われる行事のように思えてきた。

ところで、天王社境内にある山乃神行事について尋ねたら、神社下に住むYさんが詳しいという。

不在なら仕方がないが、尋ねてみる価値があるように思えたYさん。

Iさんの紹介でこちらに・・と山乃神のことについて教えを乞う。

話してくれたのはずいぶん前のことであった。

山乃神がある場にサルスベリの木が生えている。

その木に山行き道具のナタやカマ、ノコギリなどを供えていた、という。

山行きする人は限られていた山の仕事をする人たち。

個々に参って山に行く。

製材業の人でなく山へ出かけて伐採する人たちである。

マサカリもあったし、竹の筒にお神酒を入れてお米も供えていたそうだ。

もしかとして、お神酒入れの竹筒は背中合わせに一枚皮で繋がる、このような形でしょうかと、図示したら、薄れているが、そんな形だったように思える、と・・。

昭和40年の初めまではしていた山行きのお供え。

中学生からはじめて二十歳のころまでしていた山行き。

割り木を焼く炭窯も作っていた。

昭和40年代に燃料革命が起きた。

窯で焼いた割り木の炭は燃料。

その後は石炭とか練炭時代。やがてプロパンガスの普及とともに炭焼き窯がほぼ全村から消えた。

山添村に炭焼き窯をもっていた知人がいた。

趣味の範囲でしていた、という知人。

やがて廃した。

窯で焼いて作る炭は網焼きに最適。

肉に鰻、焼鳥くらいしかない需要になんとかやっていたが、次第に高齢化。

そういうことで廃したようだ。

最盛期は荻でも4、5軒でしていた窯焼き。

手入れをしていなかったら途端に崩れる。

窯は火を焚いておけば崩れることはないが、放置しておけば湿り気によって屋根辺りから落ちる、という。

炭焼き窯をつくることを“カマウチ”と呼ぶ。

作り終えたらアカメシ(赤飯)を炊いて祝っていた。

“カマウチ”に必須の材料は赤土。

これがなければ作れない。

炭焼き窯の厚さは10cmにもなるから大量の赤土が要る。

窯の周囲に槌で叩いて固める。

何回もくるくる周回して打つ赤土を思い出してくださった。

地域差はあるが、窯の製造法を載せているブログ「陸奥新報の木炭づくりの今昔」がある。

ちなみに上荻の天王社はある時代に荻坐神社に合祀したそうだ。

天王社のご神体は荻坐神社。

ここ荻町は上荻、中荻、下荻それぞれに神社があったが、それら纏めて合祀した、という。

そういうことから天王社は上荻にあるが、神事は荻坐神社で行われている、ということだ。

村行事に移したことから敬神講を組織化したという。

役行者像も奉っているが、大々的な行事でなく上荻地区の道作りも兼ねる日であった。

状況がわかったところで、下荻に足を伸ばした。

今年の2月10日に行われた下荻の子供のネハンコ(涅槃講)行事の写真である。

伺うお家はネハンコのオヤ家を務めたT家。

ネハンコにお米貰い(※現在はお金もらい)にオヤ家の子どもが中心となった下荻に住む子供たちとともに各戸を巡る。

その子のおじいさんが応対してくれた。

荻坐神社の祭りに子供神輿を導入したSさん。

息子が初乗りしてくれた。

やがて村の子どもたちは減少化。

やむなきこと廃すことになったが、〆の納めに乗ったのが孫だった。

その孫も子供のネハンコを終えた次年度は中学3年生。

対象となる年齢は中学2年生まで。

クラブ活動が終わって帰ってきたときに伝える行事のお礼に写真を手渡し。

母親も喜んでくださった写真。

下荻にまだ下の子どもは要るがごく数人。

しばらくは実施できそうにあるが、その先が見えない少子化である。

(R1. 7. 7 SB805SH撮影)

はま寿司の濃厚冷やし担々麵

2021年03月28日 08時55分43秒 | 食事が主な周辺をお散歩
昨年夏販売の旨辛濃厚冷やし担々麵のリニューアルバージョン

“旨辛”表現がとれてしまった商品名は濃厚冷やし担々麵。

通常なら税抜き380円のメニューが特別にサービス券を持参したら50円の割引。



昼直後に遅れるのではと推測して出かける旧都祁村の一角。

上荻に鎮座する天王社に向かう道すがらにあるはま寿司に飛び込む。

時間帯は昼前の30分。

日曜日の昼間のお席はどこでも行ける。

ペッパーくんが選んだカウンターに座ったのはたったの一人。

しばらくしてから2人も席に座ったがすっからかんに空いている時間帯に何を注文するのか・・。

狙いは濃厚冷やし担々麵しか考えていない。



にぎり寿司や唐揚げも注文したいところがゆっくり落ち着いて食べる時間に余裕がない。

ただ、一品のみオーダーに店員さんが直々に運んでくれた濃厚冷やし担々麵。

見るからに旨そうな色具合。

これには山椒がついていますと渡された。

胡麻肉味噌がどっさりこんもり。

味噌玉のように見える塊であるが、その下にあるペーストは何なんだ。

真っ赤な液体が浮遊するスープに白髪ねぎ。



見るからに旨そうな気配がするが、緑の葉っぱはなんだ。

三つ葉ならいいのだが、これは今流行りのアレかな・・。

最初の一口、二口は山椒なしのオリジナル味を楽しむ。

一口つるつる食べる前に肉味噌に麺をまぜ混ぜ。

スープにも絡ませて泳ぐように混ぜ混ぜ。

夏はシビ辛と訴える坦々味噌。

それがなんと味噌の味なんてこれっぽちも感じない甘いスープ。



いや、甘辛のスープは、胡麻ベースのスープにラー油を後がけ。

しかも、焙煎摺り胡麻の香りにラー油の辛みが実に旨い。

これほど美味しいのはいままで味わったことのない、私にとっては絶品味。

甘味のあるシビ辛冷やしスープに冷やし麺を絡ませて一口。

二口目に坦々味噌をたっぷり。

ずずーっと口に吸いこまれていく極上の味にどっぷり浸かる。

胡麻ベースの肉味は、甜面醤(テンメンジャン)と豆板醤(トウバンジャン)に拘った配合。

味加減は匙加減で決まったかどうかしらないが、絶妙味は真の美味さ。

こんなにお安い値段でいただけるなんてほんま幸せな時代になったものだと感心する。

企業努力の賜物の濃厚冷やし担々麵をたっぷり賞味させてもらった。

最後の一滴も残さずに飲み切った濃厚坦々スープ。

追いシャリはあるが、追い麺もあればな、と思った。

(R1. 7. 7 SB805SH撮影)

マルちゃんの北の味わい魚介豚骨醤油味つけ麺

2021年03月27日 09時24分46秒 | カンタンオリジナル
昨夏からつけ麺が大フアンになった。

その火付け役だったと思う東洋水産のマルちゃんの北の味わい魚介豚骨醤油味つけ麺。

その後にわかったことだが、スーパーサンデイでは夏だけでなく年から年中。

いつ出かけてもたいがいあると思っていいほどの年中食。

時季も7月になれば、と思って買っていたマルちゃんの北の味わい魚介豚骨醤油味つけ麺

インパクトある強いコシをもつ極々太麺。

つけタレは濃くのある魚介豚骨醤油味。



麺をつけなくとも美味しいタレ、いやスープみたいなもの。

この日のために買っておいた濃厚焼き豚とメンマをちょこっと追い足してさらに深みのある味に・・。

つるっと一口。

忘れかけていた北の味わいを思い出した。

麺もつけタレもこの濃さが魅力。

たっぷりコテコテ味の魚介豚骨醤油味。

麺をずずっと吸い込む際には、つけタレもたっぷりすする。

極上の味わいに大満足していたが・・・ときおり感じるカツオ風味。

それも粉っぽいカツオ節の味。

サバのような感じもするが・・。

(R1. 7. 4 SB805SH撮影)

櫟枝町・久しぶりの表敬訪問に民俗を知る

2021年03月26日 09時32分30秒 | 大和郡山市へ
たしか88歳の後半にあたる年齢になったと推定する婦人。

大和郡山市の旧村の一つにある櫟枝町に住むIさん。

かーさんが所属するクラブ活動で知り合った婦人に差し上げたいものがある。

クラブに参加しているので、そのときにでも、と思って持っていくが、たまたまその日はお休み。

婦人が参加される日はこちらが休みとなれば日延べばかりが続く。

なんなら買い物ついでに足を伸ばして渡しておこうか、といえばそうしてという。

預かったモノは手作りプリザーブドフラワー。

毎月が異なる形の手作りフラワー。

今日はお休みらしいくどこかへお出かけしているそうだが、お家には家族がおられるだろうと出かけてみたが・・呼び鈴の反応空しく留守だった。

仕方なく帰ろうとした際に聞こえてくる作業の音。

八幡宮北に建つ極楽寺境内から聞こえてくる音。

お声をかけたら鎌に刈り取った草をもっていた婦人だった。

当番のときはいつもこうして掃除をしているという。

婦人が手にしていた草はドクダミ草。

鼻を寄せなくとも香ってくる独特の匂い。

決して嫌味な匂いではないが、人さまは臭いというドクダミ草。

別名に“十薬”の名があるくらいの薬草。

漢方薬の一つに揚げられる“十薬”は、同じ発音の“重薬”もそうである。

刈り取って陰干しするだけで作れるドクダミ茶。

製品となればまま高値で販売されている“十薬”である。

ドクダミ草はいくら刈っても、毎年生えてくる。

古い井戸周りにはびっしり生えているドクダミ草。

お盆の施餓鬼前にはおばあさん講とも呼ばれる尼講に檀家総代を交えて大掃除に対応するらしい。

ここらではたぶんに早い8月6日に行われる櫟枝極楽寺(※普段は無住寺)の施餓鬼。

隣の本村にあたる横田町の融通念仏西興寺の住職に来てもらって施餓鬼法要をしてもらうのだが、兼寺も多く、時間調整の結果によって毎年が異なる時間帯になるそうだ。

そういえば、住職とは平成29年の6月に天理市福住の融通念仏宗西念寺でお会いしたことがある。

兼寺でなく本寺の務めに就任されたと云っていただけに、朝10時もあれば午後一番というときもあり、時間調整はさらに難しくなったようである。

ドクダミ草を刈っていたYさんの話によれば、療養されていた老師が亡くなられ百カ日法要をしたばかりだという。

さて、Yさんも務めている櫟枝町の尼講。

これまで10人の講中で営んできた。

以前はそれ以上の講中であったが、構中が少なくなった際に、水曜、土曜日の週2回のペースを割愛し、週一に切り替えたそうだ。

毎週の当番は2人組。

廻りは早く、ほぼ月1に当番が廻ってくる。

近年、新しく入講された一人を入れて、現在は11人の廻り。

見習い経験の期間はその組だけが3人。

かつては真言宗だった極楽寺。宝暦年間(1751~)に改宗されて融通念仏宗派に移った。

念仏を申すに融通念仏勤行を唱えるお勤めに慣れてきたら順繰りに廻すようだ。

そのような尼講話題に盛り上がっていたお昼前の時間帯。

60歳のころに免許を取得したと話していたIさんが戻ってきた。

Iさんと初めてお会いしたのは平成25年の5月25日

平成26年9月14日

再びお会いしたその日はマツリの当家宅を案内してもらった。

「あのころに比べたら痩せたみたいね」、といわれた通り、そう、大病をしてからもう4年になるが、身体つきはまだ戻っていないようだ。

帰路に走る村中央を往来する集落道。

狭い道を通り抜ける際の対向措置に気を配る。

その一角。



あるお家の前に置いてあった「ホテイあおい ご自由にどうぞ」と、道行く人たちに伝えていた。

(R1. 7. 4 SB805SH撮影)

7月2日といえば半夏生蛸に鯖、餅・団子もあればうどんも・・

2021年03月25日 10時04分15秒 | 民俗あれこれ(売り場の民俗歳時記編)
当日付けのチラシにあったスーパーマツゲン(※和歌山を中心に展開しているスーパー)のPOP。

ブログ情報によればマツゲンのチラシに半夏蛸POPがあったのは平成16年7月1日版。

かなり早い段階でPOP化していた半夏蛸に驚く。

稀に7月1日にもあるが、例年が7月2日の半夏生(はんげしょう)。

やれ、あちらに群生があるといってカメラマンが追いかける植物の“半夏生”。

葉の裏面が白色。

その特徴から別名にカタシログサ(片白草)の名がある“半夏生”はドクダミ科。

同じようにマタタビ(木天蓼)やミヤママタタビにもその特徴はあるが、写し込んでも雰囲気を伝えにくいからなのか、見向きもされない。

それはともかく、スーパーのチラシにタコ、たこ、蛸・・にうどんまで登場した。

旬の半夏生に蛸料理がいっぱい。

「たこの足のように稲の根が拡がるのを祈り、半夏蛸(はげだこ)と称してたこを食べる風習がある」と謳っている。



蛸料理のレパートリーはさまざま。

一般的な湯たこもあれば、たこ焼きのたこ、たこ飯、たこキムチ、たこの酢の物、たこの唐揚げに最近のヒットになるたこのアヒージョもあるが、たこの天ぷらがないのが、ちと寂しい。

スーパーマツゲンのチラシにもう一つ。

7月2日は「うどんの日」とある。

「讃岐地方の農家で半夏生のころ、田植えや麦刈りが終わった労をねぎらうために、その年に収穫したした麦でうどんを作り、ふるまったことに由来する」とあった。

チラシに並べた商品は乾麺の讃岐ざるうどんに生麺のさぬき冷やしうどんとか“讃岐”の名のない細切りざるうどんにうどんスープまで・・。

最近、流行のカップに入れた液体スープも・・。

商魂たくましいPOPであるが、昭和55年の7月2日に香川県製麵事業組合が制定したうどんの日。

麦刈りに田植えとくれば二毛作。

時季が丁度の半夏生のころである。



ちなみに半夏生時季の蛸に小麦粉うどんの他、半夏生鯖(※はげっしょさばの呼び名がある福井県大野市の焼き鯖)もあれば、小麦粉で作った“はげ団子”という高知県の郷土料理もある。

餅に半分ほどの小麦粉を混ぜてつくるハゲッショ餅は奈良県

それぞれの家庭で作って食べていたハゲッショ餅が稀に道の駅に出ることもある。

また、俳句の季語に“半夏生”がある。

季語の代わりになる傍題に“半夏雨”がある。

だいたいが梅雨の終わりころに降る大雨。

梅雨明けの時季になるというが、九州南部に降り続ける豪雨に、お見舞い申し上げます。

(R1. 7. 3 SB805SH撮影)

写真展経由にピクルス屋の柚子入りビネガーを求めた道の駅かつらぎに国産カンピョウ作りの現状を知る

2021年03月24日 08時04分26秒 | あれこれテイクアウト
葛城方面に出かける際に製造会社の所在地に立ち寄りたいと思ってから早や半年期間が過ぎた。

目的地は御所市蛇穴にあるピクルス屋。

なぜにここに出かけたいのか。

それは今年の1月に遡る。

登録している関係で毎年の誕生祝いに特別なモノがプレゼントされるオートバックスの会員。

今年の誕生祝いのプレゼントはなんと柚子入りビネガーであった。

私からみれば上等もんのドレッシング。

野菜サラダに落として食べたら、実に美味かった。

柚子の香りに包まれる野菜が爽やか感をもつ、とてもやさしい味になる。

こんなに美味しいプレゼントは初めて。

いつしか直接出かけて買ってみようと思うほどになったが、なかなか葛城方面に出向く用事が見つからない。

この日は知人のKさんが展示する写真展があった。



2回目になる個展は“里山のいとなみ 第二章”。

住まいする近くにある自然な景観に取りくむ“里山のいとなみ 第二章”の作品。



これまた知人のYさん他、この日に知り合った3人の写真家とともに魅せられていた。

会場から売り場まではそれほど遠くない。

しかも場所ははっきりと認識できる道の駅かつらぎ、である。



前もって調べておいた売り場。

わざわざ製造元のピクルス屋まで行かなくとも入手できる。

欲しい商品は税込み842円の柚子のピクルス液/はちみつ柚子ビネガーは、ネット購入もできるようだ。

すぐ近くになる寺口の地蔵盆調査も兼ねて立ち寄った。

店内にある売り場を探していけば、見つかった。



ネット販売同様の税込み842円で売っていた。

念願かなって買い求めたが、ここ道の駅かつらぎは今どきでも現金支払い。

道の駅唐古はクレジットカード払いができる今どきの対応。

軽減税率対応も遅れていると思った道の駅かつらぎにがっくりした。

ついでに買った地産地消の野菜がいっぱい。

冷蔵ショ-ケースにあった大阪羽曳野・タケダハム製の吊るし焼き豚にも目がいく。

なぜに大阪羽曳野・タケダハムがここで売られているのか。

答えは道すがら。

道の駅かつらぎ出たらすぐに見つかる南阪奈道路の入口。

トンネル越えた、そこが大阪羽曳野であるからだ。

買いはしなかった商品がある。

栃木県産のかんぴょうである。



栃木県産のかんぴょうがなぜにここで売られているのか。

地産地消の謳い文句がある道の駅。

そういえば南国の宮崎県産のマンゴードレッシングもショーケースにあった。

なんでもあれの道の駅なのか。

平野善平商店謹製の栃木県産のかんぴょうに苦言をするわけではない。

奈良県においてもかんぴょうつくりをしている人たちがいる。

例えば明日香の道の駅には地元産を売っていた。

葛城地方には作り人が見つからなかったのかどうか存じないが、私が知る範囲ではありそうにも思えるかんぴょう作り。

ここ葛城から一番近いところで確認した地域は安堵町の岡崎に見つかった。

かつては天理市のあちこちにも見られたかんぴょう干し。

田原本町にもあったが、徐々に消えていく干す景観。

国産かんぴょうのほとんどを生産する栃木県からみれば奈良県産はほぼほぼゼロ産地。

かんぴょうの生産量の国内シェア。

シェアが98.4%を占めるダントツトップの315tも生産する栃木県をはじめとして3tの茨城県、2tの滋賀県・・1tの埼玉県・・奈良県は0t。

数値化できないほどの少なさ、個人的に作られている状況がよくわかるデータである。

ちなみであるが大手スーパーどころか中小のスーパーでさえ、売り場に並べるかんぴょうは、ほぼ間違いなく中国産。

平成25年度の輸入量データによれば中国産は1582t、次点はインドネシア産の12.7tに、総量は1596t。

平成26年度の国産総量が321tとあれば輸入比率は83%も占める。

その後の栃木産は減産の道。

生産低迷の歯止めならず、300tを下回った265tの生産量。

厳しい状況を伝えるニュースが痛々し、であるが、中国産輸入量も減少傾向にある。

国産第一県を誇る栃木県の工場でさえ竿干しかんぴょうの直輸入に移りつつある農家の生産事情。

それほどに厳しいかんぴょう需要・消費量の落ち込み。

巻き寿司からかんぴょうが消えるのは今さら始まったわけではないが、なんとかせな・・と、思うのだが・・。

(R1. 7. 1 SB805SH撮影)

寺口のもう一つの地蔵まつりを訪ねて

2021年03月23日 09時45分48秒 | 葛城市へ
前年の8月30日に訪れた葛城市寺口。

集落下にある地蔵堂。

自家製のオニギリを供えるT本家。

御供は下げて子どもたちに配ると話してくれたTさん。

地蔵盆は7月24日の午後6時から2時間もかける営みに般若心経と西国三十三番のご詠歌を唱えると聞いてる。

本日、訪れた目的は、もう一つの地蔵尊。

石作りの祠に納められた石仏地蔵。

藁製、それとも竹製で設えたまつりのあり方。

その様相を見せてくれたのは「ノンさんのテラピスト」ブログ(※残念ながらヤフーブログだったため消滅したが・・)。

「葛城山麓・置恩寺の十一面観音を訪ねて 2012.8.4」に紹介していた映像は、ここ寺口だと信じてやってきた。

念のためと思ってもってきた「ノンさんのテラピスト」映像。

携帯電話に取り込んだ映像と見比べる寺口の集落口にある地蔵尊。



様相はまったく同じであるが、違いは2点。

1点はまつりの時期ではないから、なんにもない。

もう1点は、ここより少し歩いた地にあった民家である。

手前に見られる石垣造りの家の隣家が奥まっていた。

どうやら建て替えたようである。

その石垣民家を訪ねてみようと歩き出したところに単車が走ってきた。

地元民と思われる婦人が運転する単車。

声をかけて尋ねてみた地蔵尊のこと。

その前に設えている状態を見てもらったら、まさしくここだという。

婦人は74歳のMさん。

畑に出かけたが、忘れ物をしたから戻ってきたところにばったり遭遇。

Mさんは8軒で営む地蔵講の講中だった。

毎月の1日はお花を立て換え。

していて良かったという石仏地蔵は双体。

ここれでは珍しい形態だという。

まつりの仕掛けは7月24日の地蔵盆に立てる。

午後5時ころから始まる営みの場に提灯を吊るす仕掛けとわかった。

「ノンさんのテラピスト」に書いてあった茅の輪でもなく、夏祭りでもない地蔵盆であった。

かつては粉からこしらえた団子を供えていた御供。

鉦をたたいて般若心経三巻を唱えるそうだ。

以前は、ゴザを敷いていたが、膝や腰が弱くなったので椅子を持ってきて座って唱えている、という。

この地は、集落入口にあるナガレの地蔵田。

大昔に山が崩れて流れてこの地に落ち着いたそうだ。

前年に聞いた集落下にある地蔵堂3体の地蔵さんも“流れ”であった。

ここはときおり発生する交通事故に見舞われる。

これまでは人身事故に怪我もない、身体無事な事故ばかり。

辻の地蔵さんが守ってくれている、という。

数年前のことを思い出したMさん。

単車に載った通りがかりの若者が、地蔵盆の仕掛けをした地蔵尊を撮っていたらしい。

その人が「ノンさんのテラピスト」とも限らない日付の不整合である。

ちなみにお家は数年前に建て替えたそうだ。

消防法の関係でやや奥まったところに建て替えざるを得なかったようだ。

ちなみに8月13日は墓に出かけて火を点けた線香に煙をくゆらしながらもちかえって仏壇に火移しする“ソンジョサン”迎えをしている、という。

“ソンジョサン”とは何者であろうか。

その発音から想定できる“ソンジョサン”は“先祖さん”。

“センゾサン”から訛った“センジョサン”。

さらに訛った“ソンジョサン”であろう。

家に迎えてから二日目の15日。

夜9時になれば“ソンジョサン”送りをしていた。

隣の人と二人で藁に火を点けて家横を流れる水路の下った道路手前のところまで送っていたが、隣人の身体状況で、「でけへんようになった」と、いう。

昨年までしていた送りの“ソンジョサン”は、今年見ることはない。

送りに使う藁束。

イネコキをして保存してきた藁であるが、コンバインでは細切れになってしまう。

送りの藁を確保するには、田んぼの端っこにある稲刈り。

そこだけは手刈りして藁を取っていた、という。

度々の行事取材に訪れていた寺口の行事。

平成26年7月15日に行われた夏祭りの博西神社

神さんに寺口の6大字がそれぞれ献燈する十二灯提灯。

同年、同月の翌日の16日も訪れて取材した二塚太神宮のダイジングサン

十二灯提灯の献灯に村呼び出しの太鼓と鉦打ちがある。

博西神社は秋祭りもしていると聞いて同年の10月7日も訪れた。

十二灯提灯の6大字献灯は同じであるが、村入り行事に神楽舞もあった。

平成27年6月16日に行われた本郷太神宮のダイジングサン

寶前組・北側・問屋組の十二灯提灯も献灯する。

翌年の平成28年の4月24日は寺行事。

置恩寺で行われた薬師会式に當麻寺・中の坊僧侶らが作法をされる六百巻の大般若経転読法要である。

この行事は観音堂に安置する十一面観音立像法要もあれば、大量に撒くモチマキもある。

この日に聞いていた観音講の営み。

西国三十三番のご詠歌を唱えているところまではわかったが、営みは未だ拝見できていない。

Mさんの話によれば、地蔵祠のあるこの通りの上に観音講がある、と。

おそらく置恩寺・観音堂に集まって営む観音講のことであろう。

ちなみに博西神社拝殿に大きな写真を掲げているという。

奇麗に撮られた十二灯提灯の献灯の写真。

数年前から観るようになったという写真は平成27年の4月11日に訪れて当時区長だったIさんに提供したもの。

喜んでくださっていたのが嬉しい。

(R1. 7. 1 SB805SH撮影)

室生多田・松明送りの日は寂しい

2021年03月22日 09時07分28秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
宇陀市室生・無山の送り盆の様相を見届けて、帰路に向かう。

北に向かってすぐ近く。

隣村になる多田から左に折れて、都祁白石町に出るコースを走っていた。

無山、多田を経て笠間川に沿って下っていく。

染田、小倉、下笠間、上笠間は旧室生村圏内。

さらに下った下流域が山添村領域の毛原、岩屋・・・から三重県の名張川に合流。

つまりは名張川の支流であるが、名張川はさらに下って京都に。

大河は木津川となり、やがて大阪の淀川となって大阪湾に繫がる。

笠間川の上流は、旧都祁村の吐山

源流は、かつて雨ごいに登っていた貝ケ平山に香酔岳山麓地。

隠れ里のような段丘田園地景観が美しい。

6月の夏至のころ。田の虫送りに松明を翳して下流域に稲を喰い荒らす害虫を送っていく。

毛原の先は、岩屋になるが、虫送りをしていた話は聞かない。

地区ごとに鎮座する神社の行事に、寺行事なども取材してきたが、多田の地区だけは、未だに拝見していない。

多田に入ってすぐ、目につく神社もまた、無山と同じ名の九頭神社。

神社行事がどうであるのか、聞き取りができていないから、足を運ぶことはない。

また、風景写真家さんたちがよく知る真っ赤な花を咲かせるさるすべりがある日蓮宗万寿寺も、行ったことのない多田。

いつかは、訪れたいと思い続けているが、毎回が通り抜け。

ふと、車窓から眺めたその景観に、思わず車を停めた。

無山からは県道127号線の北野吐山線。

多田からは県道781号線の都祁名張線が交わる地点近くだ。

停車してすぐ近くまで寄ったそれは、まさに今、火を点けようとしていた藁松明である。

民家は奥。その家に出入りする道。

端っこだと思うそこに立てていた2本の松明。

両脇にそれぞれに、である。

その場に人の動きをみた。

お声をかけた婦人は、民家の当主。

旦那さんを亡くしてからは一人住まい。

急なお願いの撮影に承諾してくださった。

これから藁に火を点けますから、といって、近くに置いてあった新聞紙を手にした。

ちょっと柔らかめに丸めた新聞紙に火を点けた。

細めの竹は、近くに生えている篠竹であろうか。

葉はナタで伐り落とし。

その伐り口は、綺麗にしていた。

ざっくり折った藁束。

端の部分の数本を捻って縛る。

落ちないように固定していた藁松明に火を点けた。



上昇する火の状態をみて、もう一方の松明に火を点ける。

やがて煙が立ち上って空に向かう。



今日は、15日。

亡くなられた旦那さんも先祖さんも煙に乗って戻ってゆく。

藁に湿り気があったのか、火の具合が衰える。

もっていた新聞紙の火を再度移す。

何度か繰り返した火点け。

燃え尽きるまで時間のかかった送り火である。



14日は迎え火だった。

今日のような火点け具合でなく、藁が乾いていたからよう燃えた、という。

お盆に戻ってきた子どもたち。

息子さんとともに神戸から戻ってきた。

外孫らがはしゃぐお盆の日は、とても賑やかだった。

その息子、孫たちも、今日の午後にみな帰ったそうだ。

帰ったあとの家は、賑やかな音がすっかり消えた。

この送り松明もしたら・・、小声でもらした「さみしい」。

今でも私の脳裏に焼きついている詞。

「お盆に戻ってくるまではワクワクしていたが、今日はほんまに寂しいことや・・」と、心境を語ってくれた婦人はMさん。

お若いと思っていたが、82歳。

その寂しさは、後日に訪れたお礼に写真を差し上げたときも・・。

「背中が曲がってますやろ。朝はシャンとしてるんやけど、夕方になったら疲れて・・・」

道路向かいが母屋の本家。

うちは分家のM家。

天理の福住下入田から、親戚筋にあたるM家に嫁入りしてからもう何年になるやろか・・・。

(H30. 8.15 EOS7D撮影)